往生院 (東大阪市)

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往生院六萬寺
Rokuman-ji, Higashiosaka01.jpg
岩瀧山往生院六萬寺
所在地 大阪府東大阪市六万寺町1-22-36
位置 北緯34度39分08秒
東経135度39分06秒
山号 岩瀧山
宗派 単立
本尊 阿弥陀如来
創建年 伝・天平時代8世紀)頃
開基 伝・行基
文化財 木造阿弥陀如来坐像(大阪府指定)等
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往生院(おうじょういん)は、大阪府東大阪市にある仏教寺院で、単立寺院。山号は岩瀧山。寺号は六萬寺(ろくまんじ)。本尊は阿弥陀如来

歴史[編集]

寺伝によると、聖武天皇の勅願によって行基天平17年(745年)に、薬師如来を本尊とする寺院六萬寺を創建したと伝えられる。創建された地には元々6世紀末頃に建てられてその後荒廃した桜井寺があった。また文武天皇の時代には役小角が裏山である岩瀧山を修行の地としていた。

その後は次第に衰微していったため、宇多天皇の勅願によって伽藍の修復、修理が行われて復興する。しかし、天慶年間(938年947年)に伽藍は焼失しまたも衰退する。が、長暦3年(1039年念仏であった安助上人によって往生院として再興される。往生院は摂津国四天王寺の真東に当たっており、極楽浄土の入り口と考えられていた四天王寺西門のさらに西に沈む夕陽を拝する日想観を修する道場として栄えていく。

南北朝時代、まだ幼少だった楠木正行が往生院で武芸を学んでいる。しかし、正平3年(1348年)には四條畷の戦いにおいて南朝方の武将となっていたその楠木正行がここに本陣を置いたため、戦いに巻き込まれて焼失した。正行ゆかりの地ということで正行の亡骸は焼けた往生院に葬られ、墓が作られている。

承応3年(1654年)に関白鷹司信房によって復興され、正成公・正行公の供養塔も建立された。しかし明治時代になって四條畷神社創立の話が出ると、正行ゆかりの往生院の地に四條畷神社が作られる可能性が高まった。そのため、寺域の強制的買収を恐れた往生院は自ら二石の供養塔を隠蔽、また古文献をも処分し、往生院は自らの手で破壊された。

四條畷神社が別の地に建てられた後の1893年(明治26年)、鷹司家が復興を試みるも進展せず、蓮海上人が復興を発願するもやはり進展しなかった。しかし、太平洋戦争終結後の1953年昭和28年)より、しばらくして立誡和尚により復興された。

文化財[編集]

  • 大阪府指定有形文化財
    • 木造阿弥陀如来坐像及両脇侍立像 附:阿弥陀如来像内納入文書
    • 木造阿弥陀如来坐像
    • 木造十一面観音立像
    • 柊形小札鋲留眉庇付冑 附:三角板鋲留短甲残闕(ひいらぎがたこざねびょうどめ まびさしつきかぶと つけたり さんかくいたびょうどめ たんこうざんけつ)

外部リンク[編集]