愛子内親王
敬宮愛子内親王 | |
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続柄 | 今上天皇第1皇女子[1] |
全名 | 愛子(あいこ) |
称号 | 敬宮(としのみや) |
身位 | 内親王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | ゴヨウツツジ |
出生 |
2001年12月1日(19歳)![]() 皇居・宮内庁病院 |
父親 | 徳仁(今上天皇) |
母親 | 皇后雅子 |
称号: 内親王 | |
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敬称 |
殿下 Her Imperial Highness the Princess |
皇室 |
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愛子内親王(あいこないしんのう、2001年〈平成13年〉12月1日 - )は、日本の皇族。御称号は敬宮(としのみや)、お印はゴヨウツツジ(五葉つつじ)。身位は内親王。敬称は殿下[2]。
徳仁(第126代天皇)の第1皇女子。母は雅子(皇后)。明仁(上皇)と美智子(上皇后)の皇孫にあたる。
21世紀(3千年紀)に誕生した初の皇族であり、2020年(令和2年)4月1日現在、18名の皇室構成員のうち最年少の女性皇族で、内廷皇族である。
住居は、東京都港区元赤坂2丁目の赤坂御用地内にある赤坂御所(旧・東宮御所)。
来歴[編集]

(各事象等における身位の表記は、当時に沿う。)
2001年(平成13年)12月1日14時43分、皇太子徳仁親王と皇太子妃雅子(両者とも当時)の間に第1子・第1皇女子として、東京都千代田区の宮内庁病院で出生。誕生時の身長は49.6センチメートル、体重は3,102グラム[3]。
同日、祖父である第125代天皇明仁から守り刀(人間国宝である大隅俊平作)と袴が贈られる「賜剣の儀」が行われた[4][5]。刀身は約25センチで、全長約40センチ。
また、内閣総理大臣・小泉純一郎(当時)が「内親王殿下の御誕生を迎えて」の内閣総理大臣謹話を発表した[6]。
同年12月7日、「浴湯の儀」・「命名の儀」・「賢所皇霊殿神殿に誕生命名奉告の儀」が行われ、天皇から「愛子(読み:あいこ)」と命名され、「敬宮(読み:としのみや)」の御称号を受けた。名と御称号の由来は
「 | 人を愛する者は人恒に之を愛し、人を敬ふ者は人恒に之を敬ふ。 | 」 |
—『孟子』離婁下 |
に拠る。皇太子・同妃(当時)、そして学者[7]が相談して内定し、祖父の天皇(当時)も両親である皇太子・同妃(当時)の意向を尊重して命名した[8][9]。
浴湯の儀に伴って行われる「読書鳴弦」の儀式では、元・学習院大学長児玉幸多により、『日本書紀』から8人10代存在した女性天皇のうち最初の女帝にあたる推古天皇に関する部分が読まれている[10]。お印のゴヨウツツジは那須御用邸でも5月に咲く花で、両親の「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いを込めた[11]。
平成の皇太子夫妻の待望の第一子誕生に対して、国民の祝賀の記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人、合計77万人に達した。12月2日夕、皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、奉祝国会議員連盟会長の麻生太郎をはじめ政治家や竹下景子、西田ひかるなどの芸能人、毛利衛、長嶋茂雄などの著名人が祝辞を述べ、2万5千人が集まり万歳して祝意を表した[12][13]。
幼時には、両親(皇太子・同妃)から「愛ちゃん」と呼ばれた[14]。
2005年(平成17年)春から週2回、東京都渋谷区のこどもの城に通い、音楽遊びなどを通じて集団生活に親しんだ[15]。
2006年(平成18年)4月11日、学習院幼稚園に入園。同年8月、皇太子・同妃(当時)である両親のオランダ旅行・滞在に同行して、初めて海外訪問した[16]。
同年11月11日に、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を行った。このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生のときに贈られたものである。この頃には自転車の練習なども始めている[17]。
2008年(平成20年)3月に学習院幼稚園を卒園し、同年4月に学習院初等科に入学。2009年(平成21年)の初等科2年生時には、漢字の書き取りや習字を行う姿が報道された[18]。
2010年(平成22年)2月下旬から風邪を患うなど体調不良が原因となり欠席しがちだった[19]が、同年3月5日になって野村一成(当時の東宮大夫)が、「3月上旬に発生した初等科での児童同士のトラブルから体調不良となり、学校を欠席した」と発表した後、同日にまた学校法人学習院側も記者会見を開き同様の発表がなされ、大きな波紋を呼んだ(詳細は「愛子内親王不登校騒動」)[20][21][22][23]。
2011年(平成23年)秋より、初等科への通学は平常な状態に戻った[24][25]。
2012年(平成24年)には学習院初等科5年生となり、「管弦楽部(パートはチェロ)、バスケットボール部などの部活動での練習にも励み、学習院女子大学で開催された英会話セミナーにも通い出した」と報道された[26]。
2014年(平成26年)3月に学習院初等科を卒業し、同年4月に学習院女子中等科に入学[27][28]。同年7月15日に自身の曽祖父母にあたる昭和天皇・香淳皇后の武蔵野陵を初めて参拝し[29]、また、7月30日に伊勢神宮を初めて参拝した[30]。同年8月3日、全国高等学校総合体育大会を両親との一家で訪れ、女子サッカーと男子バレーボールの試合を観戦した[31]。
同年12月1日、13歳の誕生日を迎え、皇居内の御所に居住する祖父母の天皇明仁と皇后美智子(当時、現:上皇と上皇后)を初めて一人で挨拶のため訪問した。春からはテニスとソフトボールを始めている。授業の科目数も増え、学業にスポーツにと忙しい日々を過ごす[32]。
2015年(平成27年)戦後70年の節目の夏には、初めて第二次世界大戦の企画展示(「昭和館」東京都千代田区)に足を運び見学したほか、戦争体験者からも直接話を聞いた[33][34][35]。
2016年(平成28年)8月、学習院女子中等科第3学年在学中の夏休みに両親の皇太子徳仁親王同妃雅子(当時)の地方公務に初めて同行し長野県上高地を訪れた[36][37]。同年9月26日から胃腸が弱りふらつきなどの症状のため学校を欠席したが[38]、休養に努め11月に学校に復帰した。
2017年(平成29年)3月、学習院女子中等科を卒業し[39]、発表された卒業文集の作文「世界の平和を願って」[40]では、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」などと、修学旅行で広島を訪れ原爆の悲劇を見て感じた平和を築いてゆく願いを綴り、多くの国民の感動を呼んだ。同年4月、学習院女子高等科に入学[41]。
2018年(平成30年)7月22日 - 8月9日まで、イギリスに短期留学した。(学習院女子高等科の海外研修プログラム) 首都ロンドン郊外のイートン校で英語教育、更にポーツマスやオックスフォードで英国の文化を体験した[42]。
2019年(令和元年)5月1日、天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行(前日の2019年(平成31年)4月30日に祖父の天皇明仁が退位し上皇となり、祖母の皇后美智子は上皇后となる。)により父の皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位、母の皇太子妃雅子も立后し皇后となる。これに伴い、内親王は第1皇女子として、天皇・皇后を両親に持つ唯一の人物となった。
2020年(令和2年)3月に学習院女子高等科を卒業。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、両親である天皇徳仁と皇后雅子は卒業式への出席を控えた。同年4月より父の母校でもある学習院大学文学部日本語日本文学科に入学(父天皇は、同学部史学科出身である)[43]。
内親王を巡って[編集]
21世紀を迎え、待望久しかった皇太子夫妻の第1子であったことから、誕生と同時に注目を集めた。出産翌日には皇居前広場で祝賀の「国民の集い」が行われ、約2万5000人もの市民が集った。皇居に記帳所が設置され、また赤坂では提灯行列が行われた。出産翌日に対面した父・皇太子は「非常に元気そうですね」という感想を述べた[44]。
しかし、その後マスメディアに露出することを控えたため、「発達の遅れがあるのではないか」等といった噂・憶測が、2004年(平成16年)頃に海外メディアを中心に流れ[45]、一部の国内週刊誌にもとりあげられた[46][47]。この状況を受け、同年6月の定例会見にて林田英樹東宮大夫は、ただちに「事実無根で不本意」と否定[48]。宮内庁は同年9月にスナップ写真や父の皇太子徳仁親王が東宮御所内で撮影したビデオ映像を公開し、事態の収束につとめた。ビデオ映像の中には父親の皇太子を「パパ」と呼びながら絵本を読む姿などが映されていた[49]。
学習院幼稚園に入園してからは、運動会の大玉転がし、オール学習院の集いでの合唱の様子などがテレビ報道で公開されている[50]。その後は、こうしたメディアの定期的な取材を受けることにより、敬宮愛子内親王が心身とも健康であることが浸透した。2013年(平成25年)においては、「学習院初等科での成績は学年でのトップクラス」と伝えられている[51]。
1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王誕生以降長期にわたり皇室に男子が誕生しなかったため、皇統に属する男系男子にのみ皇位継承権を認める現行の皇室典範見直しの機運が高まり、皇太子徳仁親王に第一子として女子が誕生したこともまたこれを後押しした。そのため、2005年(平成17年)から2006年(平成18年)にかけて、当時の小泉純一郎首相の私的諮問機関として「皇室典範に関する有識者会議」において(第117代後桜町天皇以来の女帝として)敬宮愛子内親王の即位を念頭においた女性天皇・女系天皇の可能性が検討された(詳細は「皇位継承問題」も参照)[52]。その後、2006年(平成18年)9月6日、秋篠宮妃が皇室で41年ぶりの男子・悠仁親王を出産したことで、皇室典範見直しの動きは止まった[53][54]。
内親王にちなむ花[編集]
誕生後、以下の3種類のバラが愛子内親王にちなんで名づけられた[55]。
- 京成バラ園芸(本社:千葉県八千代市)のピンク色のフロリバンダ「プリンセスアイコ」
- 岐阜県園芸特産振興会のクリーム色の花「ハイネス愛」
- フランスのメイアン(1850年創立の園芸育種会社)作成の純白のハイブリッド・ティー「ロイヤル・プリンセス」
また、河野メリクロンのシンビジウム「シンビジウム愛子さま」も同様に名付けられた花である[56]。
逸話[編集]
スポーツ試合観戦[編集]
- 大相撲 幼少期の趣味の一つは大相撲の観戦。力士の四股名だけでなく下の名前や出身地も暗記していた[57]。2006年(平成18年)初場所をテレビ観戦中に徳仁親王が旭天鵬対玉乃島戦について話を向けると、「小結同士」と答えたという。愛知万博を訪問する徳仁親王が「愛知県に行く」と話すと「琴光喜関の出身地の愛知県」と答えた。2006年(平成18年)9月10日、両国国技館にて両親と共に初めて秋場所を観戦し[58]、「夢じゃなかったのかしら」と述べた。2007年(平成19年)9月22日の大相撲秋場所14日目にも皇太子夫妻と共に訪れ、星取表に勝敗を書きこむなど熱心に観戦した。
- 野球 2009年(平成21年)の2009 ワールド・ベースボール・クラシック (WBC) を契機に、野球にも興味を持ち始め[59][60]、選手では内川聖一がお気に入りという[60]。2009年(平成21年)7月12日にはプロ野球公式戦のデーゲーム、ヤクルト - 横浜戦(神宮球場)を皇太子一家で初観戦した。
運動・スポーツ面[編集]
- 運動神経:競走が速く、学習院初等科運動会では度々リレーの選手に選ばれていた[61]。2013年(平成25年)の6年生の時には校内の遠泳行事に参加し3kmを泳ぎきった。運動会では組体操に参加した[62][63]。
- バスケットボール:2012年(平成24年)の初等科5年生時に運動のクラブ活動として、バスケットボール部に入部。初めは野球部を考えたが、女子の団体競技としてバスケットボールを選択した[64]。
- スキー:幼少より親しんでいる。2013年(平成25年)1月、冬休みに学習院初等科の同級生グループと長野県奥志賀高原スキー場にスキー合宿に出掛けレッスンを受けた[65]。3月下旬にも同県に一家でスキーに訪れ、練習の成果もあり上級者向けコースに挑戦した。同年4月5日、宮内庁は敬宮愛子内親王の春休みのスキー映像と写真を公開した[66][67]。
- テニス、ソフトボール:2014年(平成26年)、中学生になってからはテニスとソフトボールに関心を持ち赤坂御用地のコートや庭で、両親や宮内庁職員とプレーを楽しむことがある[68]。
日本文化と音楽[編集]
- 書道 - 幼少よりたしなんでおり、宮内庁職員文化祭に力強い作品を出展している[69][70]。
- 百人一首 - 2015年(平成27年)2月に学習院女子中等科で行われた百人一首大会では、40枚ほどの札を取って圧勝するなど、日本の伝統文化にも親しんでいる[71]。
- チェロ - 学習院初等科の4年生の時にクラブ活動として管弦楽部に入部[72]。チェロを担当し熱心に練習している[73][74][75][76]。
自然[編集]
ペット[編集]
自身が誕生した頃から自宅の東宮御所(当時 → 赤坂御所)で飼われている犬や猫を可愛がっている[77][50]。誕生日会見などでも一緒に写ることがある[78][79]。迷い犬や猫、動物病院で保護された犬や猫を譲り受けている。
- 「ピッピ」と「マリ」
- 愛子内親王の誕生前より両親の皇太子夫妻(当時)が飼育していた犬。赤坂御用地に迷い込んだ雌犬が産んだ10匹の子犬のうちの2匹。2009年(平成21年)に2匹共、老衰で他界した。
- 「由莉」(ゆり)
- 2009年(平成21年)4月から飼育している柴犬のMIX。まりに似た名前を付けた。写真撮影で一緒に写る時にしているバンダナは愛子内親王の手作り。静養先でも行動を共にすることがある。
- 「にんげん」と「みー」
- 2010年(平成22年)春、学習院初等科3年次に赤坂御用地に紛れ込んだ母猫の『にんげん』は、2016年(平成28年)5月に病気で逝去するまで飼っていたメス猫である(キジトラ白MIX)。「にんげん」は紛れ込んだ後すぐに4匹の子猫を産み、その内1匹を引き取って、「みー」と名付けて飼育している。
- 「セヴン」
- 2016年(平成28年)より飼育している猫。7月生まれ。キジトラ白MIXクラシックタビー。
呼称[編集]
父・徳仁は、自身の一人娘を誕生後の会見から一貫して「愛子(あいこ)」と呼んでいる[14][80]。2003年(平成15年)時点では、皇太子(当時)は「愛子」、記者は「敬宮さま(としのみやさま)」としている。祖父母の明仁・美智子(当時:天皇・皇后)は「敬宮(としのみや)」としていた[81]が、2006年(平成18年)以降は同様に「愛子」と呼んでいる[82]。
マスメディアの皇室報道においても、当初は御称号から「敬宮さま」の呼称が用いられていた[80]が、のちに「愛子さま」へ転じ[83]、「愛子さま」という呼称が国民の間にも広く定着している[84]。
愛子内親王の学習院での学校生活においては、「敬宮 愛子(としのみや あいこ)」の名が用いられているという[84]。
宮内庁のウェブサイトでの呼称は、「敬宮殿下(としのみやでんか)」ないし「愛子内親王殿下(あいこないしんのうでんか)」となっている[85]。
系譜[編集]
敬宮愛子内親王の系譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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敬宮愛子
内親王 |
父: 徳仁 |
祖父: 明仁 |
曾祖父: 昭和天皇 |
曾祖母: 香淳皇后 | |||
祖母: 美智子 |
曾祖父: 正田英三郎 | ||
曾祖母: 正田富美子 | |||
母: 雅子 |
祖父: 小和田恆 |
曾祖父: 小和田毅夫 | |
曾祖母: 小和田静 | |||
祖母: 小和田優美子 |
曾祖父: 江頭豊 | ||
曾祖母: 江頭寿々子 |
脚注[編集]
注釈・出典[編集]
- ^ 宮内庁 天皇皇后両陛下
- ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
- ^ “皇太子ご夫妻に愛子さまご誕生|NHK放送史(動画・記事)”. NHKアーカイブス. (2001年12月1日) 2020年5月5日閲覧。
- ^ “天皇陛下から赤ちゃんに守り刀と袴 賜剣の儀式”. asahi.com (朝日新聞社). (2001年12月1日) 2013年4月15日閲覧。
- ^ (椎谷 2002, pp. 140-143)
- ^ “内閣総理大臣謹話 [内親王殿下の御誕生を迎えて 平成13年12月1日”]. 首相官邸. (2001年12月1日) 2019年7月15日閲覧。
- ^ 秋山虔・鎌田正・米山寅太郎の三名
- ^ “お名前は「敬宮愛子さま」・命名の儀”. NIKKEI NET (日本経済新聞社). (2001年12月7日). オリジナルの2009年6月3日時点におけるアーカイブ。 2013年4月15日閲覧。
- ^ (椎谷 2002, pp. 143 - 166)
- ^ (椎谷 2002, pp. 143 - 166)
- ^ (椎谷 2002, pp. 166-168)
- ^ “皇太子殿下お誕生日に際し(平成14年)”. 宮内庁 (2002年2月20日). 2013年4月15日閲覧。
- ^ (椎谷 2002, pp. 248-264)
- ^ a b “愛子内親王殿下御誕生につき(平成14年)”. 宮内庁 (2002年4月2日). 2013年4月15日閲覧。
- ^ “愛子さま4歳”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2005年12月1日) 2013年4月15日閲覧。
- ^ 2006年8月20日 Epoch Times in Japan 写真報道:皇太子ご一家オランダで、雅子さま初の海外静養
- ^ 2006年(平成18年)11月11日 中京テレビ 愛子さま、「着袴の儀」
- ^ 2008年(平成20年)12月1日 日テレNEWS24 愛子さま 9歳のお誕生日に皇居をご訪問
- ^ 2010年3月6日 東京新聞「愛子さま登校できず「乱暴な子」見て不安訴え」。記事では、“2月22日から26日の間、25日以外を欠席した”としている。なお、2月27-28日は土日
- ^ “愛子さま学校お休みに 同級生の「乱暴なふるまい」で”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2010年3月5日). オリジナルの2010年12月4日時点におけるアーカイブ。 2013年4月15日閲覧。
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- ^ 産経ウィークリー 愛子さま、学習院女子中等科の百人一首大会で約40枚を取るご活躍
- ^ 2011年(平成23年)7月22日 共同通信社
- ^ 2011年(平成23年)12月1日 読売新聞 愛子さま、10歳に…管弦楽部入部・チェロ練習
- ^ 2011年(平成23年)12月1日 毎日JP 愛子さま:10歳に 管弦楽部でチェロ練習
- ^ 2012年(平成24年)4月15日 MSN産経「オール学習院大合同演奏会」でチェロを演奏する愛子さま
- ^ 2012年(平成24年)4月15日 日テレNEWS24 愛子さま、学習院の演奏会で
- ^ 2008年(平成20年)5月2日日本テレビにこにこアルバム
- ^ 2010年(平成22年) 宮内庁 「皇太子妃殿下お誕生日に際してのご近影」
- ^ 2011年(平成23年) 宮内庁 「愛子内親王殿下お誕生日に際してのご近影」
- ^ a b 2003年(平成15年)、皇太子誕生日記者会見
- ^ 2002年(平成14年)、天皇誕生日記者会見
- ^ 2006年(平成18年)、天皇陛下誕生日記者会見
- ^ 2007年(平成19年)、皇太子誕生日記者会見
- ^ a b MSN産経 皇室ウィークリー19
- ^ 宮内庁ウェブサイト
参考文献[編集]
- 椎谷, 哲夫『敬宮愛子さまご誕生 宮中見聞記』明成社、2002年、初版第二刷。ISBN 4-944219-10-5。
外部リンク[編集]
- 宮内庁 公式サイト
- 天皇皇后両陛下 - 宮内庁 - 第1皇女子として愛子内親王の略歴掲載
- 皇太子ご夫妻に愛子さまご誕生 - NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブ
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