常呂遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

常呂遺跡(ところいせき)は、北海道北見市(旧常呂郡常呂町北見国)にある擦文文化期およびオホーツク文化期の遺跡。国の史跡に指定されている。

概要[編集]

オホーツク海をのぞむ海岸に沿って常呂川の河口からサロマ湖西岸へと続く幅約300メートル、長さ約2.7キロメートルの砂丘上に立地し、2,000基以上の竪穴住居跡および墳墓と推定される多数の小形の竪穴状遺構が検出された。

擦文文化の集落遺跡としては北海道最大規模を有し、オホーツク文化期の住居跡も発見されており、特異な存在となっている。両文化の移行の問題を検討するうえでも重要な遺跡である。

東北地方北部から北海道にかけての各遺跡では、しばしば竪穴が埋没しきらず地上に大小の凹みを残存させている場合がみられるが、常呂遺跡の竪穴群はそのなかでも最大級の規模と密度を有する例として知られており、世界遺産登録を目指している。

すぐそばにサケマス捕獲場がある[1]

史跡指定[編集]

1974年昭和49年)3月12日、国の史跡に指定され[2]、遺跡の保存と整備が進められた。

周辺情報[編集]

周辺は「ところ遺跡の森」として整備されており、附近には旧石器時代からアイヌ文化のものまで数多くの遺跡が散在している。サロマ湖ワッカネイチャーセンターへも近い。

  • 東京大学常呂実習施設
  • トコロ貝塚
  • 栄浦遺跡:無数の窪みは竪穴式住居跡で、雪解けの時期に窪みだけに雪が残り住居跡の存在を示す独特の光景が見られる。
  • 常呂竪穴群
  • 常呂町郷土資料館
  • トコロチャシ:アイヌのチャシが濠で囲まれて残っている
  • チャシ南尾根
  • 常呂神社:北見市で最も古い神社で1893年(明治26年)創建。境内で湧き出る「竜神の水」は飲用泉で、いつも冷たい水が湧いている。
  • 常呂教育所跡:1895年(明治28年)個人の家屋を仮校舎として授業が行われ、常呂小学校の前身となった。
  • 海難者慰霊碑:1954年(昭和29年)防風で多数の漁船が沈没し犠牲者21人の慰霊碑で、オホーツク海と常呂市街地を見渡せる。
  • 客土記念碑:国鉄湧網線 北見共立駅跡。周辺は泥炭地で水はけが悪く、排水客土工事が営々とおこなわれてきた。
  • 聖徳太子碑:聖徳太子治水工事の祖とされ、地域の治水工事安全の願いを託し高徳寺境内に建てられた。1922年(大正11年)建立。
  • 市営浴場 寿湯:常呂で唯一の公衆浴場

脚注[編集]

  1. ^ 北見文化財ガイドブック
  2. ^ 常呂遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯44度7分3.7秒 東経144度4分38.8秒 / 北緯44.117694度 東経144.077444度 / 44.117694; 144.077444