大竹まこと

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大竹まこと
本名 大竹 真
生年月日 1949年5月22日(66歳)[1]
出身地 東京都[1]
身長 175cm
トリオ名 シティボーイズ
相方 きたろう斉木しげる
芸風 コント
立ち位置 中央
事務所 ASH&Dコーポレーション
活動時期 1977年ごろ -
過去の代表番組 夕やけニャンニャン』など
他の活動 俳優ラジオパーソナリティ
配偶者 既婚
親族 弟:大竹オサム(作家・料理人)
長男:大竹涼太(プロダクション人力舎マネージャー)
弟子 ユリオカ超特Q[2]

大竹 まこと(おおたけ まこと、1949年5月22日[1] - )は、日本のお笑いタレント俳優ラジオパーソナリティ斉木しげるきたろうの3人で構成するシティボーイズの一員[3]。本名、大竹 真(読み同じ)。昭和60年頃の一時期は、ソロ活動のみ「常滑川まこと」名義を使用していた。

東京都出身。ASH&Dコーポレーション所属。東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業[4]大竹オサム双子の弟[5]

来歴・人物[編集]

眼鏡とヒゲが特徴的。趣味は料理ゴルフ[6]。高校生の頃は、TBSラジオの番組『パックインミュージック』のパーソナリティだった野沢那智白石冬美に憧れ、DJになりたかったと言う[7]

1971年秋、通っていた劇団俳優小劇場の養成所が入所して間もなく養成所の幹部の間で内紛があったため、直談判の結果、費用を返金してもらう。その仲間が集まり、返金された金を元に劇団『表現劇場』を結成。この時の仲間に、のちにシティボーイズを結成するきたろう斉木しげるの2人と俳優の風間杜夫が在籍[7]1979年、きたろうと斉木、大竹の3人からなる芝居ユニット「シティボーイズ」を結成。[1]。劇団時代はアルバイトなどをせず、女性に経済的な援助を受けるヒモ生活を送る[8]

新進気鋭の役者としてテレビの露出が増えていく風間の芝居を鼻で笑って腐していたが、ある日、手持ちの金が無く同居の女性に金銭を要求したところ、財布から500円玉を手渡され、全く収入の無い現状を認識して狼狽。ある公開イベントでプログラムを勝手に書き換え、何回かあるプログラムの合間にシティボーイズのコントを差し込み、これが業界関係者の目にとまり芝居批評の記事になる。タレント業として芸能事務所「人力舎」と契約、初起用にクイズ番組の司会を受け持つが、番組進行中取り乱し、昏倒。放送媒体においては、シニカルなキャラクターから一転して、憤激して暴力と罵詈雑言で暴れるというタレントとして認知され、テレビ局から出入り禁止とされるほどの破壊的なキャラクターであった。ピンで活動する場合には常滑川 まことを名乗ることも多かった[7]

1980年代初頭、上岡龍太郎が「東京にオモロイ奴が居る」との噂を聞きつけ、大竹を関西の番組に呼んだが、大竹は萎縮してしまって何もできないまま東京に戻る。これで二度と関西から声はかからないだろうと恥じ入っていたが、再び上岡が大竹にオファー、「何しても、ええ(良い)んやで。好きなようにやり(しなさい)」とアドバイスを受けて腹をくくった大竹は罵詈雑言、乱暴狼藉を働く。結果、上岡もひっくり返って笑う程の爆笑を取り、近畿地区に足がかりを築く。上岡に対しては「師と仰ぐ事すら失礼にあたる」と尊敬の念をあらわにしている[9]

文化放送の『大竹まこと ゴールデンラジオ!』では、フリートークで昔のエピソードをたびたびに話すが、世間的には当時のイメージが強く、いまだに恐いと思われることが多い[10]

若手お笑い芸人への造詣が深く、朝日放送M-1グランプリ』『ABCお笑い新人グランプリ』、関西テレビR-1ぐらんぷり』などの賞レースで審査員を務めていた。なお、弟子に漫談家のユリオカ超特Qがいる[2]

また、『仮面ライダー』の着ぐるみに造詣が深い[7]。それによると、大竹まこと ゴールデンラジオ!の番組中で何度か過去の回想話があり、「あの頃は大変だった。全国を廻ったりして、自分(=大竹本人)は仮面ライダーの着ぐるみショーの中で怪人や悪役の声を演っていて、ライダーの着ぐるみには風間杜夫が入っていた」とコメントをしている。

昭和60年4月より放送開始したバラエティ番組夕焼けニャンニャン」にレギュラーで起用され”常滑川まとこ”名義で出演していた。これは、シティーボーイズで本名を用いていたが、ソロ活動と分ける為、初期の頃のみ使用された。尚、現在と異なり”常滑川まこと”は、かなりの暴走キャラクターを芸風としていた。

1988年頃から、メジャーデビュー前のX JAPAN(当時のバンド名は「X(エックス)」)のYOSHIKIらとの交流を持ち、1991年1992年には日本武道館で行われた、YOSHIKI主宰のインディーズレーベル「エクスタシーレコード」のイベント「EXTASY SUMMIT」に司会者として参加したことがある[11]

家族構成は妻と1男1女に猫1匹[12](名前は「ソメコ」〈このほかにもう1匹「フック」という猫を1995年から飼っていたが2014年9月に永眠している〉)[要出典]

長男の大竹涼太は、人力舎所属のマネージャーとしてお笑いトリオ東京03ゆってぃアンタッチャブルなどを担当。またテレビ東京ゴッドタン」の企画を初めとして、テレビにもたびたび出演している[13][14]。また2015年に人力舎を退社、系列であり、父・大竹まことが所属している「ASH&D」へ移籍することを「ゴッドタン」にて発表した。

エピソード[編集]

  • 以前から「大嫌いだ」と発言していた丹波哲郎NHKで遭遇した際、大竹は自身に双子の弟がいることを利用して、「僕は双子の弟の方ですよ」と言って難を逃れたという。しかし、このことが災いして、後に「NHKに大竹まことの弟がいる」「弟はNHKの大道具さん」といった都市伝説が一人歩きしてしまうこととなった[15]
  • 無名時代に映画『八甲田山』にエキストラ出演している。その撮影では、大御所俳優は暖房設備のある場所で待機していたが、エキストラは雪と寒風吹きすさぶ中、凍えながら待機させられていた。待遇の悪さに腹を立てていた大竹は、雪の中で立ち小便する者を発見し、腹いせまぎれに後ろから思い切り蹴飛ばしたが、その人物が緒形拳であることに気づき、大急ぎでその場から逃走したという。[要出典]
  • 不遇の時代を送っていたことから料理が得意であり、しばしばテレビ番組などで料理の腕前を披露している。とくに野菜の千切りが得意であるという[8]。かつては料理を披露する時には、髪の毛が落ちないよう必ず水泳帽を被っていた[16]
  • 1988年に日本テレビ木曜スペシャルタモリのいたずら大全集』に出演した際、山瀬まみに「お前失恋したんだってな」と声を掛けたことから本番中に取っ組み合いの喧嘩に発展。山瀬を舞台上で押し倒して引きずり回し、衣装の上着を破って泣かせた。この取っ組み合いによって大竹の付けていたピンマイクが壊れたことを、山瀬に「マイク壊してんじゃねーよバーカ」とツッコまれたことでさらに逆上し、「壊すってのはこういうのを言うんだよ」と言って番組セットを破壊。日本テレビから20年間の出入禁止となった。後に「(山瀬が)泣いたのが許せなくてやった」と話している[17]。その山瀬とは、彼女の事務所の意向から長年共演が無かったが、2008年10月24日放送のTBS『ドリーム・プレス社[18]、2009年4月10日放送のTBS『ぴったんこカン・カンスペシャル』にて共演[19]、以降も他番組にこのエピソードを披露するために出演している。
  • 司会進行を務めていたフジテレビ夕やけニャンニャン』では、当時おニャン子クラブメンバーであった生稲晃子の頭を鷲掴みにして、股間に押しつけたことがある[7]
  • 1996年、大竹が運転する乗用車と信号を無視したオートバイが衝突し、バイクを運転していた男性が死亡。大竹には過失は無かったが、約2週間芸能活動を自粛した[20]
  • ダウンタウン松本人志は著書『遺書』の中で、数少ない認められる人物「お笑い界のいい男4人」として、島田紳助志村けん浜田雅功と共に大竹の名前を挙げている。「何をしでかすか分からない、いや、しでかした後のような危険さがある」と評している。
  • 東国原英夫は芸人時代、早稲田大学入学時に推薦文を書いてもらうなど、謹慎になった時に多大なる世話になったと語っている。今でも大竹を慕っており、「兄さん」と呼んでいる[21]
  • 様々な考え方を許容するべき、との考え方から、選択的夫婦別姓制度導入に賛同する[7]
  • 北斗晶は、大竹のことを「日本のリチャード・ギア」と言ったことがある[22]

出演[編集]

テレビ[編集]

バラエティ[編集]

ドラマ[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

  • スネークマンショー 楽しいテレビ(1984年、ワンダーキッズ)※西部警察パロディ編の刑事役として出演。
  • いつか帰ろう(1990年、ジェイ・ブイ・ディー)

ラジオ[編集]

ゲーム[編集]

レコード・CD[編集]

  • 俺の背中に火をつけろ!! (1987年、ポニーキャニオン) - EPレコード
  • 大竹まことの文藝春秋(1987年、ブロードウェイ / ポリドール) - アルバム
  • スピノザ(1988年、ブロードウェイ / ポリドール) - 3曲入りシングル(12インチレコード/8cmシングルCD)

CM[編集]

  • NEC HE PCエンジン関連
  • プリマハム フライドチキン、チキンナゲット - 黄色い鶏の着ぐるみを身にまとった、「チキンマン」というキャラクターに扮していた。
  • KDD 国際オペレータ通話(1985年)
  • カンタス航空

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 大竹まことの異色の料理本がついに電子化! - PRTIMES企業リリース 2014年11月6日 朝日新聞
  2. ^ a b ユリQ20周年!大竹まこと、棚橋、RGら祝福”. お笑いナタリー (2014年9月23日). 2014年12月5日閲覧。
  3. ^ 日本コロムビア シティボーイズ 日本コロムビア
  4. ^ 葛飾区議会議員 中村けいこ 公式サイトより。
  5. ^ 「実は双子」と知ってビックリする芸能人ランキング”. livedoorNEWS (2014年2月4日). 2014年11月27日閲覧。
  6. ^ 『こんな料理で男はまいる。』(角川書店)などでの著者紹介より。
  7. ^ a b c d e f 週刊文春 2004年3月4日号『阿川佐和子のこの人に会いたい』第524回(158-162ページ)
  8. ^ a b 週刊文春 2001年7月5日号 55ページの記事より。
  9. ^ 『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』(角川書店)62-70ページより。
  10. ^ 2008年12月26日放送『大竹まこと ゴールデンラジオ!』より[出典無効]
  11. ^ ロッキンf(立東社)1992年4月号別冊『無敵 〜エクスタシー・ブック〜』、1993年1月号増刊『TOSHI/YOSHIKI/EXTASY SUMMIT/インディーズ'92〜'93』より
  12. ^ 『結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ』59ページより。
  13. ^ 東京03結成10周年記念特設ページより。
  14. ^ 2012年8月7日放送『ロンドンハーツ』”. TVでた蔵 (2012年8月7日). 2014年12月5日閲覧。
  15. ^ 『大竹まことのそれでもお前ら、人間か!―芸能界反逆児のテレビ人類ギャグ』(徳間書店)188-191ページ
  16. ^ 『こんな料理で男はまいる。』37ページなどより。
  17. ^ 【エンタがビタミン♪】「泣いたのが許せなかった。」大竹まことvs山瀬まみ事件の真実。”. Techinsight (2011年11月26日). 2014年12月5日閲覧。
  18. ^ 「ドリーム・プレス社」 2008年10月24日(金)放送内容”. 価格.com (2008年10月24日). 2014年12月5日閲覧。
  19. ^ 「ぴったんこカン・カン」 2009年4月10日(金)放送内容”. 価格.com (2009年4月10日). 2014年12月5日閲覧。
  20. ^ 【エンタがビタミン♪】「どうなるのか分からなかった」。大竹まこと、96年の人身事故について重い口を開く。 2013年2月22日 13時30分 TechinsightJapan編集部 佐々木直まる
  21. ^ 早稲田大学機関誌『マイルストン』2003年4月、東国原英夫インタビューより
  22. ^ 日本のリチャード・ギア”. 北斗晶オフィシャルブログ (2009年12月8日). 2014年12月5日閲覧。
  23. ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年1月号 38ページ『特集・1987年ラジオ界重大ニュース』より。

外部リンク[編集]