張誌家

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張 誌家
Chih-chia Chang
基本情報
国籍 中華民国の旗 中華民国台湾
出身地 台湾省台中市
生年月日 1980年5月6日(35歳)
身長
体重
179 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年
初出場 TML / 2002年
NPB / 2002年6月2日
CPBL / 2008年5月4日
最終出場 TML / 2002年
NPB / 2004年10月21日
CPBL / 2009年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイの旗 チャイニーズタイペイ
五輪 2004年2008年
張 誌家
プロフィール
出生: 1980年5月6日(35歳)
出身地: 台湾台中市
職業: 野球選手投手
各種表記
繁体字 張誌家
簡体字 张志家
和名表記: ちょう・しか
発音転記: チャン・ズージャ
英語名 Chih-chia Chang
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張 誌家(チャン・ズージャ、1980年5月6日 - )は、台湾台中市出身の元プロ野球選手投手)。右投げ右打ち。

来歴[編集]

台湾時代[編集]

2001年に開催されたIBAFワールドカップ・3位決定戦で、日本代表を5安打完封して注目を集めた。

2002年からは誠泰太陽でプレーしていたが、前年の日本代表戦での活躍もあり、同年の4月30日に読売ジャイアンツとの争奪戦の末西武ライオンズに入団。公式には発表されていないものの、ベースボール・マガジン社が発行するトレーディングカードの記述によれば10年契約であったという。

西武時代[編集]

シーズン途中入団ということもあって来日当初は2軍で調整を進めた。その後6月2日の日本ハムファイターズ戦で来日初登板初先発を果たし、6回無失点で来日初勝利を挙げた。6日後の千葉ロッテマリーンズ戦では6回から登板し、4回を無失点に抑え、来日初セーブを挙げた。7月1日のロッテ戦では来日初完投となる初完封勝利をマークするとそのまま先発ローテーションに定着し、故障離脱した松坂大輔の穴を埋める活躍を見せた。途中入団だったこともあり、最終的に規定投球回には到達しなかったが、19試合の登板で10勝4敗1セーブをマークし、リーグ優勝に貢献した他、国際大会ではチャイニーズタイペイ代表として活躍した。一方自身の獲得を争った巨人との日本シリーズでは第3戦に先発するも巨人打線の勢いをとめることができず3回0/3を投げて5失点でKOされ敗戦投手となってしまい、チームは第4戦も敗れ、ストレートの4連敗で日本一を逃した。

2003年も前年の活躍もあり先発ローテーション入りしたが、防御率4点台と安定感を欠き、7勝7敗の成績で終わった。一方札幌ドームで行われたオリンピック予選で韓国中国を抑えてアテネオリンピック出場を決めた。

2004年も引き続き先発として活躍し、アテネオリンピックにも出場し、カナダイタリア戦で先発した。しかしその後は、台湾チーム敗退後に日本に戻らずバカンスに興じていたこともあり、以後精彩を欠く事となってしまう。9月21日のロッテ戦ではベニー・アグバヤニマット・フランコ李承燁に3者連続ホームランを打たれた。同年は来日初の規定投球回到達を果たし9勝8敗の成績を挙げた。しかし、中日ドラゴンズとの日本シリーズでは第4戦に先発するも3回1/3を投げて5失点で敗戦投手となり、またも日本シリーズでは結果を残せなかった。だが最終的にチームは12年ぶりの日本一を果たした。

2005年は肩の故障もあり、来日初の一軍未登板に終わった。

復活を期した2006年のシーズンだったが、直球のMAXが130km/hを切るなど全盛期の球威が戻らず、2年続けての一軍登板なしに終わる。そして同年9月30日、契約期間を残したまま球団から翌年の契約を結ばないことが発表された。

La Newベアーズ時代[編集]

2008年の5月に、中華職業棒球大聯盟La Newベアーズに入団。かつてほどの球威はないものの、先発投手として復活を果たしつつあった。

2009年10月、台湾プロ野球界の長年の問題である「放水(八百長)」問題で事情聴取を受けたが、容疑を否認。長期間の拘束を免れるため、保釈金を支払い、La Newは12月15日付で張を解雇した。

La Newベアーズ退団後[編集]

2010年2月10日、台湾検察当局は張誌家ら選手監督7人を含む24人を賭博罪、詐欺罪で起訴した。張誌家は懲役2年を求刑された[1]。2014年8月13日、台湾高等法院は懲役2年もしくは罰金の判決が下り、陳致遠蔡豊安楊博任(いずれも懲役6カ月もしくは罰金)らと共に有罪が確定した[2]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2002 太陽 5 5 3 1 -- 3 2 0 0 .600 152 39.0 29 2 4 0 0 50 0 0 9 7 1.61 0.82
2002 西武 19 16 3 1 0 10 4 1 2 .714 467 116.1 81 18 38 1 4 121 2 0 39 35 2.71 1.02
2003 22 21 1 1 0 7 7 0 1 .500 551 124.2 133 14 53 0 5 112 6 1 72 69 4.98 1.49
2004 22 21 3 2 0 9 8 0 1 .529 631 146.0 137 22 57 1 10 119 5 0 67 60 3.70 1.33
2008 La New 22 13 0 0 0 3 4 0 5 .428 333 75.0 80 5 29 0 4 60 1 0 41 32 3.84 1.50
2009 26 19 0 0 0 10 9 0 0 .526 587 135.2 145 10 51 0 3 94 4 1 70 65 4.31 1.44
TML:1年 5 5 3 1 -- 3 2 0 0 .600 152 39.0 29 2 4 0 0 50 0 0 9 7 1.61 0.82
NPB:3年 63 58 7 4 0 26 19 1 4 .578 1649 387.0 351 54 148 2 19 352 13 1 178 164 3.81 1.29
CPBL:2年 23 16 0 0 0 13 13 0 5 .500 920 210.2 225 15 80 7 0 154 5 1 111 97 4.14 1.46

表彰[編集]

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 99 (2002年 - 2006年、2008年 - 2009年)

関連情報[編集]

音楽[編集]

2002年4月、台湾・GMMからアルバム『It's my war』をリリースした。

脚注[編集]

  1. ^ [1] スポーツ報知(リンク切れ)
  2. ^ 台湾プロ野球八百長問題 元西武の張誌家などの有罪が確定中央通訊社2014年8月14日配信

関連項目[編集]

外部リンク[編集]