平岡忠次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

平岡 忠次郎(ひらおか ちゅうじろう、1911年明治44年)8月17日[1] - 1989年平成元年)6月20日[1][2])は、日本の実業家政治家衆議院議員

経歴[編集]

埼玉県入間郡元加治村(現:入間市)で、所沢町の織物問屋浜田屋の二男として生まれる[1]1936年東京商科大学を卒業した[1][2]

その後、平岡洋行主、富士汽船社長、所沢産業社長などを務めた[2]

戦後すぐに日本社会党に入党[1]所沢市議会議員に就任[1][2]1952年10月、第25回衆議院議員総選挙埼玉県第二区から出馬して当選[2]。その後、第31回総選挙まで連続7回の当選を果たした[1][2]。この間、世界連邦日本国会委員会事務局長、世界連邦国会議員世界協会常任理事、日本社会党埼玉県連合会長、同党政策審議会副会長、同財務委員会副委員長、同代議士会副会長、同国際団体部長、同政審会大蔵部長、同税制部長、同中央執行委員、社会文化会館建設副委員長兼事務局長、首都圏開発副委員長などを務めた[1][2]

栄典[編集]

1981年 - 勲二等旭日重光章受章[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『埼玉人物事典』669頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』534頁。
  3. ^ 「平岡 忠次郎」新訂 政治家人名事典 明治~昭和

参考文献[編集]

  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。