平野レミ
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ひらの れみ 平野 レミ | |
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本名 |
和田 レミ (旧姓:平野) |
生年月日 | 1947年3月21日(71歳) |
出生地 | 東京都台東区 |
国籍 |
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血液型 | O型[1] |
職業 | タレント、シャンソン歌手 |
ジャンル | 料理愛好家 |
配偶者 | 和田誠(1972年 - ) |
著名な家族 |
平野威馬雄(父) 和田唱(長男) 上野樹里(長男の嫁) 次男 和田明日香(次男の嫁) ヘンリイ・パイク・ブイ(祖父) |
公式サイト | https://remy.jp/ |
平野 レミ(ひらの れみ、1947年(昭和22年)3月21日 - )は、日本の料理愛好家、タレント、シャンソン歌手。戸籍名:和田 レミ(わだ れみ、旧姓:平野)。
目次
人物[編集]
東京都台東区生まれ、千葉県松戸市で育つ。父はフランス文学者の平野威馬雄。夫はイラストレーター、エッセイスト、映画監督の和田誠。長男はTRICERATOPSの和田唱。長男の妻は女優の上野樹里。次男の妻はモデルで食育インストラクターの和田明日香。祖父は日本美術史家で法律家のヘンリイ・パイク・ブイ。
料理番組を中心に活躍。終始テンションが高く、息つく間もないほどの早口で話すのが特徴。その明るいキャラクターがウケ、料理番組のみならずバラエティ番組(番組内の料理コーナー)にも出演する個性派料理研究家[注 1][2][出典無効]。
清水ミチコのモノマネレパートリの1人でもあり、実際に『スタジオパークからこんにちは』にて共演しており、面識がある。清水は平野の暴走振りに呆れながらも、お笑いの才能に「素晴らしい人材」と感嘆した一幕があった[3]。
『きょうの料理』などでの自由奔放な立ち振る舞いと奇想天外な料理のアイディアから、一部のファンからは「生きる放送事故」[注 2]とあだ名されている。
東京都立上野高等学校中退[4]後、文化学院在学中、佐藤美子にシャンソンを学び、日航ミュージックサロンで歌手デビューする。
やがてTBSラジオのディレクターから声がかかり[注 3][5]、TBSラジオ番組『キンキン・ケンケンのそれ行け!歌謡曲』内の番組コーナー『ミュージック・キャラバン』(東京や関東近県の主にスーパーマーケット等の店頭等から公開生放送する番組。番組提供スポンサーは、「三井物産食品グループ」など)で久米宏とコンビを組み活躍し、番組内での一般観覧者が参加する、TBSラジオカー(中継車)と同行した車両に搭載し持参したジュークボックス[注 4]から、番組側が選んだジュークボックスの「曲番号」で掛かる曲が「男性歌手か?、女性歌手か?」と当てるゲームで、曲のイントロが流れて正解が判るまでの短い時間、平野が繰り返し叫んだ「男が出るか!女が出るか!」は、当時話題を呼んだ。その番組を聞いていたイラストレーターの和田誠が平野に惚れ込んだことが縁で[注 5][6][7]、1972年に和田と出会って1週間で結婚した。
一時は育児・主婦業に専念していたが、両親が旨いもの好き[注 6]という影響から家庭料理の研究にも力を入れるようになり、料理研究家ならぬ「料理愛好家」として再び表舞台で活躍しはじめた。料理番組に初出演したのはNHKの『きょうの料理』。初出演した放送回で扱った料理は牛肉とトマトの炒物であったが、材料のトマトを手で握りつぶして調理したため、多くのクレームを受けることとなった[8][注 7]。また、後に放送内の「20分で夕御飯」では20分以内に料理を作り終えてしまった際には、シャンソン歌手としての特技を生かし、余った時間でオリジナルソングを歌い尺を稼いだことがある。
2007年公開のディズニー配給映画『レミーのおいしいレストラン』の日本でのプロモーションでは「料理親善大使」を務めた。
レミパン・レミパンプラス[編集]
株式会社オダジマと共同開発した多機能鍋「平野レミの鍋 ドゥ! レミ・パン」(以下「レミパン」)を使って料理をすることが多い。レミパンはフッ素樹脂加工された平底のアルミニウム鍋ないしは深いフライパンで、蓋に可変式の蒸気穴がある。蓋の取手は蓋立てとしても機能する。また、平野が審査員を務める料理コーナーの景品にレミパンをプレゼントすることがある。主なレミパン支持者にグッチ裕三がいる。累計販売個数が150万個となる。
デザイナーに柴田文江を迎えた新型レミパン「レミパンプラス[9]」を2016年3月15日に発売。調理中、今まで置き場所に困っていた菜箸やヘラなどのツール類を、フライパンのハンドルに一時置きできるよう、マグネット内蔵ハンドルを開発し採用した。
その他商品[編集]
アプリ[編集]
- Mrs.remy(ミセスレミー)のタッチフード - 遊んで学べる食育アプリ[12]
メディア[編集]
主な出演番組[編集]
- きょうの料理(NHK)
- あさイチ(NHK) - 不定期
- もてなし家族に福きたる!平野レミの早わざレシピ(NHK)
過去の出演番組[編集]
- 寝るには早いドンといけ! (1970年6月14日 - 7月12日、日本テレビ)
- 冠婚葬祭屋 第1話「アイデア商売…ですヨ」(1972年1月8日、NET(現・テレビ朝日))- とみ江 役
- 大沢悠里のゆうゆうワイド (1989年4月3日 - 1990年3月26日、TBSラジオ)
- Matthew's Best Hit TV+ (テレビ朝日)
- 司会のマシュー南のおばという設定であった。
- アサデス。九州・山口 火曜日「デリバリキッチン」(KBCテレビ系九州山口ブロックネット)
- 裸の少年 (テレビ朝日)
- レミほうだい(2014年、FOODIES TV) - アシスタントはユージ。全12回。
- レミさんちの食卓(2015年、FOODIES TV) - 次男の妻である和田明日香と共演。全6回。
- 受信寮の人々(2015年6月 - 2017年3月、NHK総合・Eテレ・BS1・BSプレミアム) - レミさん 役[14]
- 真麻のドドンパッ!(2016年10月 - 2017年9月、BS日テレ) - 「平野レミ・明日香の嫁姑料理バトル」のコーナー担当(金曜レギュラー)
ほか多数
CM[編集]
- 小林製薬 『アラ・コロン』
- ジャスコ
- 資生堂 『Actea Heart』
- 永谷園 『豚キムチ春雨の素「もやしだけで」篇』『お吸い物』等
- 森永製菓 web限定[15][リンク切れ]
- ケロッグ web限定[16][リンク切れ]
- エバラ食品 『横濱舶来亭カレーフレーク』
- 花王 『atrix』
ディスコグラフィー[編集]
シングル[編集]
- 誘惑のバイヨン(1970年、コロムビア・レコード)
- チョッと気になるロック(1971年、コロムビア・レコード)
- 明日の旅(1972年、コロムビア・レコード)
- コン!コン!(1972年、コロムビア・レコード)
- B面曲の「カモネギ音頭」は中川レオとの競作(中川版の曲名は「かもねぎ音頭」)。1975年に平和勝次とダークホースが一部の歌詞を変更してカバー。
- ちっちゃなおばけのうた/いないいないおばけ
- 日本テレビ系アニメちいさなおばけアッチ・コッチ・ソッチOP/EDテーマ
- お薬師さま(委託制作)
- どうして(1977年3月、東芝、永六輔と共演)
アルバム[編集]
コンピレーション[編集]
- 雨もり寺のおしょうさん(1976年、キャニオン・レコード。宍倉正信、サヴィーネと共演。『ひらけ!ポンキッキ』挿入歌。LP『およげ!たいやきくん』(E-1025)収録)
主な著書[編集]
- 『平野レミのお勝手ごはん』(2016年、宝島社)ISBN 9784800264442
- 『平野レミの新・140字レシピ』(2016年、扶桑社)ISBN 9784594074586
- 『わたしの和だし[17]』(2016年、ナツメ社)
- 『平野レミのしあわせレシピ[18]』(2015年、自由国民社)
- 『平野レミと明日香の「嫁姑ごはん物語」[19]』(2015年、セブン&アイ出版)
- 『ド・レミの子守歌』(1977年、文化出版局,1984年、中央公論社)
- 『平野レミ・料理大会』(1986年、講談社)
- 『平野レミ・料理パレード』(1992年、講談社)
- 『平野レミのエプロン手帖』(1995年、文化出版局)
- 『平野レミのうまいもの教室』(1996年、日本放送出版協会)
- 『笑顔がごちそう』(1997年、講談社)
- 『平野レミの作って幸せ・食べて幸せ』(1998年、主婦の友社)
- 『平野レミのごちそうレシピ』(1999年、小学館)
- 『平野レミ・元気印のおかず屋さん』(1999年、文化出版局)
- 『平野レミ・一見豪華ふう』(2000年、講談社)
- 『平野レミのなんてったって、うちのご飯がいちばん!』(2000年、講談社)
- 『気まずい二人』(三谷幸喜との対談集・ゲストとして登場、角川文庫)
脚注[編集]
注訳[編集]
- ^ 自称は、「料理愛好家」である。
- ^ 「歩く放送事故」ともいわれる。特に後述の『ミュージック・キャラバン』で久米宏と組んだ当時のエピソードが知られており、生放送中に「ねえ久米さん、この(リスナーへの返礼品の)缶詰にベトコンの肉が入っているって本当?」と言ってしまった際には即座に久米からマイクで頭を叩かれ、足を蹴られて黙らされたといい、久米は当時のことを振り返るたびに「とんでもないやつと組まされてしまった」と笑いながら述懐している。
- ^ 平野の回想によると、これはラジオのディレクターに配られていたレコード会社の新人宣伝書で平野と辺見マリの写真が入れ替わって刷られていたことが原因で、ディレクターは本来、辺見と契約するつもりで平野と契約したのだという。
- ^ ジュークボックスのスピーカ部分には放送用のマイクを設置して生中継放送されていた。
- ^ 当初、和田は麻雀仲間であった久米宏に平野の紹介を頼んだが、久米は「絶対紹介しませんよ、あんな出歯!しょうがないですよ!!」(ただし久米の回想によれば、正確には「あの人は絶対やめたほうがいいです。人生を棒に振りますよ」だったという)と真剣に断った。久米は平野を誹謗中傷したわけではなく、普段の仕事で彼女の自由奔放ぶりに振り回されて散々苦労していたことから、それにより紹介したことで和田に一生恨まれることを怖れたためであった。そのため和田は、仕方なくTBSラジオのディレクターに頼んだところ、こちらからも「紹介してもいいけど、責任は持ちませんよ」と言われてしまったという。
- ^ 平野自身もその影響で舌が肥えていたところがあり、久米宏によれば『ミュージック・キャラバン』のための移動中に途中の食べ物屋で昼食を摂る際にも、期待通りの味でなければ平気で「不味い!」と口外したために、久米はいつも辟易させられていたという。逆に期待を超える美味であれば、厨房に入って料理人に握手を求めるほど絶賛したという。
- ^ のちにこの料理は歳月を経て、おなじNHKの『ごごナマ』で調理法も当時のままに再度紹介されている。
出典[編集]
- ^ タレントデータバンク. “プロフィール詳細”. 2015年9月9日閲覧。
- ^ TBSラジオ「六輔七転八倒九十分」2016年2月15日放送分での本人の発言より。[出典無効]
- ^ 清水ミチコ 平野レミの暴走ぶりに「素晴らしい人材」
- ^ 平野レミ『愛のオーロラ』(北欧社、1973年)
- ^ 平野レミ『ド・レミの歌』(中公文庫、1984年)
- ^ 『ド・レミの歌』巻末収録の黒柳徹子「レミちゃんのこと」より。
- ^ 久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(世界文化社、2017年)p.58
- ^ “平野レミ料理番組デビューは抗議殺到だった”. 日刊スポーツ新聞社. (2014年10月28日). オリジナルの2014年10月28日時点によるアーカイブ。 2014年10月28日閲覧。
- ^ レミパンプラス
- ^ わたしの和だし
- ^ zipron
- ^ iOS版/Android版
- ^ 鹿児島の皆様へ☆ - Yukari の☆SMILE SWEET☆ 2011年9月6日
- ^ “ミニドラマ仕立てでNHK受信料制度をPR 黒島結菜らが出演”. ORICON (2015年8月25日). 2015年8月25日閲覧。
- ^ 『平野レミとDJ KOOの「料理はイマジネーション!」』[リンク切れ]
- ^ 『平野レミの神ワザ!1分クッキング? ぶっさしグラチー篇』[リンク切れ]
- ^ わたしの和だし
- ^ 平野レミのしあわせレシピ
- ^ 平野レミと明日香の「嫁姑ごはん物語」
外部リンク[編集]
- remy(レミー) 平野レミ公式サイト
- 平野レミ公式ブログ
- 平野レミ公式レシピ集
- 平野レミ (@Remi_Hirano) - Twitter
- ほぼ日刊イトイ新聞 平野レミさんのWADA CURRY