平野祐康

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平野 祐康
ひらの すけやす
生年月日 (1948-02-24) 1948年2月24日(76歳)
出生地 東京都三宅村
出身校 大東文化大学経済学部経営学科
前職 東京都三宅村長
所属政党 無所属

東京都三宅村長
選挙区 東京都三宅村
当選回数 2回
在任期間 2004年 - 2012年
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平野 祐康(ひらの すけやす、1948年2月24日 - )は、日本政治家東京都三宅村の元村長(2期)。2000年三宅島火山噴火後の2004年に村長となり、2005年以後の全民帰島の陣頭指揮を取る。また、噴火災害からの復興を目指すオートバイによるイベントなどを島内で開催し、賛否両論を呼んだ。

来歴[編集]

1948年東京都三宅村に生まれる。大東文化大学卒業。2000年6月、三宅村財政担当時に島内火山の大噴火[1]が起こり、村民全島避難が開始され、後に東京都港区に設置された三宅村東京事務所の所長となる。2004年村長選挙に立候補し初当選、以後2012年まで2期8年間村長をつとめる。

チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル[編集]

2000年に発生した火山の噴火による災害の復興策、及び観光客誘致などを目的として、2006年、当初はイギリスマン島で行われているマン島TTレースを参考に、東京都知事である石原慎太郎公道でのオートバイレースを提唱した。計画では、島を周回するコースであり、2006年5月には石原都知事や平野三宅村長らは、公道レースの手本となるTTレースの視察でマン島を訪れている。第1回目開催前は、公道レース開催ということで話題になり、出場準備をする者もいたが、協賛辞退や公道レースが先送りとなり、最終的にはオートバイによるパレードやドラッグレースなどが行われ、公道による大規模なレースは開催されなかった。以後、形態を変えながらも毎年開催され、2012年は、名称を「WERIDE三宅島エンデューロレース」として10月に開催された[2]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代
長谷川鴻
三宅村旗東京都三宅村村長
2004年 - 2012年
次代
櫻田昭正