平田兼三

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平田 兼三(ひらた かねぞう、1894年(明治27年)3月4日 - 1976年(昭和51年)10月1日)は劇作家である。

本名 兼三郎。前進座の初代市川祥之助(沢潟屋)は実子。

京華商業学校卒業。歌舞伎の作者部屋にあり竹柴兼三を名のる。1925年雑誌『歌舞伎』が、筋書きを示しての脚本募集をした際、木村錦花があらすじを書いた「研辰の討たれ」を脚色して一席となった。上演して好評だったため、続編「稽古中の研辰」、「恋の研辰」を書くが、「恋の研辰」は兼三の書いたものが大谷竹次郎の気に入らず、川尻清潭が書き直したがこれは二代市川猿之助が気に入らず、錦花が書き直した[1]

1931年(昭和6年)に劇団前進座が創立されるとその座付作家・演出家となる。主な作品(改訂を含む)に「左の腕」・「俊寛」・「生き返った法界坊」などがある。

著書[編集]

  • 『歌舞伎演出論』平田兼三郎 室戸書房 1943
  • 「研辰の討たれ」『日本戯曲全集』木村錦花篇

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  1. ^ 『猿翁』 東京書房 1964