支謙

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支 謙(し けん、生没年不詳)は、中国三国の在家訳経者である。月氏の出身。恭明。またの名は

生涯[編集]

最初は華北で、支亮(支婁迦讖の弟子)に就いて学び、6か国語に通暁した。後漢献帝代の動乱を避けて南渡し、呉の孫権のもとに至った。呉では、博士となり、太子の孫登を補導した。孫登が亡くなると、穹窿山に隠居し、六十歳で亡くなったという。

その訳経活動は、黄武元年(222年)から建興年間(252年 - 253年)に至る。49経を漢訳した。また、梵唄も作り、仏教教理の庶民教化にも尽力した。康僧会による呉の地域での活動の先蹤として下地作りの役割をなした。

主な訳出経典[編集]

伝記資料[編集]