慕華館

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慕華館
1897年の独立門(右)建立時に柱を残して撤去された迎恩門(左)。独立館に改名された慕華館(中央)。
各種表記
ハングル 모화관
漢字 慕華館
日本語読み: ぼかかん
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慕華館(ぼかかん)または慕華楼(ぼかろう)は、中国皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代のが、中国皇帝の使者を迎えるための施設である[1]

「慕」は、朝鮮語で「サモハダ(思慕する)」=「心から愛する」、「華」は、中国であり、「慕華」とは、「中国を心から愛する」という意味であり、中国に対する事大・中国に対する服属を象徴する施設であった[2]

概要[編集]

使者を迎えるにあたって、迎恩門だけでは困るため、その隣に慕華館を建設した。使者が迎恩門を通過して慕華楼に入り李氏朝鮮国王は慕華館において使者に拝礼を繰り返した[2]

19世紀末、独立協会の会員によって迎恩門は基部を残して破壊され、独立門が作られ、慕華館は独立館に改名された[1]

朝鮮国王は、満洲人の使節が来ると、みずから高官を従えて迎恩門まで歓迎に赴き敬意を表し、宴会を催し、を披露して接待しなければならず、李氏朝鮮太子は慕華館で満洲人の勅使に酌の礼をするのが最大の役目だった[3]。これは、現在行われているような、国賓を出迎えるため空港儀仗隊を整列させるといった儀礼とはまったく異なる性質のものである[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b 岸本美緒宮嶋博史『明清と李朝の時代』中央公論社〈世界の歴史 12〉、1998年、348頁。ISBN 978-4124034127 
  2. ^ a b シンシアリー (2013年11月8日). “「慕華」という名前”. オリジナルの2016年11月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161104074950/http://ameblo.jp/sincerelee/entry-11677698377.html 
  3. ^ a b 黄文雄 (2022年1月14日). “「中国が世界で一番信用できない」韓国人が日本より中国を嫌う訳”. オリジナルの2022年2月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220206014926/https://www.mag2.com/p/news/524520/2 

関連項目[編集]