徳音寺
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徳音寺 | |
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![]() 徳音寺 鐘楼門 | |
所在地 | 長野県木曽郡木曽町日義124 |
山号 | 日照山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
創建年 | 仁安3年(1168年) |
開基 | 源義仲 |
中興年 | 天正7年(1579年) |
中興 | 大安和尚 |
札所等 | 木曽七福神毘沙門天霊場。中部四十九薬師二十二番札所。 |
法人番号 | 8100005007642 |
徳音寺(とくおんじ)は、長野県木曽郡木曽町日義にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は日照山。本尊は聖観世音菩薩。
概要[編集]
源義仲一族の菩提寺。上流の巴淵近く、山吹山の麓の集落に、仁安3年(1168年)義仲が母親小枝御前を葬うために柏原寺を建立。
義仲の死後、義仲の遺徳を偲び、朝日将軍から山号を日照山、法名から寺名を徳音寺と改称した。[1]
天文13年(1544年)に木曽川で大洪水が起きた際に美濃国恵那郡奥渡の押上岩に厨子が漂着した。
厨子には義仲の旗紋があったため義仲の持仏の十一面観音であることが判り、里人が堂を設けて祀ったところ参拝者が後を絶たなかったという。[2]
天正7年(1579年)大安和尚が中興し、その後も何度か土石流の被害にあい、享保元年(1716年)現在地に移転した。[1]
享保8年(1723年)木曾義仲の後裔、木曽義陳の発願により、尾張藩犬山城主成瀬正幸の母堂が施主となり鐘楼門を建立の棟札が残存。[3]
天明年間(1781~1789年)木曽義仲公霊廟建立。
昭和50年(1975年)笹村草家人作成の義仲像(木曾桧寄木造り等身大)が木曽義仲公霊廟に奉納された。
境内[編集]
- 本堂-本堂前に巴御前の騎馬像とつらぬき石。
- 庫裡
- 鐘楼門-享保8年(1723年)木曾義仲の後裔、木曽義陳の発願により、尾張藩犬山城主成瀬正幸の母堂が施主となり建立。
- 木曽義仲公霊廟-天明年間(1781~1789年)建立。一族の位牌が安置されている。昭和50年(1975年)笹村草家人作成の義仲像(木曾桧寄木造り等身大)が奉納される。
- 宣公郷土館-昭和43年(1968年)建立。伝樋口、伝今井、伝巴それぞれの直筆の手紙、伝義仲公守り本尊兜観世音菩薩、陣羽織、伝樋口甲など展示されている。
- 木曾義仲公墓地-義仲を中心に、小枝御前、巴御前、樋口兼光、今井兼平等木曽一族の墓がある。
- 義仲資料館-徳音寺に隣接している。
画像[編集]
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徳音寺 本堂
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徳音寺 巴御前騎馬像
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徳音寺 木曽義仲公霊廟
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義仲館 木曾義仲と巴御前
脚注[編集]
参考文献[編集]
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- 『信州の文化シリーズ 寺と神社』1981年 信濃毎日新聞社 全国書誌番号:82000350
- 鈴木彰・樋口州男・松井吉昭編著 『木曾義仲のすべて』 新人物往来社、2008年12月。ISBN 9784404035691
- 「長野県史 美術建築資料編」 長野県史刊行会 平成2年(1990年)発行
- 「信州休日の社寺巡り」著者 北沢房子・安藤州平 信濃毎日新聞社 平成14年(2002年)発行