惠隆之介

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惠 隆之介
(めぐみ りゅうのすけ)
生誕 1954年
沖縄県
所属組織 Naval Ensign of Japan.svg 海上自衛隊
軍歴 1978年(昭和53年) -
1982年(昭和57年)
最終階級 2等海尉
除隊後 作家
ジャーナリスト
拓殖大学日本文化研究所客員教授
八重山日報論説委員長
「沖縄と尖閣を守る会」代表
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惠 隆之介(めぐみ りゅうのすけ、1954年 - )は、日本評論家ジャーナリスト。元海上自衛官で、現在は軍事分野の評論を中心に活動している。

来歴[ソースを編集]

沖縄県コザ市(現:沖縄市)生まれ[1]1978年(昭和53年)に防衛大学校管理学専攻コースを卒業し(第22期)[2]海上自衛隊に入隊。海上自衛隊幹部候補生学校、世界一周遠洋航海を経て護衛艦隊に勤務した。1982年(昭和57年)に二等海尉で退官し、琉球銀行に勤務。その後、米軍基地就職学校「グロリア・ビジネススクール」校長、拓殖大学日本文化研究所客員教授、シンクタンク「沖縄と尖閣を守る会」代表などを務めている。

2012年(平成24年)[1]から八重山日報論説委員長を務めていた[1][3]が、2013年(平成25年)3月をもって辞任した[1]

評価[ソースを編集]

日下公人は惠の2012年の著書『誰も語れなかった沖縄の真実』について「凡百の沖縄論を圧倒する広い視野と高い見識と精緻な事実認識」と評価した[4]

主張[ソースを編集]

第二次世界大戦における沖縄県人への見方[ソースを編集]

  • 第二次世界大戦太平洋戦争大東亜戦争)において「沖縄県人は日本国民としての意識が高く、進んで軍と協力して戦った。」と主張している[5]。また、日本軍は命がけで沖縄県民を守ったと主張している[6]沖縄戦における集団自決については、集団自決が現地日本軍の命令で行われたとする見方を否定している[7]

戦後の沖縄について[ソースを編集]

  • 「沖縄には被害者史観による呪縛がある、日本政府は1972年(昭和47年)の復帰時から2000年(平成12年)まで沖縄に10兆4018億円も投じているのに県民に改善の意欲が見られない。」と述べている[8]。また、「旧日本軍の美徳は報道されず、歪められた内容が知れ渡っている。」と述べている[9]

国防・安全保障[ソースを編集]

番組出演[ソースを編集]

著書[ソースを編集]

出典[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]