新宿三井ビルディング
新宿三井ビルディング | |
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情報 | |
用途 | 事務所 |
設計者 | 三井不動産、日本設計事務所 |
構造設計者 | 日本設計事務所、武藤構造力学研究所 |
施工 | 鹿島建設、三井建設 |
建築主 | 三井不動産 |
構造形式 | 鉄骨構造(2-55階)、鉄骨鉄筋コンクリート構造(地下3階-1階) |
敷地面積 | 14,449 m² |
建築面積 | 9,591 m² |
延床面積 | 179,578.93 m² |
階数 | 地上55階・地下3階・塔屋3階 |
高さ | 225m |
エレベーター数 | 36基(東芝製9基、日立製27基) |
着工 | 1972年4月 |
竣工 | 1974年9月 |
所在地 |
〒163-04xx (xxは階層。xx=90のときは階層不明) 東京都新宿区西新宿二丁目1番1号 |
座標 | 北緯35度41分30.8秒 東経139度41分38.1秒 / 北緯35.691889度 東経139.693917度座標: 北緯35度41分30.8秒 東経139度41分38.1秒 / 北緯35.691889度 東経139.693917度 |
新宿三井ビルディング(しんじゅくみついビルディング)は、東京都新宿区西新宿の新宿新都心の一角にある超高層ビル。三井不動産が所有する。通称は新宿三井ビル、あるいは単に三井ビルと呼ばれることもある[注 1]。
概要[編集]
1960年に東京都が策定した「新宿副都心建設計画」に基づき、淀橋浄水場跡地は同年に設立された新宿副都心建設公社によって、まず、新宿駅西口地下広場や新宿中央公園が整備され、造成された街区(1~11号)は、1965年から順次民間会社に売却されることとなった[1]。
三井不動産は、日本における超高層建築のさきがけとして霞が関ビル(1968年竣工)を建設した経緯から、新宿副都心開発にも強い意欲を抱き、1968年3月、9号地を58億円で購入し、新宿駅西口一帯の新都心開発に参画することとなった。この際、江戸英雄三井不動産社長が地元の小田急電鉄の安藤楢六社長からの要望に応えて、街区を購入した住友不動産、京王帝都電鉄(現:京王電鉄)、第一生命保険に連絡調整組織の結成を呼びかけ、同年11月に新宿新都心開発協議会(SSK)が発足。三井不動産が幹事役を務めることになった[2][注 2]。
新宿三井ビルは、1972年4月に着工、1974年10月に竣工した。工事の最中には第一次オイルショックが発生し、資材の入手難や諸価格の高騰に直面したが、最終的には目標通り、延坪あたり40万円以下に抑え完成させた。総工費は約237億8000万円(建築期間中の支払利息を含む)[3]。
2020年10月9日、三井不動産は不動産投資信託(REIT)の日本ビルファンド投資法人に1700億円で売却すると発表した。物件の引き渡しは2021年1月8日を予定している[4]。
構造[編集]
高さは軒高210メートル、最頂部225メートル。竣工してしばらくは、日本一高いビルであった。2階はロビー(Lb)階と表記する。 黒を基調としたガラス張りのビルで、新宿の超高層ビル群の中でもひときわ目立つ外観。竣工当初の塔屋は黒だったが現在は白となっている。隣の新宿センタービルより高さ自体は2メートル高いが (各々225.0m, 222.95m)、新宿センタービルの1階より随分低い位置に本ビルの1階があるため、実際は低くなって見える。
ビル側面にあるX形の鉄骨は、耐震補強の為の筋交いであると共に、各階の両端に設けた機械室の扉の押さえを兼ねている。機械室の扉は4 - 5階分を1枚にまとめており、これほど巨大なそれを開くことで空調などの機械を容易に交換できるようになっている[5]。また京王プラザホテルの設計を取り入れ、非常階段の一部を外部に剥き出しに設置し、火災時の煙が非常階段内に溜まらない設計が取り入れられている。
2015年3月、鹿島と三井不動産が開発にあたった長周期地震動の揺れを半減させる超大型制震装置、6基のビル屋上への設置が完了している[6][7]。
テナント・スポット[編集]
新宿高層ビル街に古くから存在し、階数が新宿では最も多く、ビル内には多くの企業がテナントとして入居している。
最上階の55階には、オープンから数年間はワンフロアを占める中華レストラン「マンダリンパレス」が営業していたが(西遊記で制作協力として参加)、現在はテナントの事務所となっている。54階には、三井グループの従業員やOBとその同伴者だけが利用できるレストラン「新宿三井クラブ」がある。一般に開放された展望室はない。
ビルの南にある「55ひろば」は、ビル風の影響を小さくするため、グランドレベルから沈みこませ整備[8]。青空天井で、テーブルセットは飲食・休憩など自由に使用できる。無料のコンサートなどのイベント、フリーマーケットも行われる。
オフィス・テナントを除く、店舗等の配置は以下の通りである。
- 地下1階(「55ひろば」と同じ高さ。京王プラザホテル側道路から階段を下りる)
- 1階(京王プラザホテル側道路から階段を上がる)
- 2階(東側道路・北側道路・西側道路からは1階として感じられる)
- 3階
- Shinjyuku KIZENBOU(カフェ&ダイニングバー)
- 4階、5階
- クリニック2院、歯科医院、調剤薬局
- 54階
- 新宿三井クラブ
主なテナントオフィス
など。
エレベーター[編集]
1996年から2000年にかけてリニューアルされた。18階以上はすべて日立製に統一している。
- 非常用バンク
- B3階 - B1階・1階・Lb階・3階 - 55階・P1(R)階
- Dバンク(D-1~D-7号機)
- 1階・Lb階・3階・43階 - 55階
- Cバンク(C-1~C-8号機)
- 1階・Lb階・3階・29階 - 43階
- Bバンク(B-1~B-8号機)
- 1階・Lb階・3階・17階 - 30階
- Aバンク(A-1~A-7号機、下記の駐車場用バンクも東芝製)
- 1階・Lb階・3階 - 17階
- 駐車場用バンク
- B3階 - B1階・1階・Lb階
新宿三井ビルディング会社対抗のど自慢大会[編集]
このビルでは毎年8月下旬に55ひろばにて入居企業同士の親睦や交流を図るため、竣工当時の1974年(昭和49年)から入居企業対抗ののど自慢大会を開いている。出演者のパフォーマンスが極めてハイレベルなことから、別名「新宿の奇祭」「会社員のウッドストック」とも呼ばれる。
参加資格は新宿三井ビルディングに入居している企業のみに与えられるため、こののど自慢大会に出たいがために三井ビルへ入居した企業も出たといわれる[9][10]。
アクセス方法[編集]
新宿三井ビルディング外観[編集]
脚注[編集]
注[編集]
出典[編集]
- ^ 『三井不動産七十年史』p.70
- ^ 『三井不動産七十年史』p.70 - 71
- ^ a b 『三井不動産七十年史』p.71
- ^ “三井不動産、新宿三井ビルをREITに売却 1700億円で”. 日本経済新聞 (2020年10月10日). 2020年10月10日閲覧。
- ^ 池田武邦「聞き書きシリーズ 超高層から茅葺きへ 第54回」2009年7月7日付『西日本新聞』朝刊6面
- ^ “超高層ビル屋上に巨大振り子、長周期地震動の揺れ半減”. 日本経済新聞. (2014年9月16日) 2019年2月11日閲覧。
- ^ “新宿三井ビル、屋上の超大型制震装置を公開”. ケンプラッツ. 日本経済新聞. (2013年8月24日) 2019年2月11日閲覧。
- ^ 『三井不動産七十年史』p.72
- ^ “熱いぜ!新宿の夏、三井ビルのど自慢45回”. 日刊スポーツ. (2019年8月17日) 2019年9月8日閲覧。
- ^ “会社員のウッドストック!「新宿三井ビルのど自慢2018」今年の“伝説”を振り返る”. 文春オンライン. (2018年8月28日) 2019年9月8日閲覧。
参考文献[編集]
- 『三井不動産七十年史』三井不動産、2012年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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