幽霊はここにいる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
幽霊はここにいる
The Ghost is Here
著者 安部公房
イラスト 装幀・挿絵:安部真知
発行日 1959年6月15日
発行元 新潮社
ジャンル 戯曲
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
Portal.svg ウィキポータル 文学
Portal.svg ウィキポータル 舞台芸術
[ Wikidata-logo-en.svg ウィキデータ項目を編集 ]
テンプレートを表示

幽霊はここにいる』(ゆうれいはここにいる)は、安部公房戯曲。3幕18場から成る。安部の前期演劇の頂点をなす作品である[1]。戦友の幽霊が見えるという不思議な男と出会った中年男が、「死人の写真 高価買います」というビラを町中に貼って始めた珍商売の喜劇的物語。ユニークな状況設定と通行人をミュージカルコーラスに使うなど、シュールな手法を駆使した諷刺幻想のドラマ構成で、幽霊商売が巻き起こす町の混乱がリズミカルに描かれている[2][3]

1958年(昭和33年)、白水社雑誌『新劇』8月号に掲載された。同年6月23日に田中邦衛主演により俳優座劇場で初演され[注釈 1]、第5回(1958年度)岸田演劇賞受賞。単行本は翌年1959年(昭和34年)6月15日に新潮社より刊行された。翻訳版もドナルド・キーン訳(英題:The Ghost is Here)をはじめ各国で行われ、東ドイツルーマニアモスクワなど海外各国でも上演されている[4]

作品成立・主題[編集]

安部公房は、『幽霊はここにいる』の成り立ちについて、「幽霊という観念、というか、観念としての幽霊というか――それがだんだんつきつめられていって、ひどく物質的な幽霊になった」とし、現代の世の中の動きが、すべて「商品価値というものに解消していく」状況に触れつつ、そういう動向のなかに、はまり込んだ幽霊、つまり「実体のない純粋な商品」のことだと説明し、「じつにナンセンスな世界だが、これが現実でね。そこから人間が結局はのがれていないんだということを、一度洗いだして客観視してみようということでね」と説明し、以下のように語っている[3]

直視すれば、グロテスクな世界なんだが同時にひじょうに、日常的であたりまえのことなので、人々は気づかずに暮らしている。空気みたいに、気がつかずにね――でも、よく考えてみたら、何から何までとにかく商品の世界だ。人間だって商品になってしまってね。それはもう、人間の名声ってなものだって、商品価値をともなわなかったら成立しないわけですよ。マスコミなんていったって、全部やっぱりそれがうごくたびに何処かで資本が蓄積されていってるんだ。あんまり当りまえだから、見えなくなってしまっているけれども、――その、それを当りまえだとして、気がつかずに生きているってことのグロテスクさ、そういうところにひっかかってもらいたいんです。 — 安部公房「稽古場にて――安部公房・千田是也氏にきく」[3]

また、通行人をコーラスに使っている点については、「物体としてのリズムみたいなもの」が頭にあり、ミュージカルらしくないミュージカルというものを意識したと述べている[3]

さらに安部は、作品内で活躍するのは必ずしも一人だけの幽霊ではないことが分ってもらえるだろうとし、その無数の様々な種類の幽霊たちが、各人の思惑でそれぞれに活躍する様相は、実際この世が、「無数の幽霊たちで充満している」という意味だと説明し、しかし「素朴な合理主義者たち」は、それを〈正体みたり枯尾花〉などと言って、幽霊を軽蔑することを例にとりつつ、「枯尾花はけっして幽霊の正体ではない。樹氷のシンが木の枝であっても、木の枝はけっして樹氷の正体ではないように、枯尾花も幽霊の単なるシンにすぎないのである。幽霊の正体は、もっと複雑なものだ」と主張し、作品主題の〈幽霊〉について以下のように語っている[5]

この芝居では、はじめ幽霊は、死者記憶である。死者の記憶がなぜ幽霊になるのかというと、まだ論理化されていないものが、論理化を求めて私たちにせまるからである。論理化されてしまえば、たいていの幽霊は消えてしまう。幽霊とはそういうものだ。ところが、この幽霊が、そのうち商品として金もうけの道具にされてしまう。すべて一度は商品という門をくぐって、社会的存在物になるのが、資本主義社会のしきたりであることを考えれば、幽霊が取引きされたって、なんの不思議もないわけだ。というより、商品そのものが、すでに物質界の幽霊的存在なのではあるまいか。幽霊とはまた、こういうものでもあるわけだ。だが、幽霊の究極的正体については、観客の皆さんの、芝居をみおわってからの究明におまかせしようと思う。 — 安部公房「作者のことば――『幽霊はここにいる』」[5]

演出を担当した千田是也は、芝居の仕組について、「はじめ幽霊というものが歴史的、人間的な意味をもっていたのに、そういう実体的なものが希薄になって、商品としての機能の方がどんどん膨らんでしまう」と述べている[6]。安部はそれを敷衍し、登場人物の深川の空想の中において、「幽霊が意外にリアリスティックな欲望を持っていく」という点に、「人間と人間の関係、どっちが先かという問題の暗示」、「関係のない人間はいない」ということがうまく芝居に出ればいいとし[6]、人間関係の作り出す幽霊の変質、実体がなくなりながら力だけが強くなってゆくという風に、「幻想を再生産する力」を幽霊がもっていると説明しながら、以下のように語っている[6]

死人というものは、たとえば共同体を存立させてる空間性にたいする時間性というふうにも考えられると思いますよ。死者一般ですね。単に経済的な現象として幽霊的なものにかきまわされているっていうだけじゃなくて、人間というものが、他人をにして自分があるという関係、それから歴史性というものも現代に写しだしてはじめて可能になる。共同体というものも要するにそれを写しだして実体化しうるものが、逆転して、いろんな意味での幽霊がつくりだされ、それがむしろ根元になるということですね。そういう最初から実体化されてしまうというカラクリみたいなところまである程度テーマがのびればいいんじゃないかと思うんです。 — 安部公房(千田是也との対談)「『幽霊はここにいる』再演」[6]

なお、『幽霊はここにいる』は、1957年(昭和32年)5月頃に執筆された未発表小説『人間修行』と、同年12月頃にそれを戯曲化した未発表戯曲『仮題・人間修行』(メモ)を発展させた作品であるという見方もある[7]

「安部公房をはげます会」発足[編集]

『幽霊はここにいる』の上演を機に、「安部公房をはげます会」が発足された[4][8]。「安部公房をはげます会」は、1958年(昭和33年)7月15日に草月会館で開かれ、司会は尾崎宏次、参加者は、石川淳三島由紀夫林達夫勅使河原蒼風土方与志市村俊幸花田清輝十返肇岡本太郎開高健武田泰淳中野重治内村直也野間宏草笛光子山本薩夫山下肇フランキー堺小林トシ子勅使河原宏芥川比呂志芥川也寸志朝倉摂佐多稲子佐々木基一宮城まり子三和完児椎名麟三千田是也、など50余名が集まった[4][8]

あらすじ[編集]

訳あって、ある橋の下で浮浪生活をしていた元詐欺師の大庭三吉は、友の幽霊が見え会話ができるという不思議な男・深川啓介と出会った。深川は、傍らにいる戦友の幽霊の身許を捜していた。幽霊は昔のことは何にも憶えていないのだという。その話から金儲けの食指が動いた大庭は、さっそく深川を連れて、家族のいる海沿いの町・北浜市へ舞い戻って来た。大庭の帰郷を聞きつけた地元新聞社の鳥居弟や選挙が近い市長らは慌てた。彼らは昔、或る偽証事件で大庭と関わりがあり、弱味があったからだった。人殺しの嫌疑のあった大庭は事件のほとぼりがさめるまでの1年間、町を出る約束を鳥居弟とし、そのまま8年間行方をくらましていたのだった。鳥居弟は部下の箱山記者に大庭の動きを見張らせた。

8年ぶりの妻・トシエと娘・ミサコとの再会も早々に大庭は深川と共に、「死人の写真 高価買います」というビラを町中に貼った。深川によると、彼自身には友一人の幽霊しか見えないが、他にも多数の幽霊たちが後をついて来ているのだという。さっそく翌日、死んだ義弟の写真を売りに市民A(主婦)が来た。大庭は死人の特徴を示す「身の上調査票」を客に書かせ、金は1週間後に現金で払う約束の「写真預り証」だけ渡した。そんな調子で集めた写真と幽霊たちを照合する会も夜に行なわれ、深川は幽霊一人一人の戸籍のようなものを作り出した。スパイをしているところを見つかった記者の箱山はその会に同席し、宣伝記事を書くことを約束させられた。

「家なき幽霊に、愛の手を!」という見出しの新聞記事で幽霊騒動はラジオも取材申し込みに来るほどの反響を呼んだ。義弟の幽霊が戻ってくるとまずいことになる市民Aが写真を取り返しに来たが、大庭は逆に高値で買わせた。しだいに写真買取の周旋屋が町だけでも百人以上となり、あちこちで写真泥棒も出た。写真を盗まれた遺族が大庭の店へ買戻しに来たり、その他にも幽霊講演依頼や探偵依頼、身の上相談、病気治療など幽霊商法は大繁盛となった。大庭は市長や鳥居兄弟らを理事にした「幽霊後援会」を設立させた。そんな折、死んで幽霊になった後の言伝まで遺書に書き、実験的に崖から飛び降り自殺する男まで現われた。大庭はそれをヒントに幽霊保険や幽霊服のアイデアが浮ぶが、記者の箱山は大庭や鳥居らに、「幽霊なんて、いやしない」と苦言をさした。箱山は新聞社を首になった。

自ら幽霊後援会の二代目会長となった幽霊は、ラジオの生放送中に次は市長になりたいと意思表示し、大庭の娘・ミサコと結婚したいとまで言い出した。いやがるミサコは人殺しの目撃者の件で父親を脅迫した。困った大庭と市長は幽霊服のファッションモデルの女に幽霊を誘惑させようとした。そこへ吉田という名字の老婆(深川の母親)と、本物の深川啓介がやって来た。戦友の幽霊は生きていたのだった。自分が深川だと思っている吉田は、戦時中の南方のジャングルで自分のせいで戦友(深川)が死んでしまったのだと思い込んでいたのだった。飢餓状態のジャングルで精神的に混乱し苦しんだ吉田は、頭の中で本物の深川と自分を入れ替えて記憶したまま戦後を迎え、その後、精神病院から飛び出していたのだった。その話を本物の深川から聞いた吉田は、鏡を見せてくれとミサコに頼んで自分の顔をまじまじと見つめた。

自分が吉田で、戦友が深川であることを認識した吉田の傍らから幽霊が消えた。幽霊がいなくなり慌てる一同に、「呼ばなくたって、ここにいるよ。幽霊はここにいる」と本物の深川が言った。本当は幽霊と離れたかった深川(吉田)と、深川が幽霊から解放されることを願っていたミサコはお互い気持が通じ合い、本物の深川や、互いの親たちと一緒に幽霊会館から出て行った。幽霊がいなくなり、大庭に見捨てられた鳥居兄弟と市長らは怒るが、モデル女の、「どうせはじめっから、いやしなかったんでしょう。…いることにすりゃいいんでしょう?」という言葉で活気づき、そのまま幽霊商売を続け出した。そのことを箱山は大庭たちに教え、目撃者の件で市長たちをひっくり返せばいいと正義ぶるが、大庭の妻・トシエは、幽霊後援会の理事は夫だと居直った。トシエは、実は自分が目撃者だったことを夫にバラし、「あんたも幽霊が見えることにしちゃったらいいじゃないの」と、幽霊商売を続けることを勧めた。元気になった大庭は、金縁の老眼鏡をかけた海坊主みたいな幽霊さんが見えると言い、トシエと一緒に、「幽霊が見える、見える」と町でふれ歩く。

登場人物[編集]

深川啓介
32、3歳の見るからに貧相な男。いつも幽霊を連れている。鏡を見るのを嫌がる。独身。アスピリンを常用。元上等兵。深川は戦争中、南方のジャングルで戦友と二人だけとなり、飢餓状態の中、残された一つの水筒をめぐりジャンケンで勝った方が飲むことになった。深川はジャンケンに負けたが、勝った友達は水筒を持ち去らずにそこで気が狂ってしまった。深川は彼をそこに残したまま水筒をもらって立ち去ってしまったのだという。深川の本当の名は吉田。
大庭三吉
55歳。元詐欺師。髪がうすくコールマン髭を生やしている。出っ尻でらっきょう頭。戦争中は万年一等兵カタリ。食用ネズミの飼育場建設事件という、夜逃げした市会議員もいた8年前の偽証事件で殺人の嫌疑をかけられていた。大庭が鳴らしたおもちゃのピストルの音で、吉野という心臓の悪い老人の市会議員が発作を起こし死亡していた。死んだ吉野の風体は、食パンみたいに真ん中のくびれたヤカン頭で金縁の老眼鏡をかけた、海坊主みたいに肥った65、6歳の男。
大庭ミサコ
23歳。大庭三吉の娘。8年前に父親が家出した時は15歳。母親と一緒に崖近くの見すぼらしい家で、「ヒカリ電気商会」という代理店をやっている。深川の傍らの幽霊に好意をもたれるが、生きている人間(深川)を翻弄する幽霊をわがまますぎると考える。深川に好意をもつ。
大庭トシエ
大庭三吉の妻。情のこまかい新潟出身の女。8年前の事件で、夫がピストルを鳴らし吉野が心臓発作で死亡したのを目撃していた人物を知っていると夫に言うが、実は自分が目撃者。夫の幽霊商売が繁盛しだすと協力的になる。
鳥居弟
「北浜新報」の社長。8年間の偽証事件で大庭と関わりがある。吉野が死んだ時の目撃者がいると大庭に脅され、箱山の取材した幽霊記事を新聞掲載することを承諾する。
箱山義一
「北浜新報」の社員。地元出身の人間ではない。深川の幽霊話を信じず、深川の幻影だと思っている。新聞社を首になった後、鳥居や大庭の関わる事件についての実話小説を書きはじめる。田舎暮らしに退屈し東京へ進出を考え、反市長派の市会議員とつるむ。
久保田(市長)
北浜市長。鳥居兄弟と同じく大庭に弱味を握られている。選挙を控え、スキャンダルを恐れる。大庭の幽霊商売が繁盛し、幽霊後援会の会長となる。北浜市を日本全国の幽霊総本山にするという大庭におだてられ、県会議員や代議士の夢をみる。
鳥居兄
金融業者。大庭に弱味を握られている。幽霊保険の事業を担当する。
竹村(まる竹)
市一番の土建屋。田舎紳士風。鳥居兄弟と久保田市長の仲間。幽霊会館の建設工事に喜ぶ。見張りの腕っぷしの強い連中をすぐ呼べる。
吉田
老婆。深川の母親。深川の本名は吉田。
本物の深川
生きていた深川の戦友。名前は深川啓介。南方のジャングルで一つしかない水筒の賭けに勝ってしまい狂ったのは、実は深川(吉田)だった。そして吉田を連れてジャングルを出た本物の深川と一緒に二人は捕虜として捕まり終戦となった。その後、自分だけ生き残ったと思い苦しんだ吉田は、頭の中で本物の深川と自分を入れ替えて記憶してしまう。吉田は精神病院から逃げて大庭と知り合う。
男のファッション・モデル
幽霊服のモデル。
女のファッション・モデル
幽霊服のモデル。ミス北浜。甘え声。市長や大庭らに依頼され、幽霊を誘惑しようと踊る。
市民A
主婦。お客第一号。死んだ義弟の写真を売りに来るが、後から取り返しに来て高値で買わされる。自分の損を取戻すために、他人のアルバムを盗む。
市民B
主婦。「家なき幽霊に、愛の手を!」という記事を読み、戦死した妹の亭主の写真を送らせようと考える。家族の年寄りのリウマチの幽霊治療を依頼する。
市民C
女。大庭の死人写真買取の周旋屋の許可をもらいに来る。権利金まで払って周旋屋になる。自分自身も幽霊マッサージ治療を受ける。
市民D
中年男。大庭とは知り合い。帰ってきた大庭の噂や昔の事件の噂をする。「家なき幽霊に、愛の手を!」という記事を読み、鳥居の新聞もアカにかぶれたとつぶやく反共の元少佐。ボール箱工場を営む。工場職人の中のアカを、幽霊に透視してもらう。市民Aに軍人時代の記念のアルバム写真を盗まれる。
市民E
男。帰ってきた大庭の噂や昔の事件の噂をする。幽霊で町が盛上り、写真屋を始める。
市民F
日本宗教家連盟の男。幽霊の講演を依頼する。
市民G
人夫。大庭の家の引越し荷物を運ぶ。

作品評価・解釈[編集]

清水邦夫は、『幽霊はここにいる』に登場する「幽霊そのもの」が何を意味するか、という「象徴主義的な」捉え方はナンセンスで、そういった「哲学的価値判断」の観点は作品そのものへのアプローチをすでに最初から間違えてしまうことになるとし、『幽霊はここにいる』は、そういう判断がずっと背後に押しやられた世界だと解説している[1]。そしてそこが単なる「諷刺劇」と大きく違うところで、「安部公房が常に目ざす、実在物のような顔をして日常の中をうろついている(非実在物)の姿をあばき出す作業の優れた有効性を示すところ」だと説明し[1]、そういった「実在物のような顔をしている非実在物の発見」は、「今日の状況の複雑な相」を新しいユニークな視点からいくつも重ね合せて衝突させるところからなされるものであり、その内容は、「思いもかけぬ出会いに満ち満ちた巨大な“迷路”としかいいようのない、そら恐ろしいもの懐深いもの」に思えると評している[1]

高橋信良は、『幽霊はここにいる』の元となったとされる小説『人間修行』や未発表戯曲『仮題・人間修行』と比較し、元作品では幽霊が実体を持ち、観客読者の「感情移入の対象」となっているのに対し、『幽霊はここにいる』の幽霊には「ブレヒト的な異化効果」が機能しているとし[7]、観客を「何者にも同化させない効果」として、論理的な人物(ミサコ)が重要な役割を果たし、唯一、幽霊が見えていた深川も、「幽霊のおかげで論理的にならざるをえない」人物であり、深川(実は吉田)は、「観客の代わりに幽霊の論理化を試みる」存在だと説明している[7]。そして高橋は、安部公房自身が〈幽霊たちの事業が、ますます繁栄を約束されたところで、幕になるのである。幕がおりた瞬間、舞台と観客とは、完全に逆な方向をむいている〉[9]と語っている構図を鑑みながら、「深川にとっての幽霊は、論理化されて消滅することで、枯尾花となってしまう。しかし、深川が観客という存在のパロディ的役割を果たすとき、枯尾花でない〈幽霊より強い幽霊〉は消滅しない」と解説している[7]

おもな公演[編集]

おもな刊行本[編集]

  • 『幽霊はここにいる』(新潮社、1959年6月15日)
  • 改訂版『幽霊はここにいる』(新潮社、1971年1月15日)
    • 装幀・挿絵:安部真知。
  • 文庫版『幽霊はここにいる・どれい狩り』(新潮文庫、1971年7月15日) 
    • カバー装画:安部真知。付録・解説:清水邦夫
    • 収録作品:制服、どれい狩り、幽霊はここにいる
  • 英文版『Three Plays by Kobo Abe』(英訳:ドナルド・キーン)(New York:Columbia University Press、1993年)

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 1970年(昭和45年)3月には、登場人物など一部改稿された改訂版が、初演と同じく田中邦衛主演で上演された。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 清水邦夫「解説」(文庫版『幽霊はここにいる・どれい狩り』)(新潮文庫、1971年)
  2. ^ 「カバー解説」(文庫版『幽霊はここにいる・どれい狩り』)(新潮文庫、1971年)
  3. ^ a b c d 安部公房「稽古場にて――安部公房・千田是也氏にきく」(俳優座 1958年6月・No.3号に掲載)
  4. ^ a b c 「作品ノート」( 『安部公房全集 8 1957.12-1958.06』)(新潮社、1998年)
  5. ^ a b 安部公房「作者のことば――『幽霊はここにいる』」(俳優座第44回公演パンフレット、1958年6月23日。他再演パンフレット)
  6. ^ a b c d 安部公房(千田是也との対談)「『幽霊はここにいる』再演」(俳優座雑誌「コメディアン」1970年2月1日・No.214号に掲載)
  7. ^ a b c d 高橋信良「鏡の中の鏡――安部公房の演劇論 II」(千葉大学言語文化論叢、1999年3月)
  8. ^ a b 「安部公房をはげます会」(コメディアン 1958年8月1日号に掲載)
  9. ^ 安部公房「あとがき」(改訂版『幽霊はここにいる』)(新潮社、1971年)

参考文献[編集]

  • 文庫版『幽霊はここにいる・どれい狩り』(付録・解説:清水邦夫)(新潮文庫、1971年) 
  • 『安部公房全集 8 1957.12-1958.06』(新潮社、1998年)
  • 『安部公房全集 22 1968.02-1970.02』(新潮社、1999年)
  • 『新潮日本文学アルバム51 安部公房』(新潮社、1994年)
  • 高橋信良「鏡の中の鏡――安部公房の演劇論 II」(千葉大学言語文化論叢、1999年3月)[1]