コンテンツにスキップ

常見昇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
常見 昇
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県桐生市
生年月日 1928年3月30日
没年月日 (2005-11-16) 2005年11月16日(77歳没)
身長
体重
173 cm
67 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1949年
初出場 1949年4月2日
最終出場 1956年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005年11月16日[1])は、群馬県桐生市稲荷町出身[2]プロ野球選手1954年の登録名は常見泰生。「常見三兄弟」の次男であり、兄の常見茂、弟の常見忠も桐生中、東急フライヤーズに在籍している。

来歴・人物

[編集]

桐生中学では1940年の選抜1941年夏の甲子園(戦局の悪化により中止)に出場[3]。4学年上には兄・中村栄深沢督、3学年上に木暮力三、2学年上に池田力、1学年上に木暮英路、1学年下には斎藤宏が在籍していた[2]

桐生中学卒業後は野球部OBである皆川定之との関係で、タイガース入りが内定していたが、軍事徴用されたために契約破棄をせざるを得なくなった[2]。徴用先の小学校代用教諭として1年勤務した後、終戦を迎える[2][4]

戦後、桐生中学時代の先輩の誘いで明治大学へ進学[2]東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、1948年の春季リーグで首位打者を獲得。リーグ通算61試合出場、215打数56安打、打率.260、1本塁打、33打点。同期入団には杉下茂入谷正典山崎善平などがいる[2]

しかし1947年9月に発生したキャサリン台風により実家が大きな被害を受け、家計が苦しくなったためにプロ入りを決意[2][4]1949年に大学を中退し、皆川定之を通して最も好条件を提示した東急フライヤーズに入団。開幕から左翼手として起用され、規定打席(48位、打率.248)にも達する。翌1950年は開幕から四番打者に座る。大下弘保井浩一らとクリーンアップを組み、17本塁打を放った。1952年は自己最高の打率.293(13位)を残すなど、6年連続で規定打席に到達する活躍をみせた。

1955年も110試合に出場するが、同年オフに開かれた大川博オーナーとの会議で、「東映を強くするためにはベテランを解雇するべき」と発言したところ、実際に解雇されたため[4]1956年阪急ブレーブスへ移籍。入団時に「.250は打ってみせる」と約束したが、シーズンでは.218に終わったために、同年限りで引退[4]

引退後は友人の紹介で船舶ブローカーの会社に入社[4]。その後独立し、泰生海事株式会社を経営していた[4]

2005年11月16日肝不全のため死去。享年77[1]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1949 東急
東映
100330306407676711632470--20--355--.248.301.379.680
1950 1134744395811616217187691080--32--35211.264.319.426.745
1951 1024253904611012711169561865--28--1464.282.332.433.765
1952 105421382521121834148351354--33--2437.293.353.387.740
1953 111420370389824111272612310--39--0566.265.335.343.678
1954 1285605026612322131562922106051--17417.245.316.311.627
1955 1102832562155630671252711900395.215.423.429.852
1956 阪急 1152732392452850701774612601497.218.297.293.590
通算:8年 8843186288434574211328431040276914538224801141457.257.318.361.679
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 東急(東急フライヤーズ)は、1954年に東映(東映フライヤーズ)に球団名を変更

背番号

[編集]
  • 7 (1949年 - 1954年)
  • 3 (1955年)
  • 29 (1956年)

登録名

[編集]
  • 常見 昇 (つねみ のぼる、1949年 - 1953年、1995年 - 1956年)
  • 常見 泰生 (つねみ やすお、1954年)

脚注

[編集]
  1. 1 2 常見昇氏(元プロ野球阪急外野手)が肝不全のため死去”. 日刊スポーツ (2005年11月16日). 2013年5月22日閲覧。
  2. 1 2 3 4 5 6 7 『ベースボールニュース 第676号「我が熱球時代 常見昇」』日本体育週報社、1951年、63-66頁。
  3. 『桐生高校野球史』桐生タイムス社、1978年。
  4. 1 2 3 4 5 6 近藤唯之『背番号の消えた人生』サンケイ新聞社、1979年、238-250頁。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]