悲しみの聖母

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悲しみの聖母
Sancta Mater Dolorosa
(Our Lady of Sorrows)
Salamanca - Iglesia de la Vera Cruz 12.jpg
十字架の足元で七つの剣に胸を刺されている聖母
スペインサラマンカ
崇敬する教派 カトリック教会
記念日 9月15日
象徴 聖母マリアが七つの矢で心臓を貫かれて血を吹き出し、涙を流しながら悲しみに沈んでいる姿
守護対象

ポーランドスロバキアマルタアメリカ合衆国・ミシシッピ州, セブ島・ロンダ,

タナワン・ブストス、 フィリピン国ブラカン州

悲しみの聖母 (かなしみのせいぼ:ラテン語:Beata Maria Virgo Perdolens) は、マリアの人生における悲しみに関連した称号・信心であり、嘆きの聖母・悲しみの御母・慈愛の聖母・七つの悲しみの聖母・七つの嘆きの聖母などといった称号で呼ばれることもある。また、カトリック教会におけるマリア美術(en:Marian art)の主題でもある。

「マリアの七つの悲しみ」は、カトリック教会の信心業の中でも普及しているものである。カトリック教会における共通した宗教画として、聖母マリアが、悲しみにくれて涙を流し、7つの矢に心臓を貫かれ、しばしば流血している姿が描かれる。

この信心業における祈祷文も、聖母の悲しみを瞑想することから成り立っており、これはルカ福音書に書かれているシメオンの予言を基にした聖母の七つの悲しみを詳しく述べるところから始まる。この「悲しみの聖母」における信心で一般的なものは、「七つの悲しみのロザリオ」( en:Rosary of the Seven Sorrows)や、「聖母の七つの悲しみのチャプレット」、そして最近では「聖母マリアの悲しみと汚れなきみ心」(en:Sorrowful and Immaculate Heart of Mary)がある。「悲しみの聖母」の祝日は、9月15日である。なお、「悲しみの金曜日」の祝日(en:Friday of Sorrows)にもいくつかのカトリックを信仰する国々において、「悲しみの聖母」への信心を行うこともある。

聖母マリアの七つの悲しみ[編集]

聖母マリアの七つの悲しみとは、聖母マリアの人生において起こった7つの出来事を指している。これは「聖母マリア 7つの悲しみの道行 」として一般的に普及している信心業であり、「聖母マリアの七つの悲しみ」の各シーンは、美術絵画としても頻繁に描かれるテーマである[1]

七つの悲しみは、ロザリオの5つの玄義と混同すべきではない。

  1. シメオンの予言 (ルカの福音書 2-34 35)
  2. エジプトへの逃避 (マタイの福音書2-13)
  3. 幼子イエスをイエルサレム神殿で見失う (ルカの福音書 2-34 35)
  4. 十字架の道行きでのイエスとの出会い
  5. ゴルゴタの丘でのイエスの磔刑 (ヨハネの福音書 19:25)
  6. イエスが脇腹を槍で突かれ、十字架から降ろされる(en:Descent from the Cross) (ヨハネの福音書19-34 19-38)
  7. アリマタヤのヨセフによるイエスの埋葬(en:Burial of Jesus) (ヨハネの福音書19-40)

この信心業は、「主の祈り」を1回、それぞれの7つの玄義ごとに「アヴェマリアの祈り」を1回ずつ唱える。なお、この信心業の行い方は、カトリック教会において一般的に行われているものである。

マリアの七つの悲しみに対する信心業[編集]

西方キリスト教(ローマ・カトリック教会)[編集]

七つの悲しみに囲まれたマリア

1233年の比較的初期において、修道会・「聖母のしもべ会」(または「僕会」 en:Servite Order)が7人の若者たちによって現在のイタリアトスカーナ州で設立された。その5年後には「十字架のもとに立った聖母の悲しみ」を自分たちの修道会の主な信心業とした[2]

数世紀が過ぎ、マリアの悲しみを黙想する信心業がいくつか出来上がり、聖職者たちもこれを行った。「聖母のしもべ会」は「七つの悲しみのロザリオ 」 (en:Rosary of the Seven Sorrows)と「聖母の七つの悲しみのスカプラリオ」(黒のスカプラリオ・en:Scapular of the Seven Dolours of Mary)という「聖母の悲しみ」に対する信心業を普及させた。なお、この「聖母の七つの悲しみのスカプラリオ」は「悲しみの聖母の会」(en:Confraternity of Our Lady of Sorrows)という世俗宗教団体のシンボルであり、この会は、「聖母の僕会」が設立した[3]。信心業として使われるスカプラリオには、装飾物やデザインなどの決まりがあるが、この「聖母の七つの悲しみのスカプラリオ」は黒のウール生地で作られることのみがその決まりとなっている[4]

「邪悪な心を解す聖母」 ロシアの聖画(アイコン)・19世紀

東方教会[編集]

東方正教会の聖画(アイコン)グラフティen:Eastern Orthodox iconography)を参照 2月2日、主の奉献の大祝日と同じ日に、正教会とカトリック教会は、「邪悪な心を和らげるもの」または「シメオンの予言」と呼ばれる生神女(聖母)の聖画(イコン)を記念して祝う。この聖画(イコン)は奇跡が起こると言われている[5][6]

この聖画(イコン)はシメオンがマリアに対して「そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。」(ルカ福音書2:35)と告げた瞬間を描いている。マリアは祈るように手を上げ、7つの剣がマリアの胸を突き刺しており、これが七つの悲しみを表している[5]。このマリアの聖画(イコン)は、幼児イエスを抱いておらず、このような聖画(イコン)は東方正教会においては数少ない。「喜びなさい。多くの悲しみを経験された神の母によって、私たちの悲しみは喜びに変えられ、邪悪な心は和らげられる」という東方正教会の讃美歌のフレーズは、今も使われている[6]

典礼による祝い[編集]

憐れみの聖母[編集]

「悲しみの聖母」は、同じような称号がたくさんあったにもかかわらず、この称号の祝日は12世紀に普及した。この「悲しみの聖母」に関する著作は、11世紀頃、ベネディクト会の修道士たちによって書かれたものがルーツだとされる[7]。聖母祭壇に「悲しみの聖母」を設置したのは1221年シトー会のシェーナウ修道院(Schönau)が初めてであるとされる。

最初に「悲しみの聖母」の祝日が公式に定められたのは、1423年、現在のドイツケルンで開かれた地方司教会議によるものだとされている。それによると、復活祭から3番目の日曜日の直後の金曜日で、その名称は「聖母マリアの苦悩と悲しみの記念日」とされており、この祝日の目的は、キリストが磔刑に処せられている間とキリストの死の瞬間の聖母の悲しみを瞑想することにある。16世紀以前には、この祝日は北ドイツ、スカンジナビア地方、そしてスコットランドに限定されていた[2]

カトリックの司祭ウィリアム・サウンダーズ神父によると、「この祝日は1482年にローマ・ミサ典礼書に"憐れみの聖母"の称号のもと、公式に記載され、聖母が御子の死を悲しむ姿に表されたその大きな愛に焦点を当てるものである。ここで使われている語は、ラテン語で"共に苦しむ"という語がルーツになっている。」[7]とされる。

「悲しみの聖母」の行進。これは1940にブラジルのモラからの移民によって始められた伝統行事。自分たちの故郷の守護を願って行われる。キャロル・ガーデンズ, アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ブルックリン

西暦1600年が過ぎた後、この祝日は、フランスにおいて「枝の祝日」の直前の金曜日とされることが一般的となった。1727年4月22日に、ローマ教皇ベネディクト13世が勅令でこの祝日をローマ・カトリック教会内に広めた[2]

聖母マリアの七つの悲しみ[編集]

1668年に、修道会「聖母のしもべ会」が申請していたこの「聖母マリアの七つの悲しみ」について、その祝日を別の日に分離することが認められた。この祝日は、9月の第3日曜日とされた。この祝日は、聖母の七つの悲しみを黙想することがその目的である。この祝日は1814年に教会暦に載せられ、ローマ教皇ピウス12世によって全てのカトリック教会に広められた。この祝日はその後、9月の第3日曜日に移行されたが、1913年にはローマ教皇ピウス10世がさらに9月15日、十字架称賛の祝日より数日後に移行した[8]。現在もこの祝日は同じ日付である。

なお、この「聖母マリアの七つの悲しみ」に関しては、聖週間と9月15日に祝典が行われており、双方ともそれぞれ、「聖母マリアの七つの悲しみ」の祝日、とずっと呼ばれ続けていた。そして、セクエンツィアとして、スターバト・マーテルを唱えることにもなっていた。このように、聖週間に行われていた祝典が9月15日の祝日に行われる祝典と2重になっているとして、1969年、教会暦から除去された[9]。その時から、残った方の9月15日が、「悲しみの聖母」の祝日であること、スターバト・マーテルを任意で唱えることとして知られるようになった。

悲しみの聖母を讃える行列聖週間の行事の一環として行われる。 メキシコ、コクラ、ゲレロ

1962年の教会暦における祝典が、現状においても特別形式のローマ典礼として未だ存在している。そしてこれは、1969年に、教会暦の使用を見直した地域にあっても同じである。マルタのように、1962年の教会暦を自らの地域における教会暦としている箇所がいくつか存在し続けた。全ての国々において、2002年版のミサ典礼書には、聖金曜日に集祷文を唱える選択肢が設けられている。 [10]


ギャラリー[編集]

マーテル・ドロローサ、悲しみの聖母として描かれる絵画は、カトリック教会におけるマリア美術en:Marian Artの主要な作品群として描かれ続けている。「マーテル・ドロローサ」は「スターバト・マーテル」(en:Stabat Mater)や、ピエタと並んで乙女マリアの悲しみを表現した著名3大芸術の一つである[11]


関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Ball, Ann (2003), Seven Sorrows of Mary, Huntington IN: Our Sunday Visitor, p. 525, ISBN 0-87973-910-X 
  2. ^ a b c Holweck, Frederick. "Feasts of the Seven Sorrows of the Blessed Virgin Mary." The Catholic Encyclopedia Vol. 14. New York: Robert Appleton Company, 1912. 15 September 2016
  3. ^ Order of Friar Servants of Mary: The Confraternity of Our Lady of Sorrows - retrieved on 22-Mar-2009
  4. ^ Francis de Zulueta, 2008, Early Steps In The Fold, Miller Press, ISBN 978-1-4086-6003-4, p. 301
  5. ^ a b Churchly joy: Orthodox devotions for the church year by Sergeĭ Nikolaevich Bulgakov, Boris Jakim 2008 ISBN 0-8028-4834-6 pages 10-11
  6. ^ a b Orthodox life, Volumes 54-55, Holy Trinity Monastery (Jordanville, N.Y.) page 7
  7. ^ a b Saunders, William. "The Feast of Our Lady of Sorrows", Arlington Catholic Herald, 2000
  8. ^ "Calendarium Romanum", Libreria Editrice Vaticana, 1969, p. 103
  9. ^ Calendarium Romanum (Typis Polyglottis Vaticanis 1969). p.119
  10. ^ Roman Missal, Friday of the Fifth Week of Lent
  11. ^ Arthur de Bles, 2004 How to Distinguish the Saints in Art by Their Costumes, Symbols and Attributes ISBN 1-4179-0870-X page 35

 この記事にはパブリックドメインである次の百科事典本文を含む: Herbermann, Charles, ed. (1913). "Feasts of the Seven Sorrows of the Blessed Virgin Mary". Catholic Encyclopedia. New York: Robert Appleton. 

参考文献[編集]

  • The Seven Sorrows of Mary, by Joel Giallanza, C.S.C. 2008, published by Ave Maria Press, ISBN 1-59471-176-3

外部リンク[編集]