支那駐屯歩兵第1連隊

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支那駐屯歩兵第1連隊
創設 1936年昭和11年)4月18日
廃止 1945年(昭和20年)
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 華北-満州-華中-華南
編成地 北平
通称号/略称 極2902
補充担任 佐倉連隊区
上級単位 支那駐屯歩兵旅団 - 支那駐屯混成旅団 - 支那駐屯兵団 - 第27師団
最終位置 江西省 南昌
主な戦歴 日中戦争
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支那駐屯歩兵第1連隊(しなちゅうとんほへいだい1れんたい、支那駐屯歩兵第一聯隊)は、大日本帝国陸軍歩兵連隊のひとつ。

1936年(昭和11年)に支那駐屯軍を強化した際、北平駐屯歩兵隊を改編して設けられた歩兵連隊である。連隊の衛戍地北平、補充担任は佐倉連隊区、初代連隊長は牟田口廉也大佐。

概要[編集]

1936年(昭和11年)4月18日、北支情勢の悪化に備え支那駐屯軍を強化した際、北平駐屯歩兵隊を改編し本連隊が編成され、新設の支那駐屯歩兵旅団に属した。

1937年(昭和12年)7月7日に盧溝橋事件が発生すると支那駐屯軍は朝鮮の1個師団と関東軍の2個混成旅団および内地の3個師団を隷下に入れ、同年8月31日に第1軍に改編され廃止された。支那駐屯軍廃止後本連隊は支那駐屯混成旅団に属し、翌1938年(昭和13年)3月12日からは支那駐屯混成旅団を改称した支那駐屯兵団に属した。

1938年(昭和13年)6月21日に支那駐屯兵団を改編して第27師団が編成された後は同師団に属し武漢作戦に参戦、武漢作戦終了後は天津に戻り駐屯していたが、1943年(昭和18年)6月に満州に移駐した。

1944年(昭和19年)2月からは大陸打通作戦に参戦、第一段の京漢陸路の打通を達成した。打通達成後第二段の湘桂作戦に参戦、その後遂贛作戦を終え広東に移駐、さらに上海方面に向け移動中に南昌で終戦を迎えた。

歴代連隊長[編集]

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 牟田口廉也 1936.5.30 -
2 長谷川基 1938.3.1 -
3 本村千代太 1939.3.9 -
4 川合祐三 1940.8.1 -
5 田浦竹治 1941.8.1 -
矢後孫二 1943.8.2 -

参考文献[編集]

関連項目[編集]