扇島
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地理 | |
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場所 | 東京湾 |
座標 |
北緯35度28分47.8秒 東経139度43分5.5秒座標: 北緯35度28分47.8秒 東経139度43分5.5秒 |
面積 | 6.717 km2 (2.593 sq mi)2005年時点、両市分の単純合計 |
国 | |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 横浜市、川崎市 |
区 | 鶴見区、川崎区 |
人口統計 | |
人口 | 0 |
人口密度 | 0 /km2 (0 /sq mi) |
扇島(おおぎしま[1]、おうぎしま[2])は東京湾にある、神奈川県川崎市川崎区扇島並びに横浜市鶴見区扇島に属する、埋立地である人工島。面積は川崎市側が3.96 km2[3]、横浜市側が2.76 km2[4]である。重要な港湾施設があり、他国船舶も停泊するため、国際テロリズムを防止する海上における人命の安全のための国際条約が適用され、関係者以外の立ち入りや島内部についての情報公開は厳しく禁止されている。
地理[編集]
北を京浜運河に、南を東京湾に面した人工島である。中央部を東西に首都高速湾岸線が通過しており[5]、また東扇島から別に橋が架かっている。一帯はJFEスチール東日本製鉄所京浜地区や石油の備蓄基地などがある[5]。他国と物資のやり取りを行う重要な港湾施設が設けられており、国際条約に基づいて国際テロ発生のリスクを排除する必要があるため、上陸可能な人物については厳格に管理されている。
島内中央部を南北に市境が貫いているが、市境南端は同一地点(北緯35度28分11秒東経139度43分31秒)に川崎市最南端と横浜市最東端が位置する[6]珍しい場所となっている。
歴史[編集]
当地はもともと海であったが、京浜運河の開削にあたり、浚渫された土砂を、京浜運河の堤外であった当地に捨てた結果、砂州が形成された[5]。そして、昭和初期には扇島海水浴場へと発展した[7]。この時点では埋立地としての造成は行われなかった。その後、1958年(昭和33年)には日本鋼管の原料置き場として整備が行われた[8]。
扇島計画[編集]
日本鋼管京浜製鉄所は工場群が10ヶ所に散在する状態で、そしてそれぞれが市街地に存在し、配置も合理的ではないことから、公害対策や生産性の向上を図ることも困難となっていた[9]。こういった状況を一気に解決するための手段として、扇島を埋め立て拡張して生産拠点をそちらに統合するという「扇島計画」が1969年(昭和44年)3月に策定された[9]。公害防止協定が1970年(昭和45年)12月に締結され[10]、また埋め立て許可に関わる漁業権交渉は東扇島や大黒埠頭と一括で進められ、1971年(昭和46年)12月に埋立が免許された[10]。
埋立予定の海域は水深が平均10m、最深部では16mあり、またシルトが堆積する軟弱地盤と、条件はあまりよくない地であった[11]。その中でも、千葉県富津市の浅間山から[11]一日あたり10万m3という土砂を運び[12]、また堆積したシルトを取り除かず、上に土砂を均等散布することでシルトを固めるという、工期や土砂の縮減・環境汚染の防止を図ったサンドマット工法を採用した[12]こともあり、当初は5年かかると見積もられていた埋立工事が3年9ヶ月で終了した[11]。これらの土木工事に対し、1975年(昭和50年)には土木学会技術賞が授与されている[13]。また、首都高速湾岸線に用地を提供したほか、山土で埋め立てたという環境の中で、130万m2が緑化されている[14]。
埋立と並行して製鉄所の整備が行われ、1976年(昭和51年)11月には第一高炉の火入れが[13]、1979年(昭和54年)7月には第二高炉にも火入れが行われた[15]。それと前後して、従来の地区にあった7つの高炉は、1978年(昭和53年)12月までにすべての火が消えた[15]。また、隣の東扇島と連絡する、長さ620m・4車線の扇島大橋も架けられたが、この橋の中央部184mは、日本鋼管自身の清水造船所で組み立てられ、完成した1210トンの橋桁を直接架設するという工法が採られた[16]。
地名の由来[編集]
「扇島」の名は扇町の沖合いに位置することに由来する[5][17]、あるいはできた砂州が扇形であったことから[5]の自然発生的な呼称とされる。
交通[編集]
海上における人命の安全のための国際条約で定められた重要な港湾施設があるため、厳重な警備体制が敷かれており、JFEスチール主催の見学会などの非常に限られた場合を除き、関係者以外が島に立ち入ることはできない。また、見学会では所定の控室を除いて写真撮影が禁止されている。許可なく上陸すると、刑罰が科せられると共に、国際条約にも抵触する可能性がある。
主な施設[編集]
- JFEスチール東日本製鉄所扇島地区 - 川崎市川崎区、横浜市鶴見区- 水江地区とは海底トンネルでつながっている。
- JX日鉱日石エネルギー扇島風力発電所(川崎製油所跡地) - 川崎市川崎区
- 東京ガス扇島LNG基地(LNG地下貯蔵タンク) - 横浜市鶴見区
- 扇島パワー(LNG火力発電所)(東亜石油貯油地跡地) - 横浜市鶴見区
- 扇島太陽光発電所 - 川崎市川崎区
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ “所管区域一覧”. 川崎市川崎区. 2010年7月23日閲覧。
- ^ “横浜市鶴見区の町名一覧 (PDF)”. 横浜市 (2009年10月19日). 2010年7月23日閲覧。
- ^ “町丁別面積(総務省統計局 統計GIS) (XLS)”. 川崎市 (2005年). 2012年6月26日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “鶴見区国勢調査データ (XLS)”. 横浜市 (2005年10月1日). 2012年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e 『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年、99-100頁。
- ^ 神奈川県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系) 国土地理院、2014年4月5日(2014年8月22日閲覧)。
- ^ インタラクティブかわさきネットワーク. “鶴見線 (PDF)”. ディスカバリーかわさき かわさき区の宝物. 川崎区役所 区民協働推進部 地域振興課まちづくり推進係. 2010年7月23日閲覧。 “京浜運河の開削によって浚渫した土砂を投棄していた場所が次第に砂州となり海水浴場へと発展した。昭和初期のことである。現在の扇島(日清製粉の沖合あたり)は“遠浅・近い・きれい”という三拍子そろった「扇島海水浴場」として、ひと夏に20万人もの多くの人出でにぎわい、春には潮干狩も行われた。現在の田辺新田、竹の下踏切あたりには昭和6年(1931年)8月に夏季限定の鶴見臨港鉄道「海水浴前」駅が開業し、ここから扇島まで動力船に曳航される渡し船が海水浴客を運んでいた。”(引用文中の誤表記は修正)
- ^ 『日本鋼管株式會社七十年史』、pp.74-75。
- ^ a b 『日本鋼管株式會社七十年史』、p.93。
- ^ a b 『日本鋼管株式會社七十年史』、p.119。
- ^ a b c 『日本鋼管株式會社七十年史』、p.120。
- ^ a b 『日本鋼管株式會社七十年史』、p.121。
- ^ a b 『日本鋼管株式會社七十年史』、p.124。
- ^ 『日本鋼管株式會社七十年史』、pp.130-131。
- ^ a b 『日本鋼管株式會社七十年史』、p.125。
- ^ 『日本鋼管株式會社七十年史』、p.123。
- ^ 『角川日本地名大辞典』14 神奈川県、「角川日本地名大辞典」編纂委員会編、角川書店、1984年6月、167頁。ISBN 978-4-04-001140-0。「対岸の川崎市川崎区扇町の沖合にある島という意味で、自然発生的に呼ばれるようになったという(横浜の町名)。」 典拠となっている『横浜の地名』 横浜市市民局総務部住居表示課編、横浜市(時期的に1982年発行の初版と考えられる)の記述は未確認。
参考文献[編集]
- 『日本鋼管株式會社七十年史』日本鋼管、1972年。
外部リンク[編集]
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