庚申堂 (奈良市)

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庚申堂

庚申堂(こうじんどう)は、奈良市ならまちの中心にあり、「庚申さん」と呼ばれる。庚申信仰奈良の拠点であり、青面金剛像を祭祀する祠である。また、青面金剛の使いの猿を型どったお守りは、魔除けとして、町内の家々の軒先に吊るされている。大きいのが大人、小さいのが子供とされ、家族構成に合わせて吊るされている。また、町内から転出した家族の分の猿は、庚申堂に預けられて、転出者と町との精神的な絆を保っている。町内の住民の災いを代わりに受けることから、「身代わり猿」と呼ばれ、また、帯の背中部分に願い事を書いて吊るせば願いが叶うとされ、「願い猿」とも呼ばれ、赤い小さい座布団の四隅を折り曲げて結びつけ、1つの間に丸い頭を付けたもので、手足をくくられた猿が頭を垂れて体を屈曲させた姿を表す形で[1]、帯以外は大和小泉庚申堂や京都八坂庚申堂のくくり猿の形状と同様である[2][3]

毎年3月の第2日曜と11月23日に、「庚申まつり」が行なわれ、参拝者に大根こんにゃく田楽がふるまわれる。

起源と歴史[編集]

庚申縁起に見える伝承によれば、文武天皇代に疫病が流行した時に、元興寺護命僧正が祈祷していると、1月7日になって、青面金剛が現われ、「汝の至誠に感じいったので、悪病を祓おう」と言って消え去った。その後、間もなく悪病がおさまった。その感得の日が「庚申の年」の「庚申の月」の「庚申の日」であったとされる。それ以来、この地に青面金剛を祀り、三尸の虫を退治し、息災に暮らすことを念じて人々が講を作って供養したと伝えられている。

実際は、庚申堂も奈良町の一部で、元興寺の大半が焼失して建物が建てられ奈良町の中心部が成立した室町時代以降ということになる。 江戸時代には、くくり猿信仰が生まれた[4]

文化財[編集]

所在地[編集]

奈良市西新屋町39
  • 身代わり申が祈祷・授与される奈良町資料館(西新屋町14)および吉祥堂(14、15附近)のすぐ近くにある

ギャラリー[編集]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 奈良町資料館「みがわりざる」2019年3月12日閲覧
  2. ^ 2015年1月10日産経新聞奈良版連載「なら再発見」第106回「小泉庚申堂」2019年3月12日閲覧、新聞リンクなく筆者関係者ブログ転記参照
  3. ^ 八坂庚申堂HP「くくり猿」2019年3月12日閲覧
  4. ^ 中村光行『奈良の鬼たち』京阪奈情報教育出版〈あをによし文庫〉 2017年 p.227

関連項目[編集]

座標: 北緯34度40分37.1秒 東経135度49分48.2秒