徳田八十吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

徳田 八十吉(とくだ やそきち)は九谷焼の陶工の名前である。

初代[編集]

初代徳田八十吉(1873年11月20日 - 1956年2月20日)は、吉田屋窯風の作風を得意とした。号は鬼仏。指導者として浅蔵五十吉、二代目、三代目徳田八十吉等を育てる。

二代目[編集]

二代目徳田八十吉(1907年11月1日 - 1997年9月8日)は、1923年に初代の養子となり師事する。1956年、二代目徳田八十吉を襲名。九谷焼の近代化を推進した[1]1988年、八十吉の名を長男に譲り百々吉を名乗る。初期の号は魁星

三代目[編集]

三代目徳田八十吉(1933年9月14日 - 2009年8月26日[2]

初代の孫として生まれる[3]金沢美術工芸大学短期大学工芸科陶磁専攻中退後に、初代、二代目等に師事。1988年に三代目を襲名。1991年には第11回日本陶芸展で、大賞・秩父宮賜杯を受賞した。1997年6月6日重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者(人間国宝)に認定される[1]。釉薬で色彩を調整した鮮やかな群青色に強い個性がある。海外にも多くの作品を発表して高い評価を得た[1]。また、古九谷の学術研究にも尽力した[1]

四代目[編集]

四代目徳田八十吉(1961年 - )は青山学院女子短期大学卒業。三代目徳田八十吉の長女[4]。三代目の死去を受けて翌2010年襲名[5][4]。初名は順子

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d 中矢進一「悼む:三代徳田八十吉さん:九谷焼の人間国宝:間質性肺炎のため8月26日死去75歳」『毎日新聞2009年10月7日朝刊、26面。
  2. ^ 石川新情報書府.
  3. ^ asahi.com 2011.
  4. ^ a b 福島民報 2016.
  5. ^ 佐賀新聞 2014.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]