広岡富夫

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広岡 富夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県呉市
生年月日 (1928-02-20) 1928年2月20日(90歳)
身長
体重
176 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1952年
初出場 1952年
最終出場 1959年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

広岡 富夫(ひろおか とみお、1928年2月20日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手読売ジャイアンツで活躍した広岡達朗は弟[1]

来歴・人物[編集]

呉二中から広島県庁軟式野球チームで強打者として活躍していた[1]1952年広島カープへ入団。公務員からプロへ入団となる珍しいケースであった。弟の達朗によると「子供のころから器用で、運動神経も私よりはるかにまさっていたがまさかプロになるとは思わなかった。私のプロへの道筋は、細々と芽生えていたんだ」と語っている[2]。2年後に巨人へ入団して1年目から活躍する達朗とは対照的になかなか活躍できずにいた。

その力を発揮できるようになったのは4年目の1955年。広島が苦手としていた巨人の大友工から満塁本塁打を放つなど、97試合に出場した[1]1957年に完成した広島市民球場で7月30日の国鉄スワローズ戦で広島の選手としての第一号本塁打をこの年に打っている[2]

1959年引退した後は、山陽特殊製鋼監督を務め、都市対抗野球大会出場に導いている[1]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1952 広島 41 31 30 4 1 0 0 0 1 0 0 0 1 -- 0 -- 0 7 0 .033 .033 .033 .067
1953 8 2 2 2 1 1 0 0 2 0 0 0 0 -- 0 -- 0 1 0 .500 .500 1.000 1.500
1954 26 41 40 3 8 1 0 0 9 1 0 0 0 0 0 -- 1 7 0 .200 .220 .225 .445
1955 97 313 282 27 59 13 1 7 95 30 3 1 11 1 13 1 6 43 3 .209 .259 .337 .596
1956 95 309 271 20 58 11 1 5 86 15 5 4 13 1 19 1 5 46 5 .214 .278 .317 .595
1957 81 282 254 21 56 9 1 8 91 17 3 2 11 0 16 1 1 61 6 .220 .269 .358 .628
1958 82 244 224 20 46 10 4 5 79 23 3 2 4 2 13 2 1 38 3 .205 .252 .353 .605
1959 38 73 69 1 10 1 1 0 13 5 1 0 1 2 0 0 1 11 0 .145 .157 .188 .346
通算:8年 468 1295 1172 98 239 46 8 25 376 91 15 9 41 6 61 5 15 214 17 .204 .252 .321 .573

背番号[編集]

  • 19 (1952年 - 1959年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d カープ50年 夢を追って、中国新聞社、1999年11月、P43
  2. ^ a b プロ野球レジェンドが語るあの日、あのとき、産経新聞出版、P106、2015年

関連項目[編集]