彼らが最初共産主義者を攻撃したとき

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彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』はドイツルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する

ニーメラー自身は原稿の無いスピーチの中で成立してきた言い回しで詩として発表されたものではないとしており、厳密な意味でのオリジナルは存在していない[1]。この言い回しはおそらく1946年頃に生まれたと見られ、1950年代初期にはすでに詩の形で広まっていた[2]

内容[編集]

基本的な内容は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が迫害対象を徐々に拡大していく様に恐怖を感じつつも、「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、己がいざ迫害対象になると、社会には声を上げる人は誰もいなかったというもの。

強いメッセージ性を内包するため、政治への無関心層へ向けた呼びかけとして世界各国で広く引用されてきたが、ニーメラー自身もしばしば言い回しを変えたことや、引用者によって修正・付加されたりしたため、多くの版が存在する。こうした版では新たな迫害の対象に追加される集団には、共産主義者社会主義者社会民主主義者)、労働組合員、ユダヤ人障害者カトリック教会エホバの証人、都市労働者などが挙げられ、順序も前後する[2]

ニーメラーは1976年のインタビューで、「共産主義者、労働組合、社会民主党、ユダヤ人」の順序で言及したものが最初であると回答しているが、1946年には「共産主義者、不治の病の患者、ユダヤ人やエホバの証人、ナチスによって占領された国の人々」の順で言及したスピーチがあり、彼の回想は正確ではないと見られている[2]

ニーメラー財団による詩[編集]

ニーメラー財団は、1976年のニーメラーに対するインタビューを元として詩を再編成している。ニーメラー自身はこのインタビューでユダヤ人迫害についても言及しているが、財団が作成した詩にはユダヤ人が言及されていない[1]。財団はニーメラーが1933年9月に反ナチ運動を開始し、1937年強制収容所に収監されていることから、ユダヤ人が収容され始めた時期や、カトリック教会への攻撃が本格化した時期を体感できなかったと見ている[1][3]

ドイツ語版[編集]

Als die Nazis die Kommunisten holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Kommunist.

Als sie die Sozialdemokraten einsperrten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Sozialdemokrat.

Als sie die Gewerkschafter holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Gewerkschafter.

Als sie mich holten, gab es keinen mehr, der protestieren konnte.

マルティン・ニーメラー財団による作成[4]

日本語訳[編集]

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

引用された詩[編集]

ミルトン・マイヤーによる記述[編集]

ミルトン・マイヤー英語版は1955年の著書『彼らは自由だと思っていた』において、ドイツ人の教授から聞いた話としてニーメラーの行動について以下のように記している[2]

Pastor Niemöller spoke for thousands and thousands of men like me when he spoke (too modestly of himself) and said that, when the Nazis attacked the Communists, he was a little uneasy, but, after all, he was not a Communist, and so he did nothing; and then they attacked the Socialists, and he was a little uneasier, but, still, he was not a Socialist, and he did nothing; and then the schools, the press, the Jews, and so on, and he was always uneasier, but still he did nothing. And then they attacked the Church, and he was a Churchman, and he did something--but then it was too late."

訳:(ニーメラー牧師は何千人もの人々の前に、彼自身のことを(あまりにも謙虚に)こう語った。ナチスが共産主義者を攻撃した。彼はやや不安になったが、彼は共産主義者ではなかったので、何もしなかった。そして彼らは社会主義者を攻撃した。彼は不安だったが、社会主義者ではなかったので何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、となり、彼はそのたびに不安になったが、やはり何もしなかった。そして彼らは教会を攻撃した。彼は教会の人間であった。だから彼は何かを行った。しかし、それは遅すぎた。)

ミルトン・マイヤー、[2]

丸山眞男は1961年の論文「現代における人間と政治」(1961年)の中で、同書からの引用として紹介し以下のように訳した[5]

ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。
けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。
そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。

丸山眞男訳、「現代における人間と政治」(1961年)[5][6][7]

その他の引用について[編集]

  • 1950年代に米国でこの詩が紹介されたとき、共産主義者は削除されていることが多かった。マッカーシズム赤狩り、“共産主義の脅威”が喧伝されていた社会背景を反映してのことである。1968年には連邦議会において、サミュエルズ議員が「ユダヤ人→カトリック教徒→実業家と労働組合→プロテスタント教会」の順序のバージョンで引用している[2]
  • タイム』誌は、1989年8月28日に第二次世界大戦開始50年の折りに発表した版がある。そこでは「共産主義者→ユダヤ人→カトリック教会→私」と続く
  • 英国と米国でよく見られるポスターには、「社会主義者→労働組合員→ユダヤ人→私」と続く
  • この詩は社会派音楽にも影響を与えた。たとえば クリスティ・ムーアの"Yellow Triangle"など
  • また、別の社会問題を取り上げたりする際に、言及する対象を変えた版も作成されている[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Was sagte Niemöller wirklich?-ニーメラー財団による回答
  2. ^ a b c d e f g Niemöller, origin of famous quotation
  3. ^ ドイツ共産党は1933年2月から3月にかけて弾圧・解体され、社会民主党員の多くがほぼ同時期に強制収容所に収容された。労働組合は同年5月に解体されている。
  4. ^ Martin-Niemöller-Stiftung - /daszitat
  5. ^ a b 『増補版 現代政治の思想と行動未來社、1964年5月30日、475-476頁。
  6. ^ 「現代における人間と政治」から考える私たちの課題 - 21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト
  7. ^ 『デモクラシーの冒険』(姜尚中テッサ・モリス=スズキ、集英社、2004年)でも引用されている。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]