彰化市

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中華民国 台湾省 彰化県の旗 彰化県 彰化市
別称: 半線、磺渓
Confucius Temple, Dacheng Hall, Chunghua (Taiwan).jpg
地理
Syouka syouka.svg
座標: 北緯24度04分 東経120度32分 / 北緯24.067度 東経120.533度 / 24.067; 120.533
面積: 65.6947 km²
各種表記
繁体字: 彰化市
日本語読み: しょうか
漢語: Zhānghuà
通用: Jhanghuà
ウェード式: Chang-hua
注音符号: ㄓㄤ ㄏㄨㄚˋ
片仮名転写: チャンホワ
台湾語: Chiong-hòa
客家語: Chông-fa
行政
行政区分: 県轄市
上位行政区画: 台湾省 彰化県の旗 彰化県
下位行政区画: 73里1,340鄰
政府所在地: 彰化市光復里光復路74號
彰化市役所
彰化市長: 邱建富
公式サイト: 彰化市公所
情報
総人口: 235,056 人(2016年1月)
世帯数: 75,503 戸(2016年1月)
郵便番号: 500
市外局番: 04

彰化市(しょうかし)は台湾彰化県県轄市。彰化県政府の所在地である。

地理[編集]

歴史[編集]

彰化市は昔、台湾原住民平埔族バブサ族の集落「ポアソア社」があったところで、台湾語音でそれを「半線(poaN3-soaN7,ポアソア)」と宛てた。諸羅県に帰属していた。後に清朝政府が「顕彰皇化」という意味を込めた「彰化」に改変した。

1684年、福建沿海居民がこの地に入植を開始し、1723年には諸羅県の中部百余里の地に県を設置する際に「彰化県」と命名され、これが彰化の地名の初見となる。彰化は大陸に近く、また鹿港が貿易の要衝であったことから、彰化は県の政治文化、商業中心地としての地位を占めた。1895年に台湾が日本に割譲された後、彰化は台中県彰化庁と改編され、その後台中庁と合併し台中支庁が設けられた。1920年には彰化郡が設置され、再び彰化が行政区域名として復活した。1933年に彰化街・南郭庄・大竹庄(おおたけ[1])の合併により市制を施行し、彰化市が誕生した。戦後、彰化市は省轄市として改編され、1950年の地方改制により県轄市に一旦改編され現在に至っている。

経済[編集]

行政区[編集]

地区
延平里、建宝里、光南里、南瑶里、華陽里、永生里、南興里、介寿里、成功里、延和里、桃源里、大同里、彰安里、東興里、福安里、西安里、華北里
西 崙平里、莿桐里、民権里、五権里、西勢里、南美里、平和里、西興里、忠孝里、向陽里、磚磘里、万寿里、忠権里、南安里、富貴里、東芳里、長楽里、中央里
新興里、陽明里、信義里、万安里、中正里、光華里、下廍里、民生里、中山里、卦山里、興北里、光復里、龍山里、文化里、新華里、永福里
阿夷里、和調里、竹中里、三村里、福山里、香山里、福田里、茄苳里、古夷里、石牌里、竹巷里、台鳳里、中庄里、快官里、田中里、大竹里、国聖里、安渓里、牛埔里、茄南里、宝廍里、復興里

歴代市長[編集]

氏名 任期

教育[編集]

大学[編集]

高級中学[編集]

国民中学[編集]

国民小学[編集]

交通[編集]

種別 路線名称 その他
鉄道 縦貫線 彰化駅
国道 国道1号 中山高速道路 彰化IC 彰化JCT
国道 国道3号 フォルモサ高速公路 快官JCT
省道 台1線
省道 台1丙線
省道 台14線
省道 台14丙線
省道 台19線
省道 台74線 東西向快速公路 彰浜台中線
省道 台74甲線 彰化東外環道

観光[編集]

出典[編集]

  1. ^ 「州、廳ノ位置、管轄區域及郡市ノ名稱、位置、管轄區域」大正九年八月十日、臺灣總督府令第四十七號