志賀高原スキー場

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志賀高原スキー場
Higashinishidateyama.JPG
蓮池スキー場から見た西館山(左)東館山(右)
所在地 長野県下高井郡山ノ内町平穏7148・7149
長野県下高井郡山ノ内町志賀高原焼額山
長野県下高井郡山ノ内町奥志賀高原
標高 2,307 m / 1,325 m
(標高差) (982m)
コース面積 425ha
コース数 79本
最長滑走距離 6,000m
最大傾斜 39
索道数 50 本
ウェブサイト shigakogen-ski.com/

志賀高原スキー場(しがこうげんスキーじょう)は、日本スキー場長野県下高井郡山ノ内町に位置する。

概要[編集]

志賀高原スキー場は、上信越高原国立公園志賀高原をベースとする大小様々な規模のスキー場群の総称である。大小のスキー場の集合体であり、合わせた広さは(2016-2017シーズン時点で)425ヘクタールであり、日本最大である[1]。日本最大級の規模や豊富な積雪で知られ、ウィンタースポーツのメッカとも言える長野県下でも、最も有名かつ人気なスキー場の1つである。なお、横手山・渋峠スキー場の最高地点は海抜2,307mであり、通常のリフトを備えたスキー場としては日本で最も高い地点にある(シーズンに限り簡易のTバーリフトが設けられる千畳敷スキー場を除く)。

2017-2018シーズン現在18スキー場で構成され、50基のリフト・ゴンドラリフトがあり、全山共通リフト券で全てのエリアを滑走可能である。ただし滑走してのエリア移動ができない場所もあり、各スキー場を結ぶシャトルバスが運行されている。シャトルバスは2014-2015シーズン現在無料化されておりリフト券提示なしで乗車できる。例年11月後半より順次オープンし、12月に入るとすべてオープンする。標高の高い上層部では5月の大型連休まで、横手山など場所によっては5月の終わりごろまでオープンしている。また、ヘリスキーやツアースキーも行われている。

なお、志賀高原スキー場全体の標高差は982mだが、ゲレンデの山頂(横手山)と山麓(ブナ平の下部)とではエリアが異なるため、通しで滑走出来るコースは存在しない。複数エリアにわたるルートでは寺小屋-東館山-発哺ブナ平の730m、単一エリアでは横手山の602mが滑走可能な最大標高差となる。

画像右端 志賀高原・奥志賀高原スキー場
焼額山から見た一ノ瀬、高天原、タンネの森、寺子屋山スキー場
西館山から見た蓮池、丸池、ジャイアントスキー場
一之瀬エリアからみた焼額山スキー場
横手山スキー場

中央エリア[編集]

標高2,125mの寺小屋峰の中腹に広がる一の瀬ファミリー・タンネの森・高天ヶ原・東館山・西館山・寺小屋・発哺ブナ平・ジャイアント・蓮池・丸池・サンバレー(と焼額山側の一の瀬山の神・一の瀬ダイヤモンド)で構成される中央部(約173ha)はそれぞれのエリアが独自の特色をもち、それらが一体となり他のスキー場には無い多様性を醸し出している。ファミリー向けの施設が充実し一番人気を誇る一の瀬エリアや、ワールドカップで使用された大回転コースなど難関コース数多くのエキスパートから一目置かれるジャイアント・西館山エリア、幅150mを越える緩やかな斜面が続く発哺ブナ平エリア、玄関口に位置し、隣接するジャイアントコースへの連絡路設置により利用しやすくなった蓮池エリアなど、1日では滑り足りない程のコースバリーエーションが魅力である。この中央エリアのみ有効の共通リフト券も発売されている。

なお、丸池スキー場は日本初のリフト敷設スキー場である。

焼額・奥志賀エリア[編集]

中央部から奥志賀スーパー林道を挟んで相対する焼額山奥志賀高原エリア(約121ha)は、焼額山の東側斜面をふんだんに使った広々としたゲレンデである。各所からほぼ山頂までゴンドラで行けるため、眺望が素晴らしい。

とりわけ焼額山エリアは、要所に架けられたリフト、上級者から初級者までレベルを問わず爽快なクルージングが楽しめる種々のコースなど、プリンスホテル系列らしい行き届いたサービスが際立つ。五輪が開催されたオリンピックコースや最大斜度39度のエキスパートコースなど山頂を中心に左右に放射する20本のコースは自然の景観が素晴らしく、はるか北アルプスまでの眺望が可能。草津方面へのヘリツアーも行われている。

一方の奥志賀エリアは志賀高原の最奥に位置し、スキーやホテル関係を除き商業施設は無い。閑静な古き雰囲気を残し、ゆっくり楽しむ大人のリゾートとなっている。雪質も上々で、尾根伝いに左右に別れる約3kmのダウンヒルコースとなっている。急斜面には迂回コースが設置され、いわゆるちびっこ広場があったりスキースクールがあるなど初心者でも楽しめるための気配りも忘れていない。宿泊施設は奥志賀高原ホテル・ホテルグランフェニックス奥志賀のほか小さなペンション街も存在する。スキーシーズン以外も避暑や紅葉など通年リゾートとして機能している。長らくスキーヤー専用ゲレンデだったが、2015-2016シーズンからスノーボードが解禁された。

頂上部での焼額山第一ゴンドラ降り場・奥志賀間の連絡路は、200mほど距離があり、どちらに行くにしても漕がなければならず、行き来はあまり楽ではない。奥志賀高原がスキーヤー専用だったころはスキーヤーの往来しか無かったがスノーボードではさらに不便だと思われる。2015-2016シーズンからここにロープトーが設置されたことになっておりスキー場で配布されているゲレンデマップにも記載があるが、2015-2016シーズン中は稼働しなかったようである。2016-2017シーズンのゲレンデマップではロープトーの記載は無くなった。

渋峠・横手山・熊の湯エリア[編集]

群馬県との境界に程近いこのエリアは、最高地点標高2,307mの横手山から最下部笠岳までを結ぶゲレンデ(131ha)となっている。熊の湯エリアのモーグルコースのコブ斜面、横手山の眼下に広がる大パノラマ・パウダースノー・全長約4kmにも及ぶロングコース等が好評。宿泊施設の多い熊の湯エリアは古くから温泉地としても知られる。また標高が高いため気温が低く、冬季は自然の厳しさを十二分に満喫する事が可能で、横手山・渋峠スキー場では、例年5月下旬まで営業している。

熊の湯から横手山へは連絡コースがあり滑り込みができる(国道292号冬季通行止め区間を滑る横手山の初心者コース(道路周りコース)に接続する)。 逆に、横手山から熊の湯への移動はあまり楽ではない(横手山のゲレンデ最下部は国道292号(冬期にも通行止めになっていない区間)に面しているが、熊の湯のゲレンデへは、そこからスキーを外し国道を横断して250mほど歩く必要がある)。

2009年冬より前山スキー場・笠岳スキー場が営業休止となっている。

なお、横手山エリア・熊の湯エリアは長くスノーボード禁止で、スキーオンリーのゲレンデとしては国内随一の規模を誇っていた。しかし、2007-2008シーズンより横手山と渋峠が1つのスキー場として生まれ変わったのに伴い、山頂付近の一部と熊の湯を除きスノーボードの滑走が可能となった。 そして2015-2016シーズンより熊の湯全コースと横手山・渋峠の山頂部でもスノーボードが解禁された。現在志賀高原でスキーオンリーとなっているのは横手山クイーン第5・第6の2コースのみである。

中央エリアと渋峠・横手山・熊の湯エリアとの中間ほどの地点に木戸池スキー場がある(志賀高原索道協会では渋峠・横手山・熊の湯エリアに含めていたが、他とは独立したロケーションであり滑り込みはできない)。リフトは、丘の頂上に中間駅があり、そこで降りないと向こう側のふもとへ下ってしまう、珍しいタイプのペアリフト1基のみがある(丘の北側のゲレンデと南側のゲレンデの両方を1本のリフトでカバーしている)。初心者コースのみの小さなゲレンデであり、木戸池温泉ホテルのプライベートゲレンデ扱いであるが、志賀高原全山券での滑走も可能であった。2016-2017シーズン、木戸池リフトは、週末のみ一般向け営業・平日は学生団体客専用として運行されていた。志賀高原索道協会では2016-2017シーズンまでは「19スキー場」と称していたが、2017-2018シーズンから「18スキー場」となり、木戸池スキー場はゲレンデマップに掲載されなくなった。

歴史[編集]

1913(大正2)年に横浜在住のドイツ人貿易商パウル・キンメル(第一次大戦中日本に帰化し金原良次と改名し日本精工の取締役を務めた)が上林温泉を訪れ、持参したスキーで付近の畑などで滑ったのが当地のスキーヤー第1号で、その後1919(大正8)年に理学博士の湯本清比古らが発哺温泉付近の山を滑った[2]。1920(大正9)年に「信州山ノ内スキー倶楽部」が結成され、1922(大正 11)年にスキー大会が開催された[2]

1927(昭和2)年に土地所有者による財団法人和合会が設立され、長野電鉄湯田中駅を開業するなど、一帯の開発が始まり、翌年上林遊園地付近のスロープをスキー場として整備したのが志賀高原スキー場開発の始まりである[2]。1929(昭和4)年にノルウェーのヘルセット中尉一行が来訪し、志賀高原一帯がスキー場に最適であることを認め、「東洋のサンモリッツ」と称賛した[2]

1930年に長野電鉄、和合会、平穏村村長により「志賀高原」と命名され[2]、同年、志賀高原スキー場として開業し、1937年(昭和12年)には、来日観光客を増やして外貨獲得を目指す政府の観光政策により,妙高赤倉菅平とともに「国際スキー場」に指定された[1]1947年(昭和22年)には、終戦処理に基づく賠償業務の一環として札幌藻岩山スキー場とともに、志賀高原丸池スキー場に進駐軍専用のスキーリフト各1基が架設され、これが日本初のスキーリフト建設となった[1]

1952(昭和27)年に米軍の接収が解除されるとリフトを含むスキー場施設は長野電鉄に払い下げとなり、同社によるスキー場経営が始まった[1]。1960(昭和35)年には映画『白銀城の対決』の、1987(昭和62)年には映画『私をスキーに連れてって』のロケ地となった[1]1998年には白馬八方尾根スキー場等とともに長野五輪のアルペン競技の主要会場の1つとなり、72の国・地域の選手達によって激戦が繰り広げられた。

交通アクセス[編集]

  • 道路
    • 冬季は日本最高所の国道峠である国道292号渋峠(標高2172m)は通行止となるので、群馬県草津町方面からアクセスはできない。上信越自動車道信州中野ICから志賀中野有料道路を経由して中野市から国道292号で向かうのがよい。この国道はオリンピック以降快走路となっており、途中には一風変わったループ橋がある。しかしながら湯田中辺りをすぎると峠道である事には変わりなく、事故も多い。特にいくつかあるトンネルは、途中でカーブしている事もあり、凍結による事故が非常に多い(道路に雪が無くてもトンネル内は凍結している場合も多い)ので十分な注意が必要である。
  • 鉄道およびバス
    • 長野電鉄湯田中駅下車、長電バスの路線バスで約30分(目的地のスキー場によって所要時間は異なる)。
    • JR東日本北陸新幹線長野駅下車、長電バスの急行バスで約70分。湯田中まで鉄道を使う場合とほとんど変わらない。
    • 飯山駅下車、長電バスの急行バスで約70分。
    • 首都圏ターミナル駅や関西などからスキーバスも多く運行されている。
    • スキーシーズン中は、長電バスの路線バスが一部の時間帯に志賀高原エリア内においてスキーシャトルバスとして運行され、無料で乗車することができる。なお、スキーシャトルバスの運行終了時刻はリフトの運行終了時刻に近く、ぎりぎりまで滑ると乗り遅れる可能性があるため、時刻の確認が必要。スキーシャトルバス運行時間帯以外は通常の路線バスのみとなり、乗車には運賃が必要。かつては志賀高原スキー場共通リフト券(ICチケットに限る)所持者で、乗車時点で有効のものであれば、そのリフト券でスキーシャトルバスに乗車することができた。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e ポストバブル期のスキー場経営の成功要因柴田高、東京経済大学会誌、2014年12月17日
  2. ^ a b c d e 山岳リゾートの再考清水聡子、松本大学研究紀要 第12号(2014年3月)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]