後藤広喜

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後藤 広喜(ごとう ひろき、1945年 - )は日本の漫画雑誌編集者。『週刊少年ジャンプ』の第4代編集長[1]

来歴[編集]

山形県鶴岡市出身。1970年東京教育大学(現・筑波大学)を卒業して集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部へ配属され、「アストロ球団」(遠崎史朗中島徳博)、「さわやか万太郎」(本宮ひろ志)、「ドーベルマン刑事」(武論尊平松伸二)、「私立極道高校」(宮下あきら)、『キャッツ♥アイ』(北条司)などを担当[2]中島徳博の初代担当者として有名である[2]。その後、副編集長を経て1986年から1993年までに週刊少年ジャンプ編集長を務め、生え抜き編集長第一号となった。

後に集英社取締役を経て、2002年9月、集英社の子会社である創美社(現・集英社クリエイティブ)に常務取締役として出向。後に同社の代表取締役に就任し、2012年退職[2]。2018年3月、回顧録として『「少年ジャンプ」 黄金のキセキ』(ホーム社)を発表[2]

人物[編集]

  • 初代担当者として中島徳博を見い出したことでも知られる。当時の漫画編集者の例に漏れず熱血派で、漫画の執筆を巡って中島を殴打したこともあったという。だが信頼は強く、後年、死期を悟った中島が最後に会いたがった人物でもあった。
  • 平松伸二の初代担当でもあり、中島のアシスタントを勧めたのちジャンプで連載デビューさせている。平松の自伝的漫画「そしてボクは外道マンになる」では後藤をモデルにした権藤狂児なる編集者が登場する。
  • 自身のジャンプ次期編集長として、集英社取締役会において鳥嶋和彦就任のレールが敷かれていたにもかかわらず、これをひっくり返して鳥嶋の後輩の堀江信彦を指名した。この経緯は後藤の先代の編集長である西村繁男の「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』」に詳しい。

著書[編集]

脚注[編集]