徳光院

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徳光院
Tokkoin04 1024.jpg
本堂と庫裏
所在地 兵庫県神戸市中央区葺合町布引山2-2-3
位置 北緯34度42分34.93秒
東経135度11分43.86秒
座標: 北緯34度42分34.93秒 東経135度11分43.86秒
山号 大円山
宗派 臨済宗天龍寺派
本尊 十一面観音
創建年 明治39年(1906年
開基 川崎正蔵高木龍淵(開山)
正式名 大円山 徳光禅院
文化財 多宝塔(重要文化財)
法人番号 6140005000281
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多宝塔
山門

徳光院(とっこういん)または徳光禅院(とっこうぜんいん)は兵庫県神戸市中央区葺合町にある仏教寺院。山号は大円山 、臨済宗天龍寺派。本尊は十一面観世音菩薩

沿革[編集]

三大神滝の一つとして名高い布引の滝の参道近く、役小角創建とされる修験道の大道場であった滝勝寺の由緒ある跡地に、神戸川崎財閥の創始者である川崎正蔵が1887年から1905年にかけて私財を投じて建立したもの(滝勝寺は神戸市中央区に移転して現存している)。
臨済宗天龍寺派に所属し,夢窓国師の法灯を掲げる。建立した当時の天龍寺派管長の高木龍淵禅師を請じて開山とした。 川崎正蔵は晩年、京都嵯峨に別荘(前の嵐亭 現在の翠嵐ラグジュアリーコレクションホテル京都)を有し、時の天龍寺派管長高木龍淵、僧堂師家高木台岳と親交を深め、両老師に帰依するようになって、天龍寺派としての徳光院創建となった。 神仏に対する信仰の篤かった川崎正蔵は1897年(明治30年)、雲照律師から菩薩十善戒を受け「徳光菩薩」を授与されている。これが徳光院命名の由来であろうと、故人である五代目住職橋本恭堂の弁である。[1]

明治創建の寺であるが、松や楠の樹に覆われた境内には室町時代の多宝塔(重要文化財)などの古建築が移建され、山の景色に溶け込んでいる。

当院の近隣には五社稲荷大明神社、福徳弁財天社、筆塚があり、古碑が多数遺る。この布引山一帯は神戸市により「徳光院及びその周辺文化環境保存区域」の名称で環境保存区域に指定され保護されており、「徳光院市民公園」の名称で市民憩いの場となっている。

遊流会と味道会[編集]

高木龍淵が徳光院に住山されて間もない頃、弟子の関精拙と後に神戸市長になった野田文一郎神戸高商の学生達が話し合って「遊龍会」という禅会が生まれた。毎月二回提唱参禅が行われた。それには、後に神戸経済大学(神戸大学の前身)学長となった丸谷喜一石井光次郎等々が参加した。明治大正時代には、今と違って多くの居士達が提唱参禅に参加される機会が大変多かったといえる。
またそれとは別に、丸谷喜一は1939年(昭和14年)頃から関精拙を中心とする、提唱の禅会を結成し、関精拙が「味道会」と名付けたのである。その後は山田無文なども引き継いだ後、現在では祥福僧堂師家の木村太邦が提唱を受け持ち、現在でも味道会として徳光院で続けられている。

伽藍[編集]

  • 多宝塔 - 国の重要文化財。室町時代の文明10年(1478年)建立。本瓦葺、高さ12m。須弥壇に薬師如来像(文明8年・1476年作)および持国天・増長天像を安置する。塔は神戸市垂水区名谷(みょうだに)の龍花山明王寺から移建したもので、明治33年(1900年)に川崎家の所有となり、同家の邸内に移築。さらに昭和13年(1938年)に現在地へ移築された。
  • 不動堂
  • 地蔵堂
  • 鐘楼 - 江戸時代初期(1631年)建立(三木市伽耶院から移建したもの)
  • 開山堂
  • 本堂 - 十一面観世音菩薩像(本尊、鎌倉時代作)安置、羅漢石仏十数体(前庭)
  • 山門

周辺情報[編集]

所在地[編集]

〒651-0058 兵庫県神戸市中央区葺合町布引山2-2-3

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 季刊 禅画報 第10号 千眞工藝発行 p47

関連項目[編集]

外部リンク[編集]