建築家

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建築家
Architect.png
製図台で製図する建築家(1893年)
基本情報
名称建築家
職種専門職
業種デベロッパー (開発業者)

プロジェクトマネジメント
コンストラクション・マネジメント
インテリアデザイナー

アーバンデザイナー
詳細情報
適性能力技術知識、管理技能
必須試験必須経験・資格参照
就業分野建築
関連職業構造家(技術者)、都市計画家
建設コンサルタント

建築家(けんちくか、英語:Architect[1])とは、必ずしも明確な定義はなされていないが、「建築における設計及び監理を行う者」とされる。ただしこれも建築について、設計及び監理を必ず行う者とは限らない。

歴史的背景

国によっては必ずしも明確な定義はなされていない。

古代ギリシャ・ローマではそれは建築術をはじめ土木技術、造兵技術、機械技術を含んだ「大技術者」、いうなればグラフトマン(工匠)で「大工」という意味であった。中世ヨーロッパ大聖堂を築いた工匠は存在しても、建築技術者は一般に職人と見られていた。建築家の地位が確立したのはルネサンス期以降で、建築家の名前が作品とともに伝えられるようになった。15世紀イタリアブルネレスキが建築家の始めとされる。当時、フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)に世界最大のドーム屋根をかけることが課題となっていたが、巨大な足場が必要になるため、建設は非常に困難と見られていた。ブルネレスキはこの課題に合理的な解決をもたらし、足場を築かずにドームを造る方法を提案して、ドームを完成させた。また、万能の天才といわれた人文主義者アルベルティは『建築論』を著し、学問的に建築学を位置づけた。これらの人物の活動によって、次第に職人とは異なり、高い教養科学知識を持つ建築家の職能が確立していった。イタリアなど南欧諸国においては、ルネサンス期以降、建築家は主に社会的な事業に関わる芸術家として尊敬を集めてきた。こうして、アーキテクトが芸術家的意味を帯びるのは15世紀のイタリア・ルネサンスに始まると同時に建築の形態が学問として科学的に解析検討され、芸術としての本性が追求された。建築家は技術者との職分から、学者であり芸術家・デザイナーとしての側面を持つに至る。

ところがイタリアに比べ当時は後進国であったイギリスでは環境芸術家や都市デザイナーアーキテクト的な側面は、イギリスで中世以来発展してきたサーベイヤー(測量技師、調査師または調査官などと邦訳される)という職能の一部として機能する。そしてこのイギリス的特性の中で形成されていくのが、近代的アーキテクト像とされる。イギリス最初期にデザイン系の建築家となるイニゴー・ジョーンズや後のクリストファー・レンなど、多くの著名な建築家は、当初王室サーベイヤーとして活躍し、のちに建築家へと発展し、建築作品を残していく。たとえば、1666年当時のロンドン大火後の再建計画を国王や市に寄せた幾人か、クリストファー・レンのほか友人のジョン・エブリン、その他ピーター・ミルやリチャード・ニューコート、バレンタイン・ナイトなど、この時点では専門の建築家でも都市計画家でもなく、本職をもちながらサーベイヤーを委嘱されていた人物らである。

この一群の中から、南ヨーロッパ伝統の、芸術家的側面の建築家とは異なる、技術的な側面の強い近代主義の建築家につながるもう一方の系統が生じ、さらにギルト・職能主義の進展、近代的教育組織や職能団体を結成し、さらに国家試験を課して資格制限を目指す排他性を基調とした動向などに伴い、サーベイヤーからアーキテクトは分離独立していく。1761年には王室建設局が、これまで長らく使用してきたサーベイヤーという職名からアーキテクトという呼称に切り替えていく。こうして発生した英国内のアーキテクトは、根本的には芸術家であるからとの理由で、画家や彫刻家と同列にとどまろうとはせず、すでに多くの機会に彼らは弁護士に伍する専門家として、すなわち意匠設計に携わることだけに劣らず、建設の際施主の経済的また利害の保護に携わる高潔、聡明の士、として活動することになる。

サーベイヤーという器の中で成長してきたイギリスのアーキテクトは、その歴史をみるとおり、芸術家というより、不動産としての建築、をつくる立場から職能的倫理や資格が問われていたのであり、1838年創立の英国建築家協会(後のRIBA)の憲章に、建築家は本来、施主と施工者との中間者である、と説かれているのは、このような立場からである。近代的アーキテクト像がアーティスト的性格と、サーベイヤー的性格を統合する形で成立していったのには、このような歴史的背景がある。

アメリカ建築家協会(American Institute of Architects、AIA)は建築士資格者の団体というよりも建築家に保証・保険などのサービスとネットワークを提供する職能団体である。身分証明に AIA を付記することは、この会員建築家にのみ許される。とはいえ、 AIA メンバーでなければ建築家ではない、というわけではなく、 AIA に所属しない建築家も多い。

北欧と称される5カ国では、アイスランド以外のスウェーデンノルウェーフィンランドデンマークの4カ国には、建築士制度のような試験制度はもとより、登録規定制度などもないことが知られている。各国で所管される建築関連法規にも建築家などについての規定はなく、建築家としての業務は法的な保護はなされてはいない。このため建築設計に従事するにあたって免許等は必要なく、適格な判断は地方自治体などに任されている。 これらの国で建築家という名称は、建築に関する学位取得した者を指している。ただし学位授与自体が法的にも保護されており、建築候補者という卒業生称号が国によって証され、一般に学位取得者が建築の実務を行うに当たる資質を有するとみられているのである。さらに取得者は各国で建築家協会が組織されており、この組織への入会条件ともなっている。協会に入会せずとも民間での実務を行うこと自体はできるが、国や自治体等での業務を委託するには経験や専門性の証明要求がなされる。

ドイツの場合も修了証書が国によって保証されており、学位を取得し2年間の実務を経て、建築家会議所アルキテクテンカルマに入会許可を得ることができる。その他のヨーロッパ諸国も建築家は称号として、自国の建築家協会会員になった場合のみ授与されるというようなしくみとなっているが、 ポルトガルやフランスについては、所定の実務経験をへて、オーストリアは実務経験と試験とで、イタリアは試験を経てと、会員になるのに各国で多少の相違がある。教育機関からの証書が発行されただちに建築家ともなることができるしくみのスペインやオランダ、ルーマニアのケースなどや、実務経験を経ることによってみなされるベルギー、ギリシャのようにあくまで経験により、他分野からの参入で建築家として従事できるケースの場合もある。

ブラジルで建築家として仕事をするには、工学農学連邦評議会(CONFEA)から分離した建築都市評議会(CAU)が認定するCREAという資格が用意されている。試験はなく大学建築学部(FAU)卒業で資格として認定される仕組みである。ブラジルでは大学進学率が低いため、建築家の社会的地位はおろか大学出という立場は相当価値が高い。総じて富裕層出身者が多く、所得水準が高水準である。日本のような一級建築士として工学的設計瑕疵が重く問われる国とはかなり異なる建築家像となっており、アーキテクトと呼ばれる建築家は技術職ではなく文字通りアーキテクトであり、製図はDesenhista製図工が行い、建築の確認申請もProjetistaに任せ、構造や設備などもエンジニアに任せる仕組みであり、計画意匠の統括がブラジルの建築家の役割となっている。

日本の建築家

日本では伝統的に設計施工を兼ねる大工棟梁がいた。Architect の概念は、明治時代以降に輸入されたもので、まずは明治政府が雇用したお雇い外国人トーマス・ウォートルスジョサイア・コンドルらが活躍した。次いで旧官立大学を中心に西欧の建築学が導入された。東京駅の設計で知られる辰野金吾工部大学校(後の東京帝国大学工学部)1期生である。

Architecture は当初「造家」と訳され、1886年に工部大学校卒業生を中心に「造家学会」が設立された。やがて伊東忠太による提案を受け、1897年に建築学会(現・日本建築学会)と改称した。伊東は、「造家」では技術的な要素が強すぎるので、芸術的な要素を強調するため「建築」という名称を主張したものであったが、すでに明治6年に発行された英和辞書でconstructionを「建築術なり」と称していた。

これに対する反発として、大正時代に日本建築士会と関西建築協会(現・日本建築協会)が結成された。日本建築士会は設計と施工の分離を主張し、西欧の Architect に相当する地位を確立すべく、「建築士法」制定運動を起こした。1925年に「建築士法」案が議会に提出されたが、建築界全体の足並みがそろわず、成立を見なかった。

第二次世界大戦後の1950年建築士法が成立し、国家資格としての「建築士」制度が誕生した。現在に至るも、日本では「建築家」として認定するための公的認定機関は存在せず、それを名乗るのに免許証や資格証等の証明は不要で、それに代わる資格認定機関も存在しないのが実状である。

社団法人日本建築家協会では、建築家を職業のひとつとして扱う。建築家職能原則に従って、同協会への入会資格を以下のように定めている。

  1. 専業で建築設計監理業務を行なう者
  2. 前記業務を行なう組織の主宰者または協同者
  3. 責任ある立場で設計監理業務を行なっている者
  4. 前記の立場に相当し公的資格を持つ者(建築士

国際的な建築設計競技などでは、UIA(国際建築家連合)の会員資格を求められるものが多いが、日本ではJIA(日本建築家協会)に所属することでUIA資格保持に準拠するものとしている。

現在までJIAが中心となり、国際水準に合わせるため建築家としての統一資格制度の整備を試行してきたが難航している。

実務上は、建築設計事務所のなかでも国家資格である「建築士」を擁した登録事務所でなければ、一定規模の建築を設計・監理することはできない。他方では、前述したように「建築家」というのは資格制度上の名称ではなく、自身では資格がなくとも、スタッフに有資格者を置くことで建築士事務所を主宰し、職業として建築家と名乗る、ということも可能ではある。

ゼネコン設計部

現在日本で大手ゼネコンの抱える建設業設計部は建築界において大きな位置を占めており、評価の高い作品も多く生み出している。日本では明治時代後半から清水組などの大手建設会社が大学出の学士を採用するようになり、自社で設計から施工までを一貫して行う体制を整えてきた。この点は西欧流に設計と施工の分離を唱える立場からは問題視され、戦前の「建築士法」制定運動の中では、施工会社が設計を行うことを禁止しようという主張も見られた。

プロフェッサー・アーキテクト

大学建築学教育を行ないながら、実際の設計に関わるものをいう。これは世界各国建築学校で一般的なスタイルであり、また実務に長けた建築家を教授に招聘するのも非常に多く行われている。

日本では最初からジョサイア・コンドルなどが教育と実務にあたっており、教え子の辰野金吾が引き継ぐ。東京大学では帝国大学時代から伊東忠太以下、多数存在する。特に東大の内田祥三は営繕課長を兼ねて安田講堂を含むキャンパス計画を作成し、教え子を育てながら大学のグランドデザインを実現させていった。

早稲田大学佐藤功一が発足させてから、以降歴代の教授陣は設計実務にも関わりながら、教育と研究に従事している。

第二次世界大戦後も丹下健三芦原義信吉田五十八吉村順三清家清堀口捨己篠原一男槇文彦大野秀敏坂本一成村上徹岸和郎妹島和世西沢立衛などプロフェッサー・アーキテクトの例は多い。単なる理論のみでなく実務に関わることは研究上・教育上も必要であり、学生に設計実務を示すことができるなどのメリットがあるとされる。

アンビルト・アーキテクト

建築家という空間デザイナーがそのデザイン空間を実現することは、依頼者がいて、依頼者の資金で、依頼者がなんらかで使うための建築空間を構築することであるが、中にはこうしたことを束縛として捉え、束縛から逃れてデザイン空間実現へのこだわりは捨て、ドローイングや思想を発表する建築家が現れている。それらの者はアンビルト・アーキテクトと呼ばれる。磯崎新は著書「UNBUILT 反建築史UNBUILT」(TOTO出版、2001年)、「建築の解体―1968年の建築状況」(再版:鹿島出版会 1997年、ISBN-10: 4306093492 ISBN-13: 978-4306093492、美術出版社、1975年)で、「デザイン空間の実現を伴わない建築思想家=アンビルドアーキテクト」として、案件での作品著作や、発表・講演等で生計をたてる道があることを示している。さらに磯崎も前述の著書で1980年代のポストモダニズム建築の到来とその崩壊、非構築系建築の出現を予測している。

世界ではボストン建築家協会が主催するその名も「BSA Unbuilt Architecture Design Awards」といった未完作品・空想建築作を表彰する賞もある。建築中や建築予定の作品は選考対象外、計画が途中で断念されたプロジェクトや仮想のプロジェクトが応募の対象となっている。

歴史的に建築家は、個人差もあるが総じて絵は上手く、いわゆるユートピアや先見の明の建築プロジェクトなどを、ドローイング等といった図面の操作で作品を発表し政治、世界、文化などを語る傾向がある。社会性政治性は建築家必須のアイテムである。

アンビルドアーキテクトと呼んでいる建築家も、それなりに芸術としての建築を構想する建築家として評価する伝統があり、日本に比べ技士ではなく建築や都市の総合プロデューサーといった側面は諸外国では強く、こうした建築家はアーキテクチュア・ライティングが重要なツールとして発揮、構想しているビジョンも時代に先駆け過ぎ、実物の建築を建設する機会に恵まれないタイプの建築家を評価する慣習がある。 都市計画と建築は一体的に語られ、環境問題にも詳しいのが建築家とみられる。 その時代を先取りした建築ビジョンなど、本物を建てたことがなくても、世界中の建築家・建築界から評価されているアーキグラムなどはRIBAゴールドメダルを2002年に受賞している。

こうしたアンビルドアーキテクトとみられている建築家は、 上記アーキグラムの他、 マリオ・ガンデルソナス、 ジョン・ヘイダック スーパースタジオフレデリック・キースラーレベウス・ウッズマッシモ・スコラーリ、 フランコ・プリーニ、 コンスタント・ニーヴェンホイス、 エリザベス・ディラー+リカルド・スコフィディオ、 ヨナ・フリードマン、 らがいる。

但しかれらにしても、以前に建築の実務にはついていてあるいは自身の建築設計事務所を構えている。実作は少ないながらもといった類である。スケッチやドローイング、模型でしか作品発表していない。それにも関わらず、少ない実作や設計図面よりも、スケッチやドローイングで発表された新規の建築ビジョンが現実の建築に多大な影響を与える力をもちえている。ダニエル・リベスキンドザハ・ハディドニール・ディナーリアシンプトート英語版など、長らく建築実作に恵まれなかった面々も過去にはアンビルトアーキテクトとみられ、同様の活動を行い、また公開の建築設計競技で発表された案が注目され日の目をみたのもある。

こうした建築家は脱構築主義建築系の建築家という風にみられ、これについては入江徹が「展覧会―ディスコンスタラクティビスト・アーキテクチュアとその背景」(日本建築学会計画系論文集 第551号、p329-334、2002年)という論で「脱構築主義の建築展」などを参考にしてこの背景の考察を行っている。

黒川紀章もデビュー作は新聞で一作も無いが計画案で国際的に有名な建築家と紹介され、依頼が来たものである。

やや逆のケースもあり、 フランス革命期のエティエンヌ・ルイ・ブーレーアル=ケ=スナンの王立製塩所の実作のあるクロード・ニコラ・ルドゥーも 革命後実作に恵まれなかったが、その後幻想的な計画案を残し、これらが注目を集めていった。

またロンドン動物園スノードン禽舎を設計したセドリック・プライスレオン・クリエダグマル・リヒター、 建築評論で活躍するマイケル・ソーキン、 など、実作も少なく、実作よりも案やドローイングその他の方が知られるケースもみられる。

三浦丈典が建築家が構想段階で描くドローイングについて著した「起こらなかった世界についての物語 アンビルト・ドローイング」(彰国社 2010年)で実際には実現していない「unbuilt drawing」 をテーマにしている。16世紀から20世紀まで26の建築家のドローイングが取り上げられている。それぞれに著者ならではの興味深い文が添えられており、絵の構想だけで実物がないということが、 様々な想像や妄想がしやすいことを指摘している。

建築家に関する本

建築家に関する世界遺産

建築家に関する賞

建築家に関する最も著名な賞は、ハイアット財団(Hyatt Foundation)から贈られるプリツカー賞(正式名称:プリツカー建築賞)である。次いで、王立英国建築家協会(Royal Institute of British Architects)から贈られるRIBAゴールドメダル(正式名称:ロイヤルゴールドメダル)、アメリカ建築家協会(American Institute of Architects)から贈られるAIAゴールドメダル、世界建築家連合(Union Internationale des Architectes)から優れた建築家に対して授与される賞であるUIAゴールドメダルスターリング賞、アジア建築家評議会アルカシア建築、ヨーロッパ主要建築家フォーラム(Leading European Architects Forum、LEAF)のリーフ賞がある。日本においては国内の建築家に与えられる最高峰の賞として日本建築学会賞と、日本建築大賞新建築賞が知られている。

おもな関連団体

国際

日本国内

各都道府県、建築士会(士会)
各都道府県、建築士事務所協会(事務所協会)
  • 日本建築協会
  • 日本建築積算協会
  • 新建築家技術者集団
  • 日本アーキテクチュラル・レンダラーズ協会
  • 日本建築仕上学会

著名建築家(日本国外)

ルネサンスから歴史主義建築

イタリア

フランス

ロシア

イギリス

ドイツ

オーストリア

近代建築以降(生年順)

来日して活動した建築家

日本人の著名な建築家(生年順)

主要な建築設計事務所

日本国外

日本

組織系建築設計事務所

ゼネコン系設計部

大林組

「大林組」も参照

鹿島建設

「鹿島建設」も参照

清水建設

「清水建設」も参照

大成建設

「大成建設」も参照

戸田建設

「戸田建設」も参照

竹中工務店

「竹中工務店」も参照

建築家を養成する(養成した)著名な学校

  • トロント大学
  • マニトバ大学建築学部 - カナダ
  • カールトン大学
  • ブリティッシュ・コロンビア大学
  • ウォータールー大学
  • アマゾン大学スペイン語版
  • ケニア大学工学部建築学科
  • ジョモ・ケニヤッタ大学工学部建築学科
  • リマ王立工科大学
  • ペルー国立工業大学
  • ブエノスアイレス大学
  • イベロアメリカ大学
  • ニューメキシコ大学

アメリカ

フランス

フランス:エコール・デ・アーキテクチャ (ENSA20)

(その他)

イギリス

オーストラリア

ドイツ・オーストリアほか

(芸術アカデミー)

(技術大学)

(大学)

(応用科学大学(専門大学、FH))

スイス

  • メンドリジオ建築アカデミー

(大学/スイス連邦工科)

(応用科学大学)

  • エレヴァン工科大学
  • ティミショアラ建築大学
  • イオン・ミンク建築・都市大学
  • シレジア工科大学
  • WUTワルシャワ工科大学建築学部
  • R.ルメール保存修復センター
  • ベルギー・サンリュック大学
  • バレンシア工科大学建築学院
  • IaaC - バルセロナ
  • バルセロナ高等建築学校
  • ラ・コルーニャナ高等建築学校
  • マドリード建築学校
  • サンリュック大学建築学部
  • リスボン工科大学建築学部
  • リスボン芸術大学
  • ポルト大学
  • フィレンツェ大学建築学部
  • ローマ大学建築学部
  • ヴェネツィア建築大学
  • ミラノ工科大学建築学部
  • リュブリアーナ大学建築学部
  • クランブルック美術学院
  • ポルト大学建築学部
  • ベルラーヘ・インスティチュート - ロッテルダム
  • デルフト工科大学建築学部
  • アムステルダム建築アカデミー
  • アテネ国立工科大学建築学部
  • レーピン絵画彫刻建築大学
  • モスクワ建築大学
  • ソ連高等芸術学校ヴフテマス(VHUTEMAS)
  • タリン芸術大学

北欧

アジア

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『学術用語・JIS用語に基づく英和・和英 建築・土木5万語中辞典』(インタープレス対訳センター編集、株式会社アルファベータ、1998年) 「文部省学術審議会学術用語分科会-学術用語・建築学会編1955年」を出典として、architect=建築家(32頁)、建築家=architect (765頁)。『オンライン学術用語集』。Wikipedia:表記ガイド#学術用語も参照。

関連項目