松岡古墳群

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手繰ヶ城山古墳墳頂部

松岡古墳群(まつおかこふんぐん)は、福井県吉田郡永平寺町にある古墳群である。国の史跡に指定された4古墳を指すことが多いが、近接している史跡でない古墳を含める場合もある[1]

九頭竜川の南側、福井平野の東端に位置する尾根上に分布する。前方後円墳4基と陪塚3基からなり、九頭竜川の水利権を押え流域各地区の首長の上に立った「越の国の王」ともいうべき大首長の墓と考えられる[2]

1977年12月5日に手繰ヶ城山古墳が国の史跡に指定され、2005年7月14日に他の3基を追加指定した上で登録名称が「松岡古墳群」に変更された[3]

九頭竜川を挟んだ向かいの丘陵上には、国史跡六呂瀬山古墳群が分布している。

古墳 (国の史跡)[編集]

手繰ヶ城山古墳[編集]

全長約129mの前方後円墳で松岡古墳群中で最大規模[2]。くびれ部付近に造出状の遺構があり、その先端に陪塚の方墳が位置する。墳丘は2段築成で、河原石を用いた葺石が存在する。墳頂部と中段平坦部には円筒・朝顔形埴輪が巡っている[4]4世紀中葉頃に築造されたものと考えられる[2]

鳥越山古墳[編集]

5世紀中葉頃に作られた前方後円墳で地山削り出しで作られた全長53.7mである。後円部頂およびくびれ部より埴輪が出土している。舟形石棺直葬墓と竪穴系横穴式石室が見つかっている。石砥石馬具製品・土器などが出土している。[2]

石舟山古墳[編集]

全長79.1mの2段築成された前方後円墳[2]、前方部先端に陪塚の方墳を有する。埴輪が巡らされている。盗掘を受けたとみられ、副葬品は見つからず、墳丘主軸平行に縄掛突起の付く舟形石棺の棺身のみが残る。[5]。築造年代は5世紀中葉頃と考えられる[2]

二本松山古墳[編集]

5世紀後葉頃に作られたとみられる全長89mの二段築成の前方後円墳で、前方部の東側に陪塚を有する。明治13年と同39年の調査では、舟形石棺とその副葬品として銅鏡管玉鉄剣・鉄・刀装具などが発掘されている。埴輪が外側に見つかっている[2]

古墳 (国の史跡でないもの)[編集]

春日山古墳[編集]

福井県の史跡。

乃木山古墳[編集]


脚注[編集]

  1. ^ 松岡古墳群案内図 (永平寺町教育委員会設置)
  2. ^ a b c d e f g 福井県の文化財 文化財詳細
  3. ^ 松岡古墳群 - 文化遺産オンライン文化庁
  4. ^ 「日本古墳大辞典」386頁
  5. ^ 「日本古墳大辞典」47頁

関連項目[編集]

座標: 北緯36度05分35.0秒 東経136度18分53.2秒 / 北緯36.093056度 東経136.314778度 / 36.093056; 136.314778