御殿場事件

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御殿場事件(ごてんばじけん)とは、静岡県御殿場市御殿場駅近くで2001年9月に発生したとされる集団強姦未遂事件の通称。「御殿場少女強姦未遂事件」または「冤罪御殿場少年事件」等とも称されている[1]

事件の概要[編集]

被害者の証言に数々の矛盾、追及後の変更があり、犯行が行われた日時が裁判途中で被害者の供述のみにより変更され、検察側により「訴因変更」、検察による気象データの改竄が証拠として採用されるなど世間の注目を集めた。裁判中、判決後のそれぞれの検証でも、有力な証拠として採用された降雨量についても「検察側のデータの見方の誤り」が提供元から指摘されるなど、被告人側は、強姦事件そのものが存在しない架空の事件であり冤罪であると主張している。

事件の発覚[編集]

2001年9月16日の午後11時過ぎに当時15歳だった女子高校生が帰宅した際、母親にデートに出かけていた事を明かさず帰宅が遅くなった理由を「帰り道で少年らにいきなり声を掛けられた後公園に連れて行かれて強姦紛いの猥褻行為を受けた」と説明した事から、同日静岡県警御殿場警察署に被害届が提出された。少女と逮捕された少年らは何れも当時御殿場市内在住であるが、特に面識は無かったと言う。

当初の事件の内容[編集]

発生日時
2001年9月16日の午後8時頃。
概要
部活動から帰宅中の女子高校生が、中学時代の同級生(被告人少年ら)に無理矢理手首をつかまれ御殿場駅から公園まで連行された。公園内で1時間ほど話をした後、被告人少年ら(10人)に強姦された。

検察による訴因変更後の事件の内容[編集]

発生日時
2001年9月9日
概要
中学時代の同級生(被告人少年ら)に声をかけられ、同意の下ついていった。
強姦ではなく強姦未遂。

少年審判[編集]

ここで扱っているアルファベットの仮名は2003年放送の英数字とは異なる。2003年放送のA少年は一年近く少年院に拘留され少女の実名を挙げた少年であるが、ここでのA少年は実刑確定で服役生活を経験したA少年のことを表している。 逮捕された10人(A~J)に対して、2002年4月、静岡家裁沼津支部は、

  • A・B・C・Dの高校2年生に対して、検察官送致(2002年初頭に逮捕、2009年4月に懲役1年6ヶ月の実刑判決が確定後服役し、2010年夏出所)
  • E・F・G・Hの高校1年生に対して、少年院送致(2001年末に逮捕、少年院は既に退院済み)
  • 高校1年生のIに対して試験観察処分、中学3年生のJに対しては保護観察処分を言い渡した。

当時高校1年生だったEを皮切りに2001年末と2002年1月に10人の少年らが次々と逮捕され、Eが逮捕された際、取調べに於いて取調官から「普段よくつるんで遊んでいる者の氏名を言ってみろ」と言われ当時親交が深かった数十人に亘る同級生や先輩、後輩らの氏名を挙げた事が10人の少年らの逮捕に繋がった。E・F・G・Hの4名の内1人が取調官に「起訴されて裁判に掛けられる事になる」と言われた影響で自白し、4人は2002年12月に1年弱で少年院を出所し、釈放後に長野智子のインタビューに受け答えしている。Iは、2004年3月、同支部の別の裁判官により、不処分の審判を言い渡された。年長者のA・B・C・Dは2002年1月に逮捕されて以来、同年10月に9ヶ月ぶりに数百万円の保釈金を条件に保釈されたが、自白撤回をした事がアダとなって検察官から起訴され裁判は10年近くの長期に及んでいる(詳しくは後述)[2][3]。それ以外の少年は認めたために釈放また不処分になっており、メディアでは彼らの将来を配慮して扱わなかったと思われる[4]。少女が挙げた実名の少年は逮捕された時は少女と同学年であり、2002年に少年院を出所している[5]。Jは当時、保護観察処分だったものの、年長者の4人が実刑判決を受けた時、彼も保護観察が取り消されて実刑判決を受けた模様(懲役2年6ヶ月、執行猶予4年)。しかし2010年6月28日に3人が刑期満了で埼玉県川越市川越少年刑務所から出所[6]、2010年8月7日に未決勾留期間(逮捕から判決確定まで勾留された日数)が短かった1人も少し遅れて釈放された[7][8]。つまり2010年8月で被告人4人が刑務所を出所していることになる。

裁判の経緯[編集]

一審(静岡地裁沼津支部)[編集]

少年らのアリバイ[編集]

連日の取り調べで、逮捕された被告人少年らは9月16日の夜に犯行に至った事を自白した。しかし、裁判では「自白は強要されたものである」と一転して無罪を主張する。

9月16日の午後8時頃、被告人少年らは、

  • 別の友人たちと飲食店に居た(従業員の証言や、注文伝票による)。
  • 被告人の一人は市内の飲食店で両親・姉・本人と食事を取っていた。
  • アルバイトのタイムカードの記録。

などのアリバイがある事から「犯行は不可能である」と主張した。

女子高校生の供述の嘘が判明[編集]

16日に事件がおこったとされていた2回目の公判において、被害者が、犯行があったとされる時間帯には御殿場市内ではなく富士駅におり、出会い系サイトで知り合った別の男とデートをしていたことが被告人側の指摘により判明した(携帯電話の通話記録から判明)。デートをしていた男も証人として裁判に出廷し、「その女子高生は、『親には遅れた理由を誰かのせいにする』と言っていた」と証言。その際、少女は「皆さんに迷惑掛けて申し訳ありませんでした」と法廷で謝罪のコメントを述べている。このことが判明した後、被告人は保釈を申請し認められた。その後少女はこの事件に関しての言及はしておらず、それ以降少女とその家族は御殿場市内からは転出している。

事件発生日の変更[編集]

女子高校生は、事件があったとされていた2001年9月16日に男とデートしていた事は認めたが、事件そのものは否定せず同年9月9日に被害に遭ったと主張。

  • 嘘をついた理由は、「親に男性とデートをしていた事を知られたくなかった」ため。

検察側は犯行日そのものを変更するという訴因変更請求を行い、裁判所も請求を認めた。

事件日の変更の問題点[編集]

9月9日に犯行日が変更された事により、16日に犯行に及んだという被告人少年らの自白調書と矛盾する事になった。

被告人自身、訴因変更された事で警察が自白を強要した事を裏づけるものであると主張した。また、女子高校生の新しい供述と被告人少年らの自白調書の内容との矛盾点も多く、この事件は冤罪事件ではないかと見る者もいる(長野智子など)。

二審(東京高裁)[編集]

事件日(変更後)の天候[編集]

突然9月9日に犯行日が変更され、事件から長期間が経過しアリバイを証明できなくなった被告人側は、犯行当日の天候に注目した。 女子高校生は「犯行日は雨も降っておらず着衣も濡れなかった」「傘を差していた記憶もない」と証言していた。しかし、当日は台風15号が接近して大雨洪水警報の発表中であり、御殿場市周辺では一日降雨量45mm以上の雨が降っていた。「犯行現場の公園だけ雨が降らなかったはずがない」と被告人側は主張した。なお女子高生は現場から逃げ帰る際、顔にポツポツと雨が当たったと二審で証言している。

  • 事件現場から東北東約700mの市役所農業研修センターに設置された長期自記雨量日照計自記器によれば、同日午後9時台と午後10時台に観測された雨量は約0.0mm。
  • 事件現場から約500m離れた雨量計は「2mm/1h以上の雨があった」と記録している。
  • 事件現場から約200m離れた場所での交通事故の資料でも「雨が降っていた」と明記されている。
  • 20時頃、御殿場駅より被告人(別法廷で審議中)との移動、犯行時刻とされる21時30分、23時に帰宅までの間に一度も濡れることがないのは不自然。
  • 当時現場近くで事故を起こした中年男性の父親の証言によれば、息子を含め事故を起こした者は、軒下で雨宿りをしていた。この時の雨の程度は、傘をささずに雨に打たれていては、すぐにぐちゃぐちゃに濡れてしまう程度には降っていた、警察署に行った時は間欠ワイパー程度の弱い雨が降っていた」との証言を文書で提出している。

判決[編集]

一審(静岡地裁沼津支部)[編集]

2005年10月27日の一審判決では懲役2年の実刑判決が下された。高橋祥子裁判長(定年退官のため姉川博之裁判長が代読)は、「女子高校生は日時について嘘をついていたが、その理由は了解できるものであり、変更後の供述内容は十分信用できる」として女子高校生の証言を全面的に支持。天候の件は、裁判で重要な争点になることはなかった。被告人側は即日控訴し、保釈されている。

二審(東京高裁)[編集]

2007年8月22日控訴審判決では、一審判決を破棄し、改めて懲役1年6ヵ月に減軽された実刑判決がなされた。中川武隆裁判長は、被害者の供述について、申告には問題があったが、日付を除いてほぼ一貫しているとして信用性を認め、被告人側の主張は退けられた。天候の件は事件現場周辺の2カ所の雨量計が0ミリであった(後に2ヵ所とも警察の記録間違いで実際は雨が降っていたことが判明)ことから、事件現場で雨が降っていたとは言い切れないとした。被告人側は即日上告している。

最高裁[編集]

2009年4月13日、第一小法廷(櫻井龍子裁判長)は主犯格とされているA・B・C・Dに上告棄却の決定、懲役1年6ヵ月の実刑判決確定、最年少のJも保護観察が取り消されて懲役2年6ヶ月・執行猶予4年の有罪判決確定。2001年9月の事件発生、2002年の10月の仮釈放から10年近く経っている。そしてその1ヵ月後の5月末に彼らは静岡地検沼津支部に出頭した同日に地検近くの最寄の刑務所への収監を経て数ヵ月後に川越少年刑務所に移送され服役していた。収監前、彼らは「反省する事は何もないので行って来ます」と家族や友人・支援者等に見守られながらコメントしていた。なお、彼らの服役中も、残された家族達は彼らの無実を訴え続けており、被告人自身も「我々は喫煙や散々悪さばかりしていた程の札付きの不良少年だったがこの事件は絶対にやっていないと断言する。それでも我々が不良だったので聞いて貰えなかったろうか」と同様の発言をしている。

出所後[編集]

A・B・C・Dの4名は2010年夏出所。身元引受人が居るにも関わらず仮釈放が認められなかった為、満期での出所となった。再審請求は行われていないが、2011年末に元少年4人が静岡地裁沼津支部に被害者とされていた元少女である女性に対し2000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしている。元少女だった女性はこの事件には一切関与していないと発言している。

無実を訴えている4人の経緯[編集]

被告人らは事件発生後、拘置所から保釈されて以来、実刑確定で収監される迄、幾度かテレビ朝日で取材を受けており、その間に妻帯した者も居る。地元御殿場では「無実の少年たちを守る会」が開かれており、諏訪部修が事務局長を務め、御殿場市職労連委員長の伊倉賢が同会代表世話人である。国民救援会県本部事務局長の佐野邦司、また中央本部の芝崎孝夫にも支援を受け、会員に年末統一募金などを要請している。他に日本弁護士連合会からも支援を受けている[9]。被告人らは事件の翌年に高校を中退した後、保釈中は親元に居住を制限されて市内近辺に就職し、「守る会」、署名活動への賛同者や激励を寄せた方達が精神的な支えとなったと述べている[10][11]

マスメディアでの論争・問題点[編集]

この事件の模様は、主にテレビ朝日が10年近くに亘り取材を続けており、同局の報道番組で度々クローズアップされている。また、同局では事件発生、公判、彼らの生活、彼らが収監される瞬間、そして彼らが収監されて以降の残された家族達迄詳しく取り上げている。

『報道発 ドキュメンタリ宣言』[編集]

2009年6月1日放送分「それでも僕らはやってない ―親と子の闘い3000日」でも以下の問題点が取り上げられている。御殿場事件は2008年以前のテレビ朝日の報道番組で放送した時は日曜午後や平日朝等で放送していた為知名度が低かったが、月曜日ゴールデンタイムのドキュメンタリ宣言で放映されて高視聴率を記録した事で知名度が大幅に上昇した。これにより番組ホームページには2万件以上ものアクセスが殺到、その反響で6月29日に急遽続報を放送する事となった[12]

降雨に関する矛盾点
  • 天候を記録していた近隣の店舗や施設(犯行があったとされる公園管理事務所や花屋などはいずれも「雨」と記録)との矛盾が指摘されている。
  • 裁判の証拠として採用された雨量記録のうち、現場付近で雨が降っていない根拠とされた2カ所の雨量記録は警察の記録間違いで、実際は雨が降っていたことが判明し、警察による捏造または知識・確認不足からくる誤りが疑われている。これについては地裁の公判で気象鑑定人によって指摘されながらも訂正されなかった。さらに、高裁の判決文でも、警察が提出した誤ったデータを採用し、御殿場市役所や御殿場消防署の2か所の降雨記録が0mmであることから、現場で雨が降っていない可能性があるとした。このため、弁護側は上告理由書で、高裁の事実認定に重大な誤りがあると指摘したが、最高裁は認定しなかった(それ以前に公判が開かれることが無かった)。気象庁の記録方式では、「前回測定時と同じ雨量」の場合は、「記録しない」という規則であったものを、検察側の独自解釈で、「記録がない時間」は、「降雨がなかった」とされた。事実で「前回測定時」には、現場地域は、大雨洪水警報が発出されており、犯行のあったとされる同時刻も、この状態が継続しており、科学的で客観性のある事実を無視した解釈が採用された、まれな例となっている。
  • 犯行時刻における女子高生の着衣が物的証拠として保全されていない事が問題点として指摘されている。16日とされる被害申告時に御殿場警察署は着衣の保全を怠っている。9日の事件当日芝生上で犯行が行われていれば、降雨による何らかの痕跡が着衣に残ることは明白であった。
現場の状況に関する矛盾点
  • 被告人らによる16日犯行とされる捜査初期の全員の供述書では、犯行場所の公園内東屋には進入禁止テープが貼ってあり、横の芝生上で犯行が行われたとされている。しかし、9日犯行とされた控訴審においては、東屋のテープは9日には設置されていなかったことが御殿場市・工事業者により確認されており、供述調書と訴因に矛盾があり、また、所轄署の取調官らによる自白の誘導が疑われている。
その他の問題点
  • 事件発生日が9月16日から9月9日に変更されたが、調書などの資料は16日のものが使用されている。
  • 裁判が進むにつれて、被害にあったとされる女子高校生の供述に数々の矛盾が見つかっている。
  • 少年らのうち1人が知人の暴力団関係者に「自分達が紹介しろと命令して公園に連れて来させた女をやってしまった事があるが、すぐ喋る奴だから、警察に自分達の事を言ってしまうのではないか心配だ。自分達みんなでしてしまったので、捕まるかもしれなくて非常に心配だ」「最後まではやっていない」などと相談していたという。(ただし、相談を受けたと裁判にて検察側証人として証言した暴力団関係者は、証言が別の事件で服役中に行われ、服役後は弁護側証人として検察側証人時の証言内容を否定する証言している)

『ザ・スクープ』[編集]

2003年、2005年、2008年の3度に亘って放送している。本番組では被告らが暴力団や暴走族と知人であったことに触れていないことが指摘されている。

『報道ステーションSUNDAY』[編集]

2011年末、被告人4人の出所後の様子を放送。此処では事件の発覚から同年に元少女に対して2000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしている事も公開されている。

参考・脚注[編集]

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  1. ^ 「御殿場事件」の名称は主にテレビ朝日や日本国民救援会が独自に使用している物で、他のメディアではこの事件の名称は使われていない。
  2. ^ 「それでも僕らはやってない 〜親と子の闘い3000日〜 」編集後記
  3. ^ 保釈期間中、少年らは「他の少年達と交流を持ってはならない」「3日以上家を空ける際は届出をする」等の条件の下、就職や通信制高校卒業等一般の社会生活を送っていた。
  4. ^ 少年院は更生・社会復帰のための矯正教育を受ける保護処分で高等教育も受けることも可能であり、警察や裁判所に前歴が残るのみで前科は公に出ない。傍聴記録に依ると既に少年院は出所しており現在は一般の社会生活を送っている。
  5. ^ この少年は2003年に放映された時のA少年であり、2008年・2009年の顔出しでの登場で『〜被告』でなく『〜さん』と称されている。
  6. ^ 日本国民救援会2010年07月15日号
  7. ^ 日本国民救援会2010年08月25日号
  8. ^ 被告人自身が前科前歴の無い初犯者であった事と短い刑期、そして年齢は24歳や25歳なのでYA級の受刑者として服役していた。刑期は懲役1年6ヶ月であるものの、未決勾留9ヶ月の内約数か月分が刑期に算入された為、実際の刑期は4人共1年1ヶ月から2ヶ月。
  9. ^ 日本国民救援会2007年10月05日号
  10. ^ 日本国民救援会2007年05月15日号
  11. ^ 尚、被告人らの中には両親が飲食店を経営している者が居り、現在その飲食店を継いでいると言う。その他、逮捕当時高校2年生だった彼等の中には当時通っていた高校の2年生の単位を取得した後、通信制高校に編入して高校卒業の資格を取得した者も居る他、高校中退後両親が経営する飲食店の下働きの傍ら土木関係の職に就いた者も存在する。
  12. ^ “御殿場事件「それでも僕らはやってない」テレ朝番組 反響続々、続報放送へ”. MSN産経ニュース. (2009年6月13日). オリジナル2009年6月15日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20090615172427/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/090613/med0906130807000-n1.htm 2013年11月8日閲覧。 

関連項目[編集]

  • 日本国民救援会 - この事件もここの支援を受けている。
  • 痴漢冤罪
    • それでもボクはやってない - 上記の事件を題材にした映画。前述のテレビ朝日の報道番組でもこの映画タイトルに擬えてのドキュメンタリー番組が放送されている。
  • 志布志事件
  • 大阪地裁所長襲撃事件 - この事件と同じく少年複数人が逮捕された冤罪事件であるが、何れも無罪または不処分が確定している。
  • 足利事件 - 年長者の4人と最年少者の1人が収監された後、元被告がほぼ同時期に出所。2009年6月1日のドキュメンタリー番組放送から3日後の同年同月4日に千葉刑務所から出所している。
  • 氷見事件 - この事件と同じ婦女暴行の冤罪事件。
  • 高知白バイ衝突死事故 - 同じテレビ朝日の報道番組でクローズアップ。

外部リンク[編集]