庵原朝昌

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庵原 朝昌(いはら ともまさ、弘治2年(1556年)- 寛永17年(1640年))は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。後に井伊氏家老をつとめた。通称は助右衛門。

概要[編集]

今川氏重臣の庵原氏の一族であったが、今川氏滅亡後は武田氏に仕えた。武田氏滅亡後は羽柴秀吉家臣の戸田勝隆に仕えるが、津田信成の仲介で井伊直政の家臣(1500石)となる。しかし、直政と諍いを起こして出奔、各地を流浪し、佐々成政配下となっていた水野勝成(この時の知行1000石)に200石で召し抱えられたという。成政の死後は、勝成(もしくは松平忠吉)の仲介で再び直政家臣(2000石)として帰参した。大坂夏の陣若江の戦いでは敵将木村重成を討ち取る功績をあげ、4000石となった。

妻は新野親矩の娘。子孫は彦根藩の次席家老(5000石)として続いた。

登場する作品[編集]

参考文献[編集]

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』(講談社、2001年)
  • 『三百藩家臣人名事典4』(新人物往来社、1988年)
  • 小宮山敏和「井伊直政家臣団の形成と徳川家中での地位」・「近世初期における譜代大名〈家中〉の成立」『譜代大名の創出と幕藩体制』(吉川弘文館、2015年) ISBN 978-4-642-03468-5