仙台市戦災復興記念館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戦災復興記念館から転送)
仙台市戦災復興記念館
Sendai City War Reconstruction Memorial Hall
情報
通称 戦災復興記念館
完成 1981年3月
開館 1981年4月
客席数 記念ホール:270席
研修室:64席
延床面積 6,551m²
用途 コンサートホール展示室会議室
運営 仙台ひとまち交流財団・東北共立グループ(指定管理者[1]
所在地 980-0804
宮城県仙台市青葉区大町二丁目12番1号
位置 北緯38度15分39秒 東経140度52分1.6秒 / 北緯38.26083度 東経140.867111度 / 38.26083; 140.867111
アクセス 該当項目参照
外部リンク 仙台市戦災復興記念館
テンプレートを表示

仙台市戦災復興記念館(せんだいしせんさいふっこうきねんかん)は、宮城県仙台市青葉区大町にある公共施設である。広瀬通晩翠通との交差点近くの肴町通沿いにある。仙台空襲からの復興を記念して建設された。

宮城野区太白区若林区における「文化センター」や泉区の「泉文化創造センター」と同様、青葉区の「文化センター」としての役割も果たしており、コンサートホール会議室等を備えている。

概要[編集]

仙台市は、太平洋戦争中の1945年昭和20年)7月10日仙台空襲で市街地が焦土と化したため、戦後1946年昭和21年)に戦災復興都市計画が策定された。岩戸景気の中、1961年昭和36年)に復興関連諸工事が完了すると、全国の公害問題を意識して1962年昭和37年)3月16日に「健康都市宣言[2]」を採択して復興後の都市計画の方向性を示し[3]1973年昭和48年)3月27日に「杜の都の環境をつくる条例[4]」、1974年昭和49年)9月28日に「広瀬川の清流を守る条例[5]」を制定していくことになる[6]

このような戦災からの復興を記念し、15億9千万をかけて当館は建設され、1981年昭和56年)4月に開館した。資料展示室の展示内容は、藩政期から現在までの仙台の歩みが網羅されているが、上述のような戦後復興期から高度経済成長期を中心に展示がなされている。なお、戦後混乱期1945年昭和20年)9月から1957年昭和32年)まで仙台にアメリカ軍が進駐していたが、その資料収集は榴岡公園にある仙台市歴史民俗資料館が主に行っている。

300席前後の固定席ホールがある仙台市の公共施設には、当館の他に仙台駅近くの仙台市シルバーセンター交流ホール(304席)、五橋駅前の仙台市福祉プラザふれあいホール(302席)がある(参照)。

2020年令和2年)11月、仙台市は老朽化のため戦災復興記念館を将来的に廃止する方針を固めた[7]。廃止後の仙台空襲や戦災復興事業の記録の保存や展示の在り方について検討されていた[7]が、2021年(令和3年)7月から2022年11月まで休館、大規模改修工事を行う[8]

施設[編集]

5階
4階
  • 研修室(シアター。固定席:64席)
  • 第一会議室・第二会議室・第三会議室・第四会議室・第五会議室
3階
2階
  • 記念ホール(コンサートホール。固定席:270席)
  • レストラン「トップ」:40席
1階
  • 資料展示室(小・中学生:50円、一般:100円)
  • 資料図書コーナー
  • 会館事務局
  • グランドロビー
地下1階
  • 展示ホール(185m2。移動席150席設置可)

イベント[編集]

利用者数・決算[編集]

仙台市に提出された指定管理者評価シート[10] に記載されているデータは以下の通り。


2005年度[11] 2006年度[11] 2007年度[12]
利用者数 160,492人 165,307人 179,977人
市の支出 指定管理者費用 1億2710円 1億1500万円 1億1540万円
その他 183万円 463万円 611万円
市の収入 使用料 3130万円 3422万円 3792万円
その他 87万円 90万円 96万円

アクセス[編集]

仙台市地下鉄
仙台市営バス
  • 仙台駅西口バスプール
    • 10番ポール:「西道路経由折立・西花苑団地・茂庭台」行きに乗り、乗車約7分で「東北公済病院・戦災復興記念館前」バス停で下車、徒歩で約2分。
    • 15番ポール全路線・16番ポール:「広瀬通経由交通公園・川内(営)」行きに乗り、乗車約7分で「東北公済病院・戦災復興記念館前」バス停で下車、徒歩で約2分。
徒歩
タクシー

脚注[編集]

関連項目[編集]

周辺の施設
その他の仙台の歴史関連収集施設

外部リンク[編集]