弦楽四重奏曲第21番 (モーツァルト)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

弦楽四重奏曲第21番ニ長調プロシャ王第1番』K.575は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した弦楽四重奏曲。「プロシャ王セット」の1曲目にあたる(自作の作品目録に「プロイセン王のために」と書かれているため)。

概要[編集]

1786年弦楽四重奏曲第20番K.499『ホフマイスター』を書いた後、モーツァルトはしばらくの間、このジャンルに取り組まなかった。1789年の4月の2ヶ月間、パトロンの一人だったカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵と一緒にドイツ旅行をした際、ベルリン宮廷でプロイセン(プロシャ)王妃の前で御前演奏を行い、同国国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世より弦楽四重奏曲6曲と王女のためにピアノソナタ6曲の作曲を依頼された、とされている。しかし、プロイセン側の公式記録や当時の手紙や新聞などにはモーツァルトの上記の作曲に関する記述は一切発見されておらず[1]メイナード・ソロモン英語版はモーツァルトの主張を疑問視している[2]

ウィーンに戻って早々、モーツァルトはK.575を書き上げ、次の作品にも取りかかるが、一時中断し、約1年の歳月が流れた。翌1790年、この仕事に再び取りかかるものの、結局2つの作品(第22番K.589第23番K.590)を完成させただけで、注文の6曲に至ることはなかった。これらの3曲は妻のコンスタンツェの湯治の費用工面のためアルタリアに二束三文で売らざるを得なくなった。結局、楽譜はモーツァルトの死の直後、1791年12月28日にアルタリアから出版され、のちに「プロシャ王四重奏曲」と呼ばれるようになった(ただし、初版に献呈の辞はなかった[2])。

このように、「プロシャ王四重奏曲」は作曲の経緯など多くがいまだ謎に包まれている。

K.575は1789年の6月4日にウィーンで作曲された。曲は全体にチェロを配慮している点が大きな特徴となっている。

構成[編集]

全4楽章構成で、演奏時間は約23分。

  • 第1楽章 アレグレット ニ長調、2分の2拍子。
    ソナタ形式。冒頭主題は、初期の弦楽四重奏曲(「ミラノ四重奏曲」第1番)との類似が指摘されるほどシンプルである。
  • 第2楽章 アンダンテ イ長調、4分の3拍子。
    二部形式。モーツァルトがかつて作曲した歌曲すみれ」を想起させる旋律を使用していることで知られている。モーツァルトの晩年独自の平穏さを感じさせる楽章である。
  • 第3楽章 メヌエット、アレグレット ニ長調、4分の3拍子。
    明るく快活なメヌエット楽章。メヌエット、トリオの2部構成で、それぞれの部分が反復記号で繰り返される形になっている。
  • 第4楽章 アレグレット ニ長調、2分の2拍子。
    ロンド形式。かなり変形された自由なロンド形式で書かれている。

脚注[編集]

  1. ^ ソロモン著「モーツァルト」 (石井宏訳、新書館、1999年)p.672
  2. ^ a b ソロモン著「モーツァルト」pp.674-675

外部リンク[編集]