攻撃ヘリコプター

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アメリカ陸軍のAH-64 アパッチ・ロングボウ

攻撃ヘリコプター(こうげきヘリコプター、Attack helicopter)は、攻撃を専門として設計されたヘリコプター機関銃機関砲のほか、ロケット弾対戦車ミサイル等の対地兵器を主な装備とするが、自衛用に短距離空対空ミサイルを搭載する機種も存在する。なお、汎用ヘリコプターなどに武装を施したものは武装ヘリコプター英語版として区別されることが多いが、両者をあわせてガンシップと俗称することもある。

概史[編集]

武装ヘリコプターの登場[編集]

1954年フランス領アルジェリア民族解放戦線(FLN)およびその軍事部門としての民族解放軍が組織され、独立戦争が始まった。同地は、国土の大部分をサハラ砂漠が占める乾燥した平原地帯だが、北部では海岸と平行してアトラス山脈が走り、また南東部にもホガール山地などの山地・高原が広がるという、ヘリコプターの特性を活かしやすい地勢であった。このため、フランス軍パイアセッキ H-21シコルスキー S-58などのヘリコプターを前例がないほど大量に投入し、アグーネンダの戦いにみられるように、ヘリボーン戦術を展開した[1]

そしてヘリボーンでの火力支援のため、ヘリコプターの武装化が図られることになった。まずは負傷者後送(CASEVAC)用のベル47の担架に機銃手を乗せるという応急手段が用いられたのち、より本格的な艤装を施した機体が登場した。形態は様々だが、主力輸送ヘリコプターであったH-21やS-58には68mmロケット弾ポッドや機銃が搭載された。偵察用のベル47G-1には30口径機銃2挺、またアルエットIIではAA-52 7.5mm機銃2挺か37mmロケット弾を搭載した。H-34やH-21、さらにアルエットIIIでは、左舷側に20mm機関砲を搭載することも行われた[2]。フランス軍では、輸送ヘリコプター5機に対して1機の武装ヘリコプターを配することを理想としていた[3]

またフランス陸軍は、早くも対戦車ミサイルの搭載も行っており、ジンSS.10が、またアルエットIISS.11が搭載された[2]。ただし民族解放軍が戦車を保有していたわけではなく、これらの対戦車ミサイルは、主として陣地攻撃用として用いられた[1]

アメリカ陸軍による初期の研究[編集]

フランス陸軍の試みからやや遅れて、アメリカ陸軍もヘリコプターの武装化についての検討を開始した。陸軍航空学校では、1955年4月に行われたエイブル・バスター計画において陸軍の航空機による対戦車戦闘について検討したのを端緒として[注 1]、翌1956年6月、同学校の学校長であるカール・ハットン准将は、同校の戦闘開発部長を務めていたジェイ・バンダープール大佐に対して武装ヘリコプターに関する研究を進めるように指示した。7月には、H-13ヘリコプターに12.7mm機銃2挺とエリコン8cmロケット弾4発を搭載しての射撃試験が開始された。まずは地上のプラットフォームに固定した状態で射撃試験を行った後、高度100フィート (30 m)でのホバリング、ついで低速での前進飛行中の試験が行われ、いずれも成功した[4]

これらの成功を受けて、1957年3月には、陸軍航空学校から改編された航空教育研究センターに空中騎兵小隊(暫定)が編成されることになり、11月には航空戦闘偵察小隊(ACRP)に改称、更に翌年3月には中隊規模に拡張されて第7292臨時航空戦闘偵察中隊と改称された。様々な搭載例が試験され、最も重武装の構成としては、H-34に対し、20mm機関砲2門と12.7mm機銃3挺、7.62mm機銃6挺、2.75インチロケット弾の20連装ポッド2基、5インチロケット弾2発を搭載したこともあった。また1958年中盤には、フランス軍と同様にSS.10対戦車ミサイルの搭載も試みられた[4]。これらの検討を経て、1960年5月からは、ヘリコプターを武装化するためのキットの調達が開始された。H-13ヘリコプターには7.62mm連装機銃、また調達が開始された直後のHU-1B(後のUH-1B)ヘリコプターのためのSS.11対戦車ミサイルの搭載キットも調達された[4]

武装ヘリコプターの発達[編集]

この時期、アメリカ合衆国は南ベトナムを支援しての軍事介入を開始しており、1961年12月には陸軍のCH-21輸送ヘリコプターがベトナムに派遣されて、南ベトナム軍部隊を空輸してのヘリボーン作戦が開始された[5]。そしてこれらの輸送ヘリコプターを援護するため、ヘリコプターの武装化が本格的に推進されることになった。1962年春からは、配備されたばかりのHU-1A(後のUH-1A)の武装化が着手され、7月25日には沖縄において15機のUH-1を有する汎用戦術輸送ヘリコプター中隊(Utility Tactical Transport Helicopter Company, UTTHCO)が編成されて、10月9日にはベトナムへと派遣された。この中隊のUH-1は、M60またはM37C 7.62mm機関銃2挺とロケット弾ポッド2個(合計14~16発)をスキッド上に搭載していた[6]

同年11月10日には改良型のHU-1B(後のHU-1B)の配備も開始された。HU-1Aの武装は現地部隊による応急的なものであったのに対し、このHU-1Bでは、武装に対応できるように当初からXM-156ユニバーサル・マウントが胴体後部に設置され、両舷に機銃が装着された。更にロケット弾ポッドも搭載されたほか、ベトナム到着後しばらくすると、側面方向をカバーするためにキャビン両側にドアガンとして7.62mm機銃と射手が配置された。また1964年7月には、機首下面にM75擲弾発射器英語版も装備されるようになった[6]

このように兵装が強化されるとともに重量も増大していった結果、エンジン出力の余力が乏しくなり、輸送任務のUH-1B/Dに追随できないという問題が生じた。これに対し、より大出力のエンジンを搭載するなど動力系統を強化したUH-1Cが開発され、1966年よりベトナムにおいて戦線に投入された。しかしそれでも、より高速のUH-1HやCH-47の配備が進むと再び速力不足が生じたほか、汎用ヘリコプターと共通の胴体設計であるために、装甲不足や大きな前面面積なども問題となった[6]

攻撃ヘリコプターの登場[編集]

上記のように、アメリカ陸軍はまず汎用ヘリコプターを元にした武装化を進めていったが、様々な限界に直面しており、専用に設計された攻撃ヘリコプターが志向されることになった。UH-1のメーカーであるベル社は独自に攻撃ヘリコプターの開発を進めており、1962年には、UH-1を元にしたモックアップとしてD225「イロコイ・ウォリア」を完成させた。続いてH-13を改造した実験機としてベル 207「スー・スカウト」が制作され、1963年より試験飛行を開始した。これらはいずれも、コックピットタンデム式とすることで胴体幅を狭めて前面面積を縮小し、機首下面にターレットを備え、また兵装搭載用を兼ねたスタブウィングを備えるといった配置を採用していたが、これらの特徴は、以後の攻撃ヘリコプターの多くで踏襲されていくことになった[7]

ベル社では、UH-1Cをベースにこれらの成果を反映した攻撃ヘリコプターとしてモデル209を開発し、1965年9月に初飛行させた。1966年4月、これはAH-1Gとしてアメリカ陸軍に採用され[7][注 2]1967年8月よりベトナムに展開した[8]。AH-1Gはただちにベトナム戦争に投入することを前提に開発されたこともあって、武器システムは基本的にUH-1Cのものを踏襲し、7.62mm機銃や擲弾発射器ロケット弾など対人・対軽装甲兵器が主眼となっていた。しかしアメリカ陸軍は、既にUH-1BでTOW対戦車ミサイルの運用に着手し、ベトナム戦争末期に登場したベトナム人民軍装甲部隊に対して実戦投入していたこともあって[6]、まもなくAH-1にもTOWを搭載するようになり、1973年にはAH-1GにTOWの運用能力を付与したAH-1Qを採用したのち、1977年にはエンジンを強化したAH-1Sの導入を開始した[9]

攻撃ヘリコプターの発達[編集]

アメリカ軍は、上記のようにAH-1シリーズの改良をすすめるのと並行して[注 2]、1972年からはその後継機のためのAAH (Advanced Attack Helicopter計画をスタートさせており、1976年にAH-64 アパッチが採用された[9]。これは完全な新設計の機体で、抗堪性に優れた設計を採用したほか、対戦車ミサイルをヘルファイアに更新するなど搭載システムも全体に更新強化されている。このように本格的な攻撃ヘリの出現もあって、ヘリコプターは本格的に独立した対戦車部隊としての戦術行動を行うようになっていった。エアランド・バトルで重視された機動打撃の一翼を担うことが構想され、湾岸戦争では開戦第一撃までも担当した[1]

ソビエト連邦1960年代中盤より攻撃ヘリコプターの開発に着手しており、Mi-24として結実した。これはMi-8をベースとしていたこともあって西側の攻撃ヘリコプターよりも大型で、兵員輸送室を備えるという点で特徴的であった。ただしアフガニスタン紛争では攻撃ヘリコプターの所要に対してMi-24の機数が足りなかったこともあり、Mi-8を元にした武装ヘリコプターも広く用いられた[10]。その後、兵員輸送能力を省いた次世代攻撃ヘリコプターの開発も進められ、Ka-50およびMi-28が実用化された[11]

一方、ヨーロッパ諸国では専用の攻撃ヘリコプターはなかなか開発されずに、汎用ヘリコプターに対戦車ミサイルを搭載して武装ヘリコプターとして運用する期間が長く、イギリス陸軍リンクス、フランス陸軍はガゼル西ドイツ陸軍PAH-1を運用していた。その後、ヨーロッパ初の攻撃ヘリコプターとしてイタリアA129 マングスタが開発されて、1983年に初飛行した[9]。またフランスとドイツは、それぞれの武装ヘリコプターの後継機を共同で開発することとして、ティーガーを実用化した[11]

代表的な機種[編集]

Mi-28 ハヴォック
A129 マングスタ
Z-10 (WZ-10)
HAL 軽戦闘ヘリコプター

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

イギリスの旗 イギリス

イタリアの旗 イタリア

イランの旗 イラン

インドの旗 インド

大韓民国の旗 韓国

ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦/ロシアの旗 ロシア

中華人民共和国の旗 中国

ドイツの旗 ドイツ/フランスの旗 フランス

トルコの旗 トルコ

 南アフリカ共和国

 ルーマニア

  • IAR 317 エアーフォックス ※開発中止

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ エイブル・バスター計画の検討では練習機や連絡機といった固定翼機に主眼が置かれていたが、ヘリコプターについても簡単な検討がなされた[4]
  2. ^ a b アメリカ陸軍では、1964年に本格的な攻撃ヘリコプター開発計画としてAAFSS(Advanced Aerial Fire Support System)をスタートさせ、1965年にはロッキード社のAH-56を採用した。しかし開発が順調に進んだとしても部隊配備は1970年以降になると予測されたことから、ベトナム戦争用の暫定的な攻撃ヘリコプターの開発が検討されるようになり、各社案の比較検討を経てAH-1Gが採用された。なおAH-56は多くの技術的困難に直面し、後にキャンセルされた[7]

出典[編集]

  1. ^ a b c 田村 2008.
  2. ^ a b Pouget 1964.
  3. ^ Boyne 2011, ch.2 Carving a Combat Niche.
  4. ^ a b c d Weinert 1991, ch.X Development of Aircraft Armament.
  5. ^ Boyne 2011, ch.4 Early Days in Vietnam.
  6. ^ a b c d ワールドフォトプレス 1988, pp. 37-54.
  7. ^ a b c ワールドフォトプレス 1988, pp. 54-65.
  8. ^ ワールドフォトプレス 1988, pp. 68-106.
  9. ^ a b c ワールドフォトプレス 1988, pp. 150-171.
  10. ^ Boyne 2011, ch.8 Helicopter Development and Deployment in the USSR.
  11. ^ a b Boyne 2011, ch.11 The Helicopter Today and Tomorrow.

参考文献[編集]

  • 田村, 尚也「ヘリボーン戦術大研究」『ミリタリー基礎講座 2』学習研究社歴史群像アーカイブ Vol.3〉、2008年、97-107頁。ISBN 978-4056051995
  • 『戦うヘリコプター』ワールドフォトプレス、光文社〈ミリタリー・イラストレイテッド〉、1988年。ISBN 978-4334707965
  • Boyne, Walter J. (2011). How the Helicopter Changed Modern Warfare. Pelican Publishing Company. ISBN 978-1589807006 
  • Shrader, Charles R. (1999). First Helicopter War, The: Logistics and Mobility in Algeria, 1954-1962. Praeger Pub Text. ISBN 978-0275963880 
  • Pouget, J. (1964). “The Armed Helicopter”. Military Review (Command and General Staff School) (44): 81-96. https://books.google.co.jp/books?id=iLhFAQAAIAAJ&pg=RA4-PA81#v=onepage&q&f=false. 
  • Weinert, Richard P. (1991). A History of Army Aviation - 1950-1962 (Report). TRADOC. https://apps.dtic.mil/dtic/tr/fulltext/u2/a236573.pdf. 

関連項目[編集]