平岡権八郎

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平岡 権八郎(ひらおか ごんぱちろう、1883年3月3日 - 1943年1月6日)は洋画家東京京橋竹川町の料亭・花月楼の跡取り。士族

概要[編集]

1883年(明治16年)、多賀半蔵の長男として出生。半蔵の兄で花月楼(明治元年創業)を経営する平岡廣高の養子になった。はじめ竹内栖鳳日本画を学び、後に白馬会で洋画を学び、黒田清輝に師事した。「コック場」などで文展に入選、後に文展無鑑査になった。

1911年(明治44年)、松山省三とともに銀座日吉町にカフェー・プランタン(日本初のカフェー)を開業したことでも文化史上に名を残している。

関東大震災後、神楽坂にカフェー・プランタン支店が開業すると、ここへ上海帰りの平岡が麻雀を持ち込み、流行させた(麻雀史ではプランタン時代という)。

洋画の他、帝国劇場の舞台装飾も行った。また新橋演舞場の取締役を務めた。

父の平岡廣高は大正3年(1914年)、鶴見に2万5千坪の遊園地、花月園を開園させたことでも知られる。跡地は現在の花月園競輪場である。

関連項目[編集]