手話通訳

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手話通訳(しゅわつうやく)は音声言語手話間、または異なる手話間(例えば国際手話と日本手話)を変換して通訳すること、またはその行為をする人(手話通訳者)自体をさす場合もある。

歴史[編集]

手話通事の時代[編集]

日本では戦前、手話通訳のことを「手話通事」と呼んでいた。この頃は、手話通事の数は少数であり絶対的に足りなかった。また、聾者(ろう者)などの聴覚障害者に対する一般社会からの差別や偏見が厳しい時代でもあった。

みみずく手話通訳団の活動[編集]

1963年に日本で最も古い手話サークル「みみずく」が京都市で発足した。 当時は聾学校で手話が禁止され、手話通訳もいなかったため、聾者が聞こえる人と出会う機会は今よりずっと少なかった。 1967年に「みみずく」は日本初の手話通訳団である「みみずく手話通訳団」を結成した。  ボランティアの手話通訳が市役所などの行政窓口での手話通訳の活動を始めた。こうした活動が評価されて1969年に京都市は、手話通訳を職員として採用した。 手話通訳の制度が誕生するきっかけとなり、やがて全国に波及していった。

手話と口話法の論争[編集]

日本で最初の聾学校は、1878年に古川太四郎が設立した京都盲唖院である。ここに31名の聾唖生徒が入学し、日本の手話が誕生した。 しかし、しだいに聾学校では、手話で教育する方式と、口話法という、聾児に発音を教え、相手の口の形を読み取らせる教育方式の2つの流派に分かれていった。両者は長い間論争して対立していた。 日本では、戦後の長い期間、聾学校などの教育現場では、手話は排除される傾向であった。 1970年代の初め頃になり、転機が訪れて手話に対する再評価の動きが生まれて地域の手話サークルの活動が活発化して徐々に手話が普及していった。 やがて、手話奉仕員や認定手話通訳者などの制度が整備されてきた。 1989年(平成元年)になると厚生労働大臣認定の手話通訳士の資格ができると、手話や聴覚障害者を題材にしたテレビドラマの影響などで 一般社会にも認知度が高まってきた。

手話通訳の資格制度[編集]

厚生労働大臣認定の手話通訳士[編集]

厚生労働省が聴力障害者情報文化センターに実施を委託している手話通訳技能認定試験に合格し、聴力障害者情報文化センターに登録することで資格が得られる。手話通訳士業務独占ではなく、名称独占にとどまっており、この資格が無ければ通訳ができないという場面は政見放送裁判などのごく一部に限定されている。厚生労働大臣認定の手話通訳士の資格を持つ人は2010年4月20日現在で2,594人。「手話通訳技能認定試験」は1989年(平成元年)から始まり、現在までの平均合格率は約20%となっている。

都道府県認定の手話通訳者(民間資格)[編集]

都道府県には、「都道府県認定の手話通訳者」が設置されている。手話通訳者の養成は主に都道府県が認定した民間機関(全国手話研修センター)が実施する手話通訳者全国統一試験に合格しなければならない。 手話通訳者全国統一試験に合格した後、都道府県の独自審査に合格すると「都道府県認定の手話通訳者」となる。当然手話通訳士の有資格者でもなることができる。 都道府県の手話通訳者認定制度には法的根拠は無く、省令による都道府県独自の制度を持つ場合もある。 通訳者を養成する為、手話通訳者養成講座が開講されており基本課程及び応用課程そして実践課程に分けられるが、修了者には修了証が交付される。養成講座修了者のみが受験資格が与えられると誤解を受けやすいが、手話通訳全国統一試験の受験資格要件は他にもあり、養成講座を受けていない者でも受験する事が可能である。

市町村の手話奉仕員[編集]

市町村には手話奉仕員が設置されている。手話奉仕員の養成は「『障害者の明るいくらし』促進事業」及び「市町村障害者社会参加促進事業」に基づいて行われている。市町村の手話奉仕員になるためには、市町村が実施する手話奉仕員養成講座の修了が必要である。 手話奉仕員養成講座は入門課程と基礎課程に分かれており、基礎課程を修了し、登録すると手話奉仕員となる。 登録に際して試験を課している市町村もあるが、自己申請で登録できる市町村もある。また、厚生労働省障害者社会参加促進事業の中で手話奉仕員の養成・派遣事業を行なっている地方自治体も多くある。しかし、知識的、技術的な面において、手話通訳とは異なるもので、はっきりとした技術の差が見られる。

手話検定[編集]

民間資格として全国手話検定試験手話技能検定という検定試験がある。これらの検定試験は、ろう者との手話でのコミュニケーション能力を問うための検定試験である。

登録手話通訳者[編集]

手話通訳が必要な個人・団体に対し、手話通訳を派遣する制度(=手話通訳派遣事業)において、派遣される通訳者を(手話通訳者派遣事業)登録(手話)通訳者と称している。1970年に当時の厚生省により手話奉仕員養成事業が始まって以降、手話通訳が公的保障されるべきとの理念と養成されたボランティアの技術の生かし場所としてのいわゆる「おとしどころ」という妥協の中で、都道府県、ならびに市町村で次々と制度が作られていった。 2006年「障害者自立支援法」施行の中で手話通訳が地域生活支援事業のひとつとして正式に位置づけられた。今後市町村での制度拡充が期待される反面、定率負担という考え方が導入される恐れがある。この動きに対して全日本ろうあ連盟等関係団体が「聴覚障害者のコミュニケーションの権利を奪うものだ」として、従来の公的負担を引き続き行っていくよう求めている。

手話通訳の養成校[編集]

福祉関係の学校ではカリキュラム内に手話を取り入れているところもあるが、主に手話のさわり、もしくは簡単な会話が出来る程度のものであり、手話通訳が出来るレヴェルにはなっていない。手話通訳が出来るレヴェルまで組み立てているカリキュラムを持つ学校は数少ない。 手話通訳者の養成を行っている次のような学校がある。

  • 世田谷福祉専門学校手話通訳学科
  • 日本福祉教育専門学校社会福祉学科手話通訳専攻
  • 国立障害者リハビリテーションセンター学院手話通訳学科

手話通訳者の倫理[編集]

手話通訳者の倫理を定めたものとして1997年(平成9年)5月4日に日本手話通訳士協会が定めた7項目から成る「手話通訳士倫理綱領」がある。これには、人権擁護、聴覚障害者の主体的社会参加への支援、倫理観の遵守、守秘義務、技術及び知識の向上、人権侵害や反社会的目的への関与に関する注意、研究・実践への積極的参加について書かれている。

職業病[編集]

手や腕、肩を酷使する手話通訳を長く続けていると、次第に手、腕、肩の部分が痛くなる。症状が進むと個々に症状は違いがあるが、腕が使えなくなり、めまい、立ちくらみ、眼精疲労、精神神経症的な症状等々が発症し、手話通訳が出来なくなってしまう。
頸肩腕症候群は長時間にわたる同一姿勢での作業で症状が誘発、悪化するため、職業病的要素をはらんでいる。
手話通訳者だけでなく、保育士、看護師、介護士、長期にわたるVDT作業をする人、ミシン縫製、アイロンがけ、クラシック音楽指揮者も患う職業病である。また、近年では手話講師を務めるろう者の間にも見受けられる。
予防策としては手話通訳を長時間続けない、適度に休みを取る、上肢への負担の軽減、作業環境の改善、精神的な緊張の緩和などがある。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]