師団

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師団
Division
Division Nato.svg
歩兵師団を表すNATO兵科記号
所属組織 陸軍
部隊編制単位 2~4個連隊または旅団
(国・時代による)
兵科 歩兵、機甲、空挺、砲兵など
人員 6,000~20,000
(国・時代による)
上級単位 軍団
(国・時代による)
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師団(しだん、: Division)は、軍隊部隊編制単位の一つ。旅団より大きく、軍団より小さい。師団は、主たる作戦単位であるとともに、地域的または期間的に独立して、一正面の作戦を遂行する能力を保有する最小の戦略単位とされることが多い。多くの陸軍では、いくつかの旅団・団または連隊を含み、いくつかの師団が集まって軍団・軍等を構成する。

師団の編制については、国や時期、兵科によって変動が大きいが、21世紀初頭現代の各国陸軍の師団は、2~4個連隊または旅団を基幹として、歩兵砲兵工兵等の戦闘兵科及び兵站等の後方支援部隊などの諸兵科を連合した6千人から2万人程度の兵員規模の作戦基本部隊である[1]。多くの国において師団長には少将が補せられるが、日本やブラジル等中南米の幾つかの国のように中将が補せられる国もあり、またソ連ロシア東ドイツ等の旧東欧諸国では大佐が務める例も見られる。

師団は、幕僚部(師団参謀部・師団副官部・師団法務部など)を固有する、最小の部隊でもある。

歴史[編集]

欧州での呼称[編集]

従来、陸軍は雑多な兵科混成集団であったが、それを師団に分割して、一定の規則性を持った部隊に編成することによって、部隊の管理を適正に行えるようにした。欧州での師団の「division」などはフランス語の「dividere」(=分割)から由来しており、1759年、七年戦争の折にフランスブロイ公爵ヴィクトル・フランソワが軍を分割して師団の編成を採ったことに端を発する。その後、フランス革命戦争時代にラザール・カルノー陸軍大臣は師団 (dividere) に独立作戦能力を与えた。

欧州での標準化[編集]

ナポレオン・ボナパルトの時代には11師団を編成し、ヨーロッパを席巻した。フランスに抗戦したオーストリアプロイセンも師団編成を倣い、やがて欧州各国軍の標準的な組織形態となった。この頃の欧州各国軍は1つの師団を2個旅団~6個連隊~8個中隊という構成にしていた。divisionという語はこれら欧州の文化を源とする欧米諸国の陸海空軍いずれでも用いられており、陸軍及び海兵隊では師団、海軍では隊又は分艦隊、空軍では航空師団などと訳されることがある[1]

外征能力[編集]

戦闘部隊の組織を整理して管理を容易にしたことで、陸軍は外征の能力を高めた。それぞれ兵站を持ち自己完結性を有する各師団は、独立して外地で作戦を遂行することができるようになった。

師団の語の由来[編集]

日本語における「師団」という単語は、1888年明治21年)に1871年(明治4年)以来の鎮台を改編して西洋と同様に6個の部隊規模へと分割した時に新たな名称として、ドイツ語の「Division」の和訳として「師団」が当てられたものである。「師団」の「師」という言葉、又は文字は、中国の時代の軍隊の単位である師に由来し、これは5個の「旅」をまとめた計2,500人からなる部隊を意味し、5個の「師」で「軍」を構成していた。中国人民解放軍は今でも、日本で云う「師団」は「師」、「旅団」は「旅」と呼んでいる[1]

近代陸軍の黎明期(日本)[編集]

明治期の日本陸軍では主力の歩兵部隊に、これを支援する砲兵、騎兵、工兵、兵站の各部隊を組み合わせて(歩兵)師団としていた。1888年の師団組織発足から50年間ほどは師団内は2個旅団~2個連隊~3個大隊~3または4個中隊という組織形態を採っていたが、中国大陸での戦線拡大で師団数を増やす必要から、1937年昭和12年)以降順次、師団から旅団を省いて3個連隊~3個大隊~3または4個中隊という組織形態に改めた。

初期形態では1つの師団が4個連隊で構成されていたため「4単位制師団」と呼ばれ、改組後の形態では1つの師団が3個連隊で構成されていたため「3単位制師団」と呼ばれる。

その後、広い中国で治安警備用の部隊を分散配置させる必要から、師団内から連隊を省いた構成の2個旅団 - 4個大隊 - 4個中隊という師団も編成された[1]

大日本帝国陸軍では、3個歩兵連隊を統括するために旅団に代わって歩兵団が置かれた。日本陸軍初の3単位制師団は1937年9月30日編成の第26師団である。

近代陸軍の黎明期(世界)[編集]

第一次世界大戦頃までは、山岳師団などを含む歩兵師団と、騎兵師団くらいしか存在しなかったが、陸軍の近代化とともに機甲師団、空挺師団などのさまざまな兵科師団が置かれるようになった。

山岳師団は山岳戦闘を専門とする師団で、登山に必要な装備や訓練を受けている場合が多い。山岳では運搬が困難な重砲は装備していないが、分解して人力で運搬可能な山砲を装備していた。空挺師団は落下傘降下(エアボーン)によって部隊が展開される師団であり、山岳師団同様に重砲の装備はなかった。機械化歩兵師団は、部隊の移動が徒歩ではなく装甲車やトラックのような自動車によって行なわれた師団のことであった。米海兵隊の海兵師団は上陸戦用の歩兵師団であり、揚陸艇や揚陸艦によって展開される歩兵師団であった。[1]

現代の師団[編集]

21世紀初頭現在では各種師団も変様し、山岳師団であっても戦車を保有し、空挺師団の侵攻方法も落下傘よりはヘリコプターや車両が中心となり、機械化歩兵師団も自動車が行き渡った現在においては、徒歩以外での移動手段を保有せず必要に応じて他の部隊から機械力の助けを借りる軽歩兵師団と呼ばれる歩兵師団以外の全歩兵師団が機械化・自動車化されているといえる。米軍の海兵師団も舟艇による着上陸と同様に、ヘリや垂直離着陸機による侵攻手段を備えている。中世からの乗馬による戦闘部隊であった騎兵師団は銃砲の発達で一度無くなったが、師団より小さな規模でのヘリコプター主体の部隊名に使用されるようになっている[1]

日本陸軍[編集]

概論[編集]

1888年5月12日に6個鎮台を廃し、それに代って6個師団が置かれた。これが常設師団の始まりである。大日本帝国陸軍では、恒久的な部隊である歩兵連隊と他の諸兵科を以って組織された戦略単位である師団という単位を重視し、陸軍中将を以て補し更に特に親補職としていた。日中戦争開戦以前の平時において、海外領土等には朝鮮軍台湾軍関東軍支那駐屯軍の4軍があったが、このうち隷下に常設師団を持つのは朝鮮軍[注 1]のみであり、他は師団と比べて規模兵力が特に大きかったとも言えず、大日本帝国陸軍とは、内地に於ける師団と、海外領土等に於ける或いは臨時に編成される軍との集合体であるとも言え、それぞれ天皇[注 2]に直隷し、天皇の下に大日本帝国陸軍総司令官といったような軍職は無かった。

また、内地に於ける日本軍の戦略組織は師団のみであり、常設師団が内地での軍政および作戦と教育を担当した。このため、有事の際に師団が外地に出征すると、内地に留守師団(るすしだん)が置かれた[注 3]

なお、太平洋戦争開戦から末期にかけて、4乃至3個歩兵連隊を基幹とした通常の師団の他に、戦車師団・高射師団・飛行師団等の、専門部隊のみの師団が編成された。これら専門部隊のみの師団は、管区を持たず軍政には関与せず、作戦に於いても、他部隊との連携を前提としたもので、単独での作戦遂行を目的としたものではない。

師団長の権限等[編集]

師団長と師団は、その管掌事項が軍事面[注 4]に、管轄区域が師管に限られ、軍政および人事に関しては陸軍大臣から、動員計画および作戦計画に関しては参謀総長から、教育に関しては教育総監から、それぞれ区処を受けるものの、天皇直属であるということでは総理大臣及びその管掌する政府と同じであり、師団長の地位は高く、帷幄の機関の長として統帥事項に深く関わる陸軍大臣や参謀総長には及ぶべくもないものの、陸軍次官や参謀次長よりは上位であった。しかし師団が増設され数が増えるに従い師団長の地位も次第に低下した。

「師団司令部条例」(明治21年5月12日勅令第27号)によると、師団長の権限等としては次のものがあった。

  • 中将を以て補し、直に天皇に隷し、師管内にある軍隊を統率し、軍事に係る諸件を総理する。
  • 師管内軍隊の出師準備を整理しまた、徴兵のことを統括する。
  • 部下軍隊の練成についてその責に任ずる。但し、特科兵専門のことは、当該兵監の責任に属する。
  • 不慮の侵襲に際し、師管内の防御及び陸軍諸官庁、諸建築物の保護に任ずる。
  • 府県知事が、地方の静謐を維持するため、兵力を請求するときは、事が急ならば、師団長は直ちに応じて、後に陸軍大臣及び参軍(後の参謀総長に相当する)に報告しなければならない。府県知事が請求できない例外の場合にあっては、師団長は兵力を以て便宜事に従うことができる(自衛隊における治安出動に相当する)
  • 師管内にある軍隊及び陸軍官庁における風紀、軍紀を統監し、軍法会議を管轄する。
  • 師団長が赴任する節には、師団司令部所在地の府県知事、警視総監大審院長控訴院長検事長、始審裁判所長及び検事上席の者とは3日以内に互いに訪問し、その師管内の府県知事、控訴院長、検事長、始審裁判所長及び検事上席の者とは30日以内に互いに移文訪問しなければならない。但し、共に官等卑しい者より先んじなければならない。

師団司令部の構成[編集]

「師団司令部条例」(明治21年5月12日勅令第27号)によると、師団司令部は原則として次の構成とされていた。

  • 本部
    • 師団長(師団長1名は中将。合計1名)
    • 参謀部(参謀長1名は大佐、参謀1名は中少佐、参謀1名は大尉。参謀部及び副官部に通じて書記9名は曹長・同相当官・1等軍曹・同相当官・2等軍曹・同相当官)
    • 副官部(副官1名は少佐、副官1名は大尉、副官2名は中少尉。参謀部及び副官部を通じて合計16名)
    • 計官(計官1名は中少尉。1・2・3等書記2名は曹長・同相当官・1等軍曹・同相当官・2等軍曹・同相当官)
  • 支部
    • 法官部(理事3名は佐尉官相当官、録事3名は准士官・曹長相当官・1等軍曹相当官・2等軍曹相当官。合計3名)
    • 監督部
    • 軍医部(軍医長1名は大中佐相当官、部員2名(軍医1名・薬剤官1名)は大尉相当官、部員1名は中少尉相当官。書記3名は曹長・同相当官・1等軍曹・同相当官・2等軍曹・同相当官。合計7名)
    • 獣医部(獣医長1名は大尉相当官、書記1名は1等軍曹・同相当官・2等軍曹・同相当官。合計2名)

以上、監督部を除いて、中将1名、佐官同相当官4名、尉官同相当官12名、准士官・下士18名の、合計35名とされた。

師団番号[編集]

近衛師団戦車師団、高射師団及び飛行師団を除き、師団について単に「第○師団」と数字のみ冠して呼称した。師団制発足時の番号は、鎮台制の軍管の番号をそのまま師団番号とした。これが第1師団から第6師団である。その後は編成された順に師団番号を順に増加させていった。宇垣軍縮による師団廃止に際してはその番号は欠番とされた。

日中戦争勃発後は、先の宇垣軍縮で欠番となった師団番号を復活させたほか、次々に数を増やしていった。大量動員の中には、きりの良い番号でまとめた師団もあり、1940年に主に内地での補充任務を期待して設置した第51から第57の50番代師団がそのはじめである[2]。留守師団の担任で編成された特設師団に100番台の番号を振った(第101師団など)。そして、昭和20年(1945年)4月には本土決戦第二次兵備として編成した師団に200番台の番号を振った(第201師団など)

師団の軍隊符号Dが使用され、1D(第1師団)、2D(第2師団)などと記した。近衛師団はGDである。

自衛隊[編集]

警察予備隊・保安隊[編集]

1950年(昭和25年)発足の警察予備隊は管区隊編成(管区総監部及び連隊その他の直轄部隊から成る)を採用し、4個管区隊(第1管区隊は東北南部から名古屋・新潟まで、第2管区隊は東北北部以北、第3管区隊は中部・四国・中国の大部分、第4管区隊は山口及び九州を管轄する)を置いていた。1952年(昭和27年)当時の管区隊の編成は、3個普通科連隊特科連隊偵察中隊施設大隊補給中隊、通信中隊、武器中隊及び衛生大隊からなる約1万5千人の部隊であった[注 5]保安隊時代(1952年10月15日~1954年(昭和29年)には管区隊の数は変更はなかった。

1950年12月以降における各管区隊の編制は下記のとおりである。

  • 管区隊総監部
  • 偵察中隊
  • 施設大隊
  • 補給中隊
  • 通信中隊
  • 武器中隊
  • 衛生大隊


管区総監には警察監(保安監)または警察監補(保安監補)が充てられた。当時の隊員からは扱いやすい部隊と好評であったという。

陸上自衛隊[編集]

陸上自衛隊では、師団の上位に方面隊平和憲法を尊重する自衛隊用語では「軍」という表現は避けられているが、実際にはに相当する単位であり、英語では Army (軍)と訳されている)が常置されている。師団長は陸将(中将相当)であり、第7師団除き、3個又は4個普通科連隊(歩兵連隊に相当する)基幹とする編制である。定員は6300~9000名と幅があり、その規模は旅団程度である[3]

沿革[編集]

自衛隊発足後、順次管区隊の増加及び混成団の編成が進み、第1次防衛力整備計画中の1958年度までに6個管区隊4個混成団体制となる。なお、1961年(昭和36年)当時の管区隊の編成の単位は1万2700名であった[注 6]

そして、昭和36年法律第126号による自衛隊法改正により、管区隊が廃止されて師団制が採用される。これにより、1962年(昭和37年)に師団編成に改編される。その際に、当時のアメリカ陸軍の編制であったペントミック師団を参考にし、甲師団(4個普通科連隊を主力とする定員9千名)、乙師団(3個普通科連隊を主力とする定員7千名)、丙師団(乙師団に準じた部分的機械化師団)の3タイプに分かれることとなり、また普通科連隊の大隊が廃止された[注 7]。これらは、前述のように世界の軍事常識的見地から見れば旅団程度の規模でしかない。規模を縮小した理由として狭隘な日本の地形に合わせたとされているが、それは建前であり、実際には将来25万~30万名程度への定員増によって人員を受け入れ、13個の戦略単位を編成するための基盤とするためであった。しかし、定員増どころか18万名の定員を満たすことも叶わず[注 8]、結局、規模の小ささ故の継戦能力の乏しさ、規模に見合わぬ過剰な装備密度による運用の難しさ故の隊員達への過大な負担、過剰な連隊長以上の高級指揮官ポストによる階級バランスの崩壊、更には参考元になっているペントミック師団が抱えている編制上の問題点がそのまま本師団編制に当て嵌まるといった問題を内包する結果となった。

当時は後方支援職種部隊は師団直轄部隊であったが[注 9]、後に「後方支援連隊」が新設されてその隷下となった。また、師団司令部付隊の化学防護小隊が独立して化学防護隊とされた[注 10]。また、後方支援連隊隷下の武器大隊等が改組され整備大隊へ移行した。いくつかの師団は担当警備地区の状況により旅団へ移行するなど、陸上自衛隊の師団の編成も、時代の趨勢により編成を改めていった。

中期防衛力整備計画(2005年度 - 2009年度)について」によって示された陸上自衛隊の師団のあり方は次の通りである。北海道に配備されている師団は総合近代化師団とされ、本州以南に配備されている師団は即応近代化師団とされ、即応近代化師団の中でも東京大阪に配備されているものは政経中枢タイプ師団とされる。なお、第5師団は旅団化のため欠番である。また、以前は第11師団以降、第13師団まであったが、これらも旅団化している。

なお、防衛計画の大綱の改正に伴い、師団・旅団管内に編成されている即応予備自衛官を基幹とするコア部隊(普通科連隊)は2006年(平成18年)3月より順次編成されている混成団#方面混成団に編成替え[注 11]となっている。また、2017年度末より戦闘団に準じた編成を持つ即応機動連隊の新編が開始されている。

現在置かれている陸上自衛隊の師団は次の通り(陸上自衛隊の師団等一覧も参照)

陸上自衛隊の師団(2018年3月現在)
師団 方面隊 司令部所在地 隷下主要戦闘部隊 タイプ 師団長俸給
即応機動連隊 普通科 特科 高射特科 戦車
第1師団 東部 東京都練馬区 3個連隊 1個隊 1個大隊 1個大隊 即応近代化(政経中枢型) 2号俸給
第2師団 北部 北海道旭川市 3個連隊[4] 1個連隊 1個大隊 1個連隊 総合近代化
第3師団 中部 兵庫県伊丹市 3個連隊 1個隊 1個大隊 1個大隊[5] 即応近代化(政経中枢型)
第4師団 西部 福岡県春日市 3個連隊[注 12] 1個連隊[5] 1個大隊 (なし)[6] 即応近代化
第6師団 東北 山形県東根市   3個連隊[7] 1個連隊[5] 1個大隊 1個大隊
第7師団 北部 北海道千歳市 1個連隊 1個連隊 1個連隊 3個連隊[注 13] 総合近代化(機甲型 1号俸給
第8師団 西部 熊本県熊本市 1個連隊[8] 2個連隊[注 14] (なし)[9] 1個大隊 (なし)[6] 即応近代化
第9師団 東北 青森県青森市 3個連隊 1個連隊 1個大隊 1個大隊
第10師団 中部 愛知県名古屋市 3個連隊 1個連隊 1個大隊 1個大隊

陸上自衛隊の師団の編制[編集]

陸上自衛隊の標準的な師団編制

陸上自衛隊の師団(第2第7師団を除く)の標準的な編制は次の通りである。

  • 師団長(陸将方面総監の指揮監督を受け、師団の隊務を統括する)
  • 副師団長(陸将補(二)若しくは1等陸佐(一)、駐屯地司令兼補)
  • 師団幕僚長(1等陸佐(一))
  • 師団司令部(詳細は司令部参照)
  • 即応機動連隊1個
  • 普通科連隊3個(普通科部隊)
  • 特科連隊(野戦特科部隊、第1・第3師団は特科隊[10]
  • 戦車大隊(機甲科部隊)[10]
  • 高射特科大隊(高射特科部隊)
  • 後方支援連隊
    • 本部付隊
    • 第1整備大隊(師団直轄部隊の全般支援(各種装備等の整備)を行う)
    • 第2整備大隊(師団の普通科・特科・戦車・施設科部隊の直接支援を行う)
    • 即応機動直接支援中隊(即応機動連隊に対する直接支援)
    • 補給隊(需品科部隊)
    • 輸送隊(輸送科部隊)
    • 衛生隊(衛生科部隊)
  • 施設大隊(施設科部隊、大隊長は師団司令部の施設課長を兼務)
  • 通信大隊(通信科部隊、大隊長は師団司令部の通信課長を兼務)
  • 偵察隊(機甲科部隊)
  • 飛行隊(航空科部隊)
  • 特殊武器防護隊(化学科部隊)
  • 音楽隊(音楽科部隊)

「自衛隊法施行令」(昭和29年政令第179号)及び「陸上自衛隊の部隊の組織及び編成に関する訓令」(平成12年陸上自衛隊訓令第25号)等により、師団長は陸将、副師団長は陸将補(二)若しくは1等陸佐(一)、幕僚長は1等陸佐(一)、連隊長は1佐(二)、副連隊長及び大隊長2等陸佐が充てられる。

なお、駐屯地司令を兼ねる大隊長には1級上の1等陸佐(三)が充てられる。また、音楽隊を除く各隊長には2等陸佐を基準として補職される[注 15]。音楽隊長は1等陸尉又は2等陸尉が充てられる。

アメリカ陸軍[編集]

第2次世界大戦時[編集]

機甲師団[編集]

ドイツ軍のあげた大きな戦果に触発されて、アメリカ陸軍は1940年6月より機甲師団の編成に着手し、7月15日付けで2個機甲師団が編成された。これは、3個戦車連隊・機甲砲兵連隊・1個機甲歩兵連隊・機甲砲兵大隊・機甲工兵大隊・機甲偵察大隊によって編成されていた。

1942年、アメリカ陸軍は、機甲師団において、コンバット・コマンドと称する新しい編制を採用した。これは、隷下部隊を持たない戦闘団司令部を2個、師団司令部隷下に常設しておき、必要に応じて、様々な部隊を配属して戦闘団を編成するというものである。1943年には、コンバット・コマンドをさらにもう1個増設するとともに、連隊編制を廃して、師団隷下に直接各大隊を配した編制が採用された。ただし、1943年型機甲師団では、機甲兵力がやや減少することから、1942年型機甲師団も重師団と称されて、数個が存続することとなった。

歩兵師団[編集]

第2次世界大戦末期、欧州戦線に投入されたアメリカ軍歩兵師団の編制である。連隊レベルの歩兵砲としてM3 105mm榴弾砲を有し、非常に強力な支援火力を発揮することができた。ただし、島嶼や山岳地形の多い太平洋戦線においては、大火力と引き換えに移動が困難となるM3のかわりに、分解して人力担送できる75mm榴弾砲が配備された。

  • 歩兵師団
  • 師団砲兵司令部
  • 工兵大隊(4個工兵中隊)
  • 衛生大隊(3個搬送中隊+1個野戦病院中隊)
  • 偵察中隊
  • 通信中隊
  • 武器整備中隊
  • 補給中隊
  • 独立戦車大隊(※配属; 中戦車×59両+軽戦車×17両)
  • 独立戦車駆逐大隊(※配属; 戦車駆逐車×36両)
  • 独立高射自動火器大隊(※配属; 自走式対空砲×32両))

朝鮮戦争時[編集]

朝鮮戦争に投入されたアメリカ軍師団の編制である。基本的には第2次世界大戦当時の編制をもとにしているが、歩兵連隊に配備されていた火砲迫撃砲無反動砲に変更されて、やや軽量化されている。ただし、最初に投入された日本駐屯の第24歩兵師団はいくつかの部隊を欠いた編成となっていた。

  • 歩兵師団(17,003名)
  • 工兵大隊(4個工兵中隊)
  • その他後方支援部隊(武器、補給、補充、憲兵、会計、軍楽)

ROCID再編成型歩兵師団[編集]

ROCID再編成型歩兵師団、いわゆるペントミック師団である。ある程度の独立作戦が可能な戦闘群に分割し、迅速に離合集散を繰り返すことで、戦術核兵器の攻撃対象となりうる部隊集結状況を減らし、残存性を高めている。さらに、戦術核兵器を運用するために、師団砲兵としてMGR-1地対地ロケットが配属されているのも特徴である。

ただし、ペントミック戦闘群は7個中隊を常時指揮下に置き、さらに戦車や工兵など2~4個中隊が増強されるため、大隊結節を失った連隊は指揮上の負担が問題となった。また、戦闘群あたりの火力が貧弱であることが指摘されたことから、1960年代初頭には、師団再編計画(ROAD: Reorganization of Army Divisions)による再編成が発動された。

  • 1個旅団司令部(任意の戦闘群等を指揮下に入れての分割運用を目的[11])。
  • 5個歩兵連隊戦闘群(1356名)
  • 師団砲兵司令部
  • 直接協力大隊
  • 全般支援大隊
  • 2個中砲中隊(各M114 155mm榴弾砲×6門)
  • 8インチ榴弾砲中隊
  • 地対地ロケット中隊(MGR-1発射機×2基)
  • 戦車大隊(760名; M48パットン戦車×63両)
  • 機甲偵察大隊(609名; 戦車×21両)
  • 工兵大隊(785名)
  • 通信大隊(531名)
  • 師団支援群(衛生大隊+補給・支援大隊+整備大隊)
  • 憲兵中隊

ROAD再編成型歩兵師団[編集]

師団再編計画によって再編成された、いわゆるROAD師団である。ペントミック編制において、指揮・統制上の弊害や、各単位部隊の打撃力不足が指摘されたことから、朝鮮戦争時に近い3単位制に復帰している。また、編制の柔軟性を確保するため、1943年型機甲師団と同様、隷下部隊をもたない戦闘団司令部を常設して、師団司令部隷下に大隊級の部隊と並列して編制し、必要に応じて各戦闘団司令部隷下に部隊を配属して運用するという手法を採用した。

  • 歩兵師団(18,000名)
  • 3個旅団司令部
  • 8個歩兵大隊
  • 1個機械化歩兵大隊
  • 1個戦車大隊(戦車×54両)
  • 機甲偵察大隊(軽戦車×27両+装甲兵員輸送車×24両)
  • 師団砲兵司令部

アクティブ・ディフェンス型機甲師団[編集]

ROAD計画による一般師団をもとに、欧州正面に配備された重装備の師団である。これらの編制は、アメリカ陸軍の新しい戦闘教義であるアクティブ・ディフェンス・ドクトリンに基づいて決定された。

  • 機甲師団 - 3個旅団司令部+6個戦車大隊+5個機械化歩兵大隊+師団砲兵群(3個M109 155mm自走榴弾砲大隊+1個M110 203mm自走榴弾砲大隊+地対地ロケット大隊)+防空砲兵大隊+機甲騎兵大隊+航空大隊+工兵大隊+通信大隊+師団支援群(衛生大隊+補給・支援大隊+整備大隊)+憲兵中隊

86年型機甲師団[編集]

いわゆる86年型師団(Division 86)である。これは、アメリカ陸軍が1980年代初頭より採択した新しい戦闘教義であるエア・ランド・バトル・ドクトリンに対応して編制された。欧州正面において、ソ連陸軍の突進を阻止することを主眼としており、非常な重装備部隊である。

  • 機甲師団(20,000名)- 3個旅団司令部+6個戦車大隊+4個機械化歩兵大隊+1個師団砲兵旅団(目標捕捉中隊+M109 155mm自走榴弾砲大隊+MLRS)+航空旅団(戦闘支援航空大隊+騎兵大隊(機甲騎兵中隊+航空騎兵中隊)+攻撃ヘリ大隊)+師団支援コマンド(3個前方支援大隊+支援大隊+ヘリ整備中隊)+防空砲兵大隊(チャパラル自走SAM×24両+M163対空自走砲×24両)+工兵大隊+通信大隊+軍事情報大隊+化学防護中隊+憲兵中隊

AOE軽歩兵師団[編集]

1983年アメリカ陸軍参謀総長に就任したJ.A.ウィッカム大将は、軽装備で戦略機動性に優れたAOE軽歩兵師団(Army of Excellence)の編成を命令した。これは、新冷戦の時代に、世界各地で発生する紛争に対する初動部隊としてTRADOC(Training and Doctrine Command)が創案したものであったが、1980年代初頭に発表された86年型師団編制に見られるような、ベトナム撤退以後続いてきた重装備化の流れに正面から逆らうような、徹底的に軽量化された部隊であった。

AOE軽歩兵師団は約10,800名、3個旅団司令部と9個歩兵大隊を基幹として編成されていた。機甲火力はもたず、砲兵火力も、軽量だが短射程のM102 105mm榴弾砲のみとされていた。このように軽装備としたことにより、AOE軽歩兵師団は、C-141輸送機わずか550ソーティで空輸可能とされた。

AOE軽歩兵師団の発想は、現在の歩兵旅団戦闘団に引き継がれている。

モジュラー・フォース化師団[編集]

2008年、アメリカ陸軍は、ピーター・シューメーカー陸軍参謀総長の指揮下に、モジュラー・フォース改編を発動した。これにより、アメリカ陸軍師団は、軽歩兵旅団戦闘団、ストライカー旅団戦闘団、機甲旅団戦闘団(重旅団戦闘団)の3種類の旅団戦闘団を組み合わせた編制に改められた。

モジュラー・フォース改編は、米陸軍再編計画の一部として策定された。米陸軍再編計画においては、指揮統制の迅速化と戦力投入の効率化のため、従来採用されてきた、旅団-師団-軍団-軍という4段階の指揮系統が見直され、UA‐UEx‐UEyとして再構築された。そして、司令部部隊たるUExのうち、少将を指揮官として戦術階梯におけるものが、師団司令部に相当するものであり、戦術階梯における実戦部隊であるUA=旅団戦闘団(BCT)を指揮して戦闘を遂行することとなる。なお、これに対して、UExのうち中将を指揮官として作戦階梯において司令部部隊となるものは、軍団司令部に相当するものとされている。

モジュラー・フォース改編においては、部隊組織の中核は旅団戦闘団に置かれており、司令部部隊であるUEyやUExは、臨機に旅団戦闘団や支援旅団を組み合わせて活動することとされている。師団司令部は、司令部(HQ)と師団特別大隊STB)、戦術指揮所(TAC CP)より構成され、人員数は900~1,000名である。

イスラエル国防軍[編集]

イスラエル国防軍の師団、「ウグダ」(ヘブライ語: אוגדה‎ (Ugda))は現役・予備役部隊の旅団計5個旅団ほどからなる。工兵・偵察部隊は各旅団に組み込まれている。師団長はかつては少将であることが多かったが、現在は准将がつく。

イスラエルでは第一次中東戦争以来旅団を基本にして作戦を行い、必要に応じて臨時で師団を編制することが多かったため、永続的な部隊としての師団が編制されたのは割と遅く、第三次中東戦争後の1968年12月16日、「シナイ師団」こと第252機甲師団が(当時イスラエルの占領地であった)シナイ半島防衛のため編成されたのが始まりである。

ヘブライ語では部隊名を「第162師団」や「第252師団」のように表記するのだが、ヘブライ語版wikipedia「師団(אוגדה)#ツァハルの師団」によれば次の3種類に分類される。第98予備役空挺師団以外は1~3個機甲旅団を持ち、(機甲旅団より歩兵旅団の方が多くても)兵科上「機甲師団」に分類される。戦車定数は師団にもよるが動員時で約100~300輌。

現役師団[編集]

平時は現役部隊の3個歩兵・機甲旅団+1個砲兵旅団を基幹とし、有事に予備役部隊(第36機甲師団は歩兵・機甲・砲兵旅団1個ずつ、第162機甲師団は1個機甲旅団)の配属を受ける師団。 編制例として第36機甲師団の編成は以下のようになる。

  • 第36機甲師団
現役部隊
  • 第7機甲旅団「サール・ミー・ゴラン」(ゴランからの嵐)
    • 第75戦車大隊「ロマク」(槍)
    • 第77戦車大隊「オズ」(勇気)
    • 第82戦車大隊「ガアシュ」(火山)
    • 第603機械化工兵大隊「ラハブ」(剣)
    • 第356「サイェレット7」機械化偵察中隊
    • 第353通信中隊「ハニット」(矢)
  • 第188機甲旅団「バラク」(電光)
  • 第1歩兵旅団英語版「ゴラニ」
  • 第282砲兵旅団ヘブライ語版「ゴラン」
予備役部隊
支援部隊
  • 第389通信大隊「シオン」
  • 兵站旅団
    • 弾薬大隊
    • 補給大隊
    • 医療大隊
    • 憲兵中隊
    • NBC中隊

地域師団[編集]

イスラエル本土および占領地の各地域の防衛・国境周辺の警備を専門とする師団(詳細不明)。

予備役師団[編集]

平時は現役部隊の1~2個機甲・空挺旅団を基幹とし、有事に予備役部隊の配属を受ける師団。

その他各国の師団編制[編集]

中国軍[編集]

朝鮮戦争時[編集]

  • 歩兵師団(約10,000名)
    • 3個歩兵連隊
    • 偵察中隊
    • 警戒中隊
    • 政治班
    • 通信中隊
    • 工兵中隊
    • 砲兵大隊
    • 輸送中隊
    • 衛生隊

朝鮮人民軍[編集]

朝鮮戦争開戦直前、1950年5月の時点において、北朝鮮軍の歩兵師団の編制は、第二次世界大戦当時のソ連軍の師団を、北朝鮮の国情に合わせて縮小したものであった。

また、国境会戦からソウル会戦にかけて極めて重要な役割を果たした第105戦車旅団は、やはりソ連軍の戦車師団を縮小した編制になっているが、旅団としての主体的な運用というよりは分割されての歩兵直協任務を考慮したものになっている。

  • 歩兵師団(約11,000名)
  • 第105戦車旅団
  • 第107戦車連隊(T-34戦車×40両)
  • 第109戦車連隊(T-34戦車×40両)
  • 第203戦車連隊(T-34戦車×40両)
  • 第206機械化歩兵連隊

韓国軍[編集]

朝鮮戦争開戦直前において、韓国軍師団の編制は、第二次世界大戦当時のアメリカ軍の師団を、韓国の国情に合わせて縮小したものであった。なお、後方の第2、第3、第5師団は2個歩兵連隊を基幹とし、砲兵大隊を欠く軽歩兵師団であったほか、朝鮮戦争開戦時の第7師団は隷属替えにより一時的に2個連隊基幹となっていた。

  • 歩兵師団(約10,000名)
  • 3個歩兵連隊(約2,650名)
  • 砲兵連隊
  • 偵察中隊(M20装甲車×4両)
  • 工兵大隊
  • 通信中隊
  • 後方支援隊

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 第19師団第20師団は朝鮮軍に隷属した
  2. ^ 天皇は大元帥として日本陸軍の唯一最高の統帥権を有していた
  3. ^ なお、参謀本部は軍隊では無く官衙(役所)であり、担当は作戦のみで、常設の4軍を除く軍(総軍・方面軍・軍)は作戦軍であり、戦闘序列(指揮系統)を規定するものである
  4. ^ 部隊組織である軍隊のみでなく、管区毎にある連隊区司令部要塞司令部等の官衙、衛戍病院(陸軍病院)等の諸機関も、師団長が統率した
  5. ^ 1952年5月14日の衆議院内閣委員会における大橋武夫国務相の答弁
  6. ^ 1961年4月25日の衆議院内閣委員会における西村直己防衛庁長官の答弁
  7. ^ 陸自サイドは師団数を9個に抑え大隊結節を維持したい意向であったが、内局に却下されたという。
  8. ^ 2万5千名の欠員を抱えていたため、師団の平均充足率は70パーセントであった。そのため、中隊レベルの充足率は45パーセント程度であったという。現在、一部師団の旅団改編や一部連隊のコア化で師団や旅団の充足率は90パーセント以上に上がったものの、連隊以上の高級指揮官ポストが多く、指揮官付きの隊員に人員を割かれるため、依然として中隊レベルの充足率は低めである。
  9. ^ 師団番号を冠した部隊名で構成されており、武器(大)隊・補給隊・衛生隊・輸送隊が存在していた。武器(大)隊は当時隷下に2個中隊を擁しており、車両整備を担当する1中隊と火器や通信機材・師団管内の施設部隊の機材整備等を担任する第2中隊が存在しており、このうち1中隊は後の整備大隊改編時に2中隊の火器小隊・誘導武器整備班と統合し火器車両整備中隊及び工作回収小隊に改編となっている。また、第2中隊隷下の施設野整備小隊は施設大隊の整備小隊と統合し施設整備隊へ改編、通信機材小隊は通信大隊の整備小隊と統合し通信電子整備隊に改編されている
  10. ^ 但し、師団長直轄となる前に付隊隷下の「化学防護隊」に改編し、後に独立し「○○化学防護隊」と改編されている。そのときの名残で現在旅団化されている部隊のうち付隊隷下に中隊旗を授与された「化学防護隊」として編制されている部隊も存在する
  11. ^ これまでに第1師団(31普連・2011年4月)、第4師団(19普連・2013年4月)、第6師団(38普連・2006年3月)、第10師団(49普連・2014年3月)が各方面混成団隷下に移動、その他の施設・特科・後方支援連隊等のうち即自を基幹としていた中隊・小隊は廃止
  12. ^ 対馬警備隊 (陸上自衛隊)を含め実質4個連隊編成
  13. ^ 第73戦車連隊は平成25年度末にフル化改編(即自訓練は北部方面混成団に移管)
  14. ^ 第24普通科連隊は西部方面混成団に移動
  15. ^ 但し飛行隊及び偵察隊は部隊規模の特性上2佐が指定
  16. ^ 1957年における編制

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 高井三郎著 『現代軍事用語』 アリアドネ企画 2006年9月10日第1刷発行 ISBN 4384040954
  2. ^ 戦史叢書『陸軍軍戦備』、287 - 288頁。
  3. ^ 軍事研究2018年9月号p55。
  4. ^ 次期中期防期間中に1個連隊が即応機動連隊へ改編予定
  5. ^ a b c 平成30年度末に廃止予定(詳細は第3戦車大隊及び第4特科連隊第6特科連隊を参照)
  6. ^ a b 平成29年度末廃止(詳細は西部方面戦車隊及び第4戦車大隊第8戦車大隊を参照)
  7. ^ 2018年度末に第22普通科連隊が即応機動連隊へ改編予定
  8. ^ 2018年3月編成完結(詳細は第42即応機動連隊
  9. ^ 新編の西部方面特科連隊が相当(平時8師団隷属)
  10. ^ a b 即応機動連隊を有する師団には置かれない
  11. ^ MCあくしずVol.40、80頁、2016年3月21日。

参考文献[編集]

  • 樋口隆晴「師団とはなにか その歴史と理念」サンデーアート社『PANZER』1996年11月号 No.283 P.34 - P.47
  • サンデーアート社『PANZER』1988年7月号 No.172 特集・旧軍の師団と自衛隊の師団 
  • 防衛庁防衛研修所戦史部『陸軍軍戦備』(戦史叢書)、朝雲新聞社、1979年。

関連項目[編集]

各師団の項目[編集]