志村正彦

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志村 正彦
出生名 志村 正彦
生誕 (1980-07-10) 1980年7月10日
出身地 日本の旗 日本 山梨県富士吉田市
死没 (2009-12-24) 2009年12月24日(29歳没)
学歴 山梨県立吉田高等学校
ジャンル J-POP
ロック
職業 ミュージシャン
シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
ギター
活動期間 2000年 -2009年
レーベル 東芝EMI
EMIミュージック・ジャパン
2004年 - 2009年)
共同作業者 フジファブリック
公式サイト FUJIFABRIC.com

志村 正彦(しむら まさひこ、1980年7月10日 - 2009年12月24日)は、日本ミュージシャンロックバンドフジファブリックの元ボーカリストおよびギタリスト

人物[編集]

概要[編集]

大半の楽曲の作詞、作曲を担当していた。

主な使用機材はテレキャスター1968年製、レスポール2007年製。半音下げにはストラトキャスターを用いた。アンプはマッチレスDC-30。

小学校から中学校にかけては野球少年だったが、中学時代に奥田民生のライブを見て音楽の道を志す。それからは奥田民生を筆頭に、奥田の話すリスペクトミュージシャンを聴きこむ。進学校に通っていたため、「奥田のせいで道を外れた」と話していた[1][2]。その他にシェリル・クロウレッド・ツェッペリンAC/DCブラック・サバスなどの1960 - 1970年代のロックを聞き親しんでいた[3]

氣志團綾小路セロニアス翔星グランマニエ西園寺瞳はライブハウスのバイトの先輩だった。彼らの楽曲である「One Night Carnival」のインディーズ版には、志村がコーラスとして参加している[4]

メレンゲのクボケンジと親交が深かった。クボとは同じマンションに住み、互いの家に遊びに行く間柄である。お互いにメンバー以外で親友と呼べる唯一の存在であったことを公言している[5][6]

生前「志村會」という飲み会を開いており、志村のお別れ会の名称の由来にもなっている[7]

透き通った女性ボーカルが好きで、勧められた坂本真綾を好んで聴いていたという。なお、坂本もフジファブリックのファンである[8]。彼女の楽曲に山内が参加している。

電車に乗ろうとすると気分が悪くなるため乗れないと過去に話している[9]

来歴[編集]

  • 2000年に高校の同級生たちとロックバンドフジファブリックを結成。
    4月 - 志村が高校時代のコピーバンドのメンバーだった渡辺隆之、渡辺平蔵、小俣梓司と共に結成。ライブ活動をスタートさせる
  • 2001年
    8月 - 一時解散。
    9月 - 志村と渡辺に萩原彰人、加藤雄一、田所幸子を加えて再結成。デモテープ「茜色の夕日/線香花火」を録音する
    10月21日 - インディーズ1stアルバム『アラカルト』発表。
2009年12月24日に死去。死因は「病名不詳」とのみ公式発表されている。法名は「釈響正」。
新体制となって発表されたアルバム「STAR」以降、ブックレットにもメンバーの1人としてクレジットされている。
公式ウェブでも2011年12月までメンバーとして表記されていたが、現在は表記されていない。
  • 2010年
    1月21日 - 志村のお別れ会「志村會(しむらかい)」開催。
    11月27日 - 「東京、音楽、ロックンロール [完全版]」発売が決まる。
    12月10日 - 「志村正彦全詩集」発売が決まる。
  • 2011年
    1月28日 - 「東京、音楽、ロックンロール [完全版]」発売。
    2月22日 - 「志村正彦全詩集」発売。

他アーティストへの提供曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ ROCKIN'ON JAPAN』、ロッキング・オン、2009年8月号、95-99。
  2. ^ 『フジファブリック』 SPECIAL INTERVIEW
  3. ^ FAB BOOK : フジファブリック(角川マガジンズ、 2010年)「Personal Interview」より
  4. ^ 氣志團 COUNTDOWN JAPAN 09/10 レポート
  5. ^ 志村正彦 2009年12月27日 クボ「O.N.E DAY」
  6. ^ 2009-09-27 「志村日記2」
  7. ^ フジファブリック・志村正彦さんのお別れ会「志村會」開催 2010年1月21日 オリコン
  8. ^ 宮本ゆみ子Twitterでの発言(2011年1月19日)
  9. ^ 音楽と人』の本人インタビュー、『東京、音楽、ロックンロール』より

関連項目[編集]