志島古墳群

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志島古墳群の位置(三重県内)
志島古墳群
志島古墳群
志島古墳群の位置
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志島古墳群(しじまこふんぐん)は、三重県志摩市阿児町志島にある古墳群。1基が三重県指定史跡に、3基が志摩市指定史跡に指定され、11号墳出土の埴製枕が三重県指定有形文化財に指定されている。

概要[編集]

三重県東部、太平洋を見下ろす岬の丘陵台地上に営造された古墳群である。かつては13基以上が分布したが、現在は4基のみが遺存する[1]。これまでに4号墳・11号墳で発掘調査が実施されている。

4基のうち最古の11号墳(おじょか古墳)は、5世紀中葉-後半頃の築造とされる。全国的にも古い横穴式石室を持ち、北部九州の石室形態である点、全国的にも珍しい埴製枕を有する点で注目される。10号墳(上村古墳)は6世紀後半頃の築造とされ、石室内に長大な箱式石棺を持ち、珍しい金糸・銅椀が出土している。4号墳(塚穴古墳)は7世紀前半頃の築造とされ、高倉山古墳伊勢市)と同様の長大な玄室を有する。また古墳群全体として鏡の保有の多い点でも特色を示す[2]

志島古墳群では11号墳の出現から次の古墳築造までの間に空白期間があるが、その間には南方の大王町域で前方後円墳2基(泊古墳・鳶ヶ巣1号墳)などが築造されたと推定される[3]。これら志島古墳群・泊古墳・鳶ヶ巣1号墳は志摩地方を拠点とする広い海上交通ネットワークを有した有力豪族の墳墓群と想定され、文献上に見える島津国造との関連を指摘する説が挙げられている[4]。なお、当地北方では律令制下にも志摩国府・志摩国分寺が営まれたと推定されている[3]

現存する4基のうち11号墳は1969年昭和44年)に三重県指定史跡に、4・9・10号墳は1971年(昭和46年)に志摩市指定史跡に指定されている[5]。また、11号墳出土の埴製枕は1995年平成7年)に三重県指定有形文化財に指定されている[5]

遺跡歴[編集]

  • 1916年大正5年)、10号墳の墳丘・石室が大雨で半壊。副葬品出土[6]
  • 昭和30年代、11号墳の石室開口。副葬品出土[6]
  • 1967年(昭和42年)、11号墳の発掘調査(阿児町教育委員会、1968年に概報刊行)[6]
  • 1969年(昭和44年)3月28日、11号墳が三重県指定史跡に指定[5]
  • 1971年(昭和46年)3月31日、4・9・10号墳が「志島古墳群」として阿児町指定史跡に指定(現在は志摩市指定史跡)[5]
  • 1995年平成7年)3月13日、11号墳出土の埴製枕が三重県指定有形文化財に指定[5]
  • 2010-2012年度(平成22-24年度)、11号墳出土の金属製品の保存処理(志摩市教育委員会、2016年に報告書刊行)[3]
  • 2012-2014年度(平成24-26年度)、4号墳の発掘調査(志摩市教育委員会)[1]

一覧[編集]

志島古墳群の一覧[6][3][1]
古墳名 座標 形状 規模 埋葬施設 出土品 築造時期 史跡指定 備考
3号墳 五鈴鏡 消滅
4号墳
(塚穴古墳)
北緯34度18分46.15秒 東経136度53分30.15秒 円墳 直径18m 横穴式石室 須恵器 7世紀前半 志摩市指定史跡 2012-2014年度発掘調査
長大な玄室(高倉山型石室
9号墳
(松本塚古墳)
北緯34度18分43.03秒 東経136度53分24.60秒 円墳 直径14m 不明 志摩市指定史跡 未調査
10号墳
(上村古墳)
北緯34度18分42.40秒 東経136度53分25.80秒 不明 不明 横穴式石室
(内部に組合式箱式石棺)
珠文鏡・金糸・銅椀のほか、
装身具・馬具・鉄製武器・須恵器
6世紀後半
(7世紀まで追葬)
志摩市指定史跡 1916年大雨で半壊
長大な箱式石棺
11号墳
(おじょか古墳)
北緯34度18分39.68秒 東経136度53分20.03秒 不明 不明 横穴式石室 埴製枕・方格T字鏡・珠文鏡のほか、
装身具・鉄製品・埴輪・須恵器など
5世紀中葉 三重県指定史跡 1967年発掘調査
全国的にも古い横穴式石室
北九州地方の石室形態
出土埴製枕は三重県指定有形文化財
12号墳 仿製五獣鏡 消滅

おじょか古墳[編集]

おじょか古墳

石室開口部
別名 志島11号墳
所在地 三重県志摩市阿児町志島512-1
位置 北緯34度18分39.68秒 東経136度53分20.03秒 / 北緯34.3110222度 東経136.8888972度 / 34.3110222; 136.8888972 (志島11号墳(おじょか古墳))
形状 不明
埋葬施設 横穴式石室
出土品 埴製枕ほか副葬品多数・埴輪須恵器
築造時期 5世紀中葉
史跡 三重県指定史跡「おじょか古墳」
有形文化財 埴製枕(三重県指定文化財)
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おじょか古墳(おじょかこふん、王女丘古墳[7]/志島11号墳)は、三重県志摩市阿児町志島にある古墳。三重県指定史跡に指定され、出土埴製枕は三重県指定有形文化財に指定されている。昭和30年代に石室が開けられて副葬品が取り出されたほか、1967年(昭和42年)に発掘調査が実施されている[6]

墳丘周辺はこれまでの宅地開発で削平を受けており、墳形は明らかでない[6]。墳丘表面では埴輪須恵器が検出されている[6]。埋葬施設は横穴式石室で、西南西方向に開口する[6]。石室全長6メートル・最大幅2メートルを測る[2]。緑色千枚岩の板石積みによって構築され、羨道部は「ハ」字形に広がるとともに、玄室は開口部から奥壁に広がる羽子板形を呈する[6]。こうした石室の特徴は北部九州地方の石室(類例は関行丸古墳佐賀県[4])に類似する点で注目される[6]。また玄室内には朱が塗られている。

石室内からの出土品としては、装身具類(方格T字鏡・珠文鏡・玉類・櫛)・鉄製品類(斧・鎌・刀子・直刀・剣・槍・鉾・鏃・鋲留短甲)・漆塗網代状木製品(胡簶の一部か)がある[6]。また天井石直上の墳丘盛土内からは鉄刀が出土したほか、調査前の出土品として埴製枕・鉄刀類がある[6]。これらのうち特に埴製枕は、被葬者の頭を乗せる土製の枕で、高さ約28.5センチメートル・幅約32.6センチメートルを測る[1]。円筒形脚台部(円筒埴輪形状)の上に頭を乗せる座部を乗せ、その背後に直弧文・鰭飾りを施した衝立部を付し、表面には赤色顔料が塗られる[1]。古墳出土の埴製枕は、本古墳のほか燈籠山古墳五条猫塚古墳奈良県)・産土山古墳京都府)で知られるのみで貴重であるとともに、本古墳例はそれらと比較して装飾豊かな点で注目される[1]

築造時期は古墳時代中期の5世紀中葉[1](または5世紀後半[6])頃と推定される[6]

文化財[編集]

三重県指定文化財[編集]

  • 有形文化財
    • 埴製枕(考古資料) - おじょか古墳出土。志摩市歴史民俗資料館保管。1995年(平成7年)3月13日指定[8][5]
  • 史跡
    • おじょか古墳 - 1969年(昭和44年)3月28日指定[9][5]

志摩市指定文化財[編集]

  • 史跡
    • 志島古墳群 - 1971年(昭和46年)3月31日指定[5]

関連施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 志摩市の文化財 2018.
  2. ^ a b 志島古墳群(平凡社) 1983.
  3. ^ a b c d おじょか古墳(志島古墳群11号墳)発掘調査報告 2016.
  4. ^ a b 『志摩のあけぼの展 -考古学からみた志摩の歴史-』志摩市教育委員会、2010年、pp. 1319。
  5. ^ a b c d e f g h 志摩市の文化財(志摩市ホームページ)。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 志島古墳群(三重県史) 2005.
  7. ^ 北村 1985, p. 134.
  8. ^ 埴製枕(三重県教育委員会)。
  9. ^ おじょか古墳(三重県教育委員会)。

参考文献[編集]

(記事執筆に使用した文献)

  • おじょか古墳 史跡説明板(志摩市教育委員会設置)
  • 地方自治体発行
  • 事典類
    • 「志島古墳群」『日本歴史地名大系 24 三重県の地名』平凡社、1983年。ISBN 4582490247 
    • 北村光比古 著「かくれた志摩の散歩道―史跡めぐり―」、三重地理学会 編 編『三重県の地理散歩』荘人社、1985年1月20日、131-134頁。ISBN 4-915597-02-4 
    • 下村登良男「おじょか古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連文献[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

関連項目[編集]