斡離不

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斡離不(オリブ、? - 1127年)は、の皇族。または斡魯補(オルブ)とも。漢名は宗望。初代皇帝の太祖阿骨打の次男。金の名将として知られる。

経歴[編集]

妃の紇石烈氏(後の欽憲太皇太后)の長男として生まれた。初め、父帝の征戦に従い、常に側近にあった。天輔6年(1122年)、兵を率いて天祚帝(耶律延禧)を追い、軍功を挙げた。父帝に従って燕京(北京)を平定し、副都統となった。天会元年(1123年)、千人の兵をもって奇襲し、天祚帝の大軍を大いに破った。

天会3年(1125年)10月、平州より進発してを攻め、白河にいたり、12月に郭薬師の軍を白河で破った。天会4年(1126年)正月、開封を囲み、宋に迫って姪と称さしめた。8月、右副元帥となり、再び宋を攻めた。12月、左副元帥粘没喝(宗翰)とともに開封を包囲した。宋に対して和平派に傾き、領土・賠償金・和親政策(自身や他の皇族に徽宗の帝姫たちを妾妻として差し出させる)をもって講和を認めようとしたが、他の将帥の反対のため交渉に失敗した。

凱旋した後、天会5年6月21日(1127年7月31日)に傷寒[1]で急死した。上京に葬され、魏王の位を追贈された。皇統3年(1143年)、熙宗により晋王を再追贈された。大定3年(1163年)、宋王を再追贈され、「桓粛」とされた。

宗室[編集]

妻妾[編集]

子女[編集]

  • 男子:完顔斉、完顔京、完顔文
  • 女子:昭寧公主 完顔什古

伝記資料[編集]

脚注[編集]

  1. ^ あるいは熱射病