東京山手急行電鉄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
帝都電鉄から転送)
Jump to navigation Jump to search

東京山手急行電鉄(とうきょうやまのてきゅうこうでんてつ)は、かつて東京外周に約50kmにわたる環状路線を建設しようとした鉄道事業者世界恐慌の影響で計画は頓挫した。

後に帝都電鉄と改称して現在の京王井の頭線を建設し、1940年に小田原急行鉄道に合併された。

概要[編集]

東京では1925年山手線環状運転が開始されていたが、沿線のさらなる発展を見込み、私鉄によってその外周にもう一つの環状路線を形成することが考え出された。当時の鉄道省文書(帝都電鉄の綴)にも東京郊外の環状線計画について検討が行われた記録が残されている。

1926年9月に免許申請がなされた。しかし鉄道省での審議は反対派[1]擁護派双方譲らず結論が出なかった。この騒ぎに井上匡四郎鉄道大臣が仲裁にはいり調査会を開くことになった。その矢先第1次若槻内閣が総辞職という事態が発生した。このため井上大臣は1927年4月19日に省議を開き東京山手急行電鉄の免許交付の指示をし懸案事項の解決をみることになった[2][3]。ところが当時は昭和金融恐慌が起こるなど不景気であったため、発起人[4][5]にはこれだけの新線を建設するだけの資金は存在しなかった。また、ほぼ全線を掘割での建設を予定するなど建設費が割高であったことや、交差する各線との協議をせねばならないなど明らかに杜撰な計画であった[6]。なお、掘割にしたのは発生する残土で沿線の湿地を埋め立てて住宅地として分譲する計画があったからで、実際に住宅開発を行うための「東京山手急行証券」という子会社も設立されている[7]

そのため、鬼怒川水力電気の総帥であり小田原急行鉄道(現、小田急電鉄の前身)を経営していた利光鶴松の傘下に入り、増資を行って建設の機会を待つことにした。

それと同じ頃の1928年に、現在の京王井の頭線に当たる渋谷駅 - 吉祥寺駅間の免許[8]城西電気鉄道[9](後に渋谷急行電鉄と改称[10])という会社が得ていたが、こちらも建設の資金はなく、同じように利光の傘下になった。

利光は、1931年東京山手急行電鉄を改称した[11]東京郊外鉄道に渋谷急行電鉄を合併させたが[11]、当時は小田原急行鉄道も現在の小田原線1927年に開業させたばかりで、さらに乗客が伸びず苦心していた頃でもあり、東京郊外鉄道の環状線を建設するだけの余力はなかった。

そのため、比較的建設が容易とみられた渋谷急行電鉄の免許線の方を先に開業させることにし、1933年に社名を帝都電鉄[12]と改称して1933年 - 1934年に順次開業させた。

東京山手急行電鉄が保有していた免許線の建設もあきらめたわけではなく、1936年には東京東部に当たる区間の免許を失効[13]させて終点を山手線駒込駅に変更し、大井町駅 - 駒込駅間の施行免許を得た。だが日中戦争1937年に勃発して次第に戦時体制となる中、山東半島における金鉱開発に失敗したこと、日本発送電の発足に伴い鬼怒川水力電気の電力事業を失ったこともあり、利光の事業環境は一層苦しくなっていった。これにより東京山手急行電鉄免許線の建設は到底無理となったため、帝都電鉄が小田急に統合された1940年に、1932年施行許可[14]を得た残り区間の免許も失効した[15]

ルート[編集]

京浜線東海道本線)の大井町駅を起点とし、池上電気鉄道線雪ヶ谷駅東京横浜電鉄東横線自由ヶ丘駅玉川電気鉄道線の駒沢駅、小田急線梅ヶ丘駅、計画中の渋谷急行電鉄と京王電気軌道線が交差する明大前駅中央本線中野駅西武鉄道村山線新井薬師前駅武蔵野鉄道武蔵野線江古田駅東武東上本線下板橋駅山手線支線板橋駅山手線東北本線田端駅常磐線東武伊勢崎線北千住駅付近を経て、寺島町・大島町砂町を経由し洲崎町に至る予定であった。

また1925年に東京特別都市計画高速鉄道網として、東京地下鉄道が計画していた現在の銀座線新橋駅以北のほかに、東京市1943年東京府との合同で東京都となる)が4本の路線を建設する計画を立てており、その中に5号線として池袋 - 一ツ橋 - 永楽町(東京駅) - 中橋広小路 - 永代橋 - 洲崎間という路線が存在したが、東京山手急行電鉄ではこの路線との直通運転も計画していたといわれる。

1936年には、前述のように終点を駒込駅に変更して以東の区間を放棄した。

なお鶴見 - 等々力 - 経堂 - 桜上水 - 西永福 - 荻窪 - 練馬 - 東武練馬 - 川口 - 竹ノ塚 - 金町間に、東京山手急行電鉄よりさらに1つ大きい環状線を形成する「大東京鉄道」[16][17][18]の計画もあったが、こちらも1936年ごろに免許失効となった。

計画の名残として、井の頭線が京王線玉川上水の下をくぐる明大前駅付近の構造物には複々線分の用地があるが、これは現在の井の頭線に加えて東京山手急行電鉄免許線が通ることを考慮した設計であったといわれる。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 工務局長の後藤佐彦(後南海鉄道取締役技師長、江若鉄道社長)は沿線の人口は希薄であり到底採算が取れないとした『私鉄物語』167-168頁
  2. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年4月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『私鉄物語』167-168頁
  4. ^ 発起人総代は三十四銀行の常務取締役兼東京支店長だった太田一平『日本全国諸会社役員録. 第32回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 主な発起人と役職早川徳次、利光鶴松(社長)、太田光凞(監査役)、渡辺嘉一(取締役)、金森又一郎若尾璋八『日本全国諸会社役員録. 第38回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 例えば計画当時には西部地域だと現在の東急大井町線東急世田谷線、東部地域だと東武伊勢崎線東武亀戸線が既に存在しており、1933年には京成本線が開業する。
  7. ^ 東京山手興業に改称『日本全国諸会社役員録. 第38回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 1月30日免許「鉄道免許状下付」『官報』1928年2月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 『鉄道統計資料. 昭和2年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ a b 『鉄道統計資料. 昭和5年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 『鉄道統計資料. 昭和7年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 1月23日免許失効(豊島区駒込3丁目-深川区西平井町間 指定ノ期限マテニ工事施工ノ認可申請ヲ為ササルタメ)「鉄道一部免許失効」『官報』1936年1月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和12年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1940年4月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 大東京鉄道は金町電気鉄道出自のこの環状線計画のほかに北武電気鉄道出自の日暮里‐尾久‐町屋‐荒川放水路‐大師前‐伊興‐舎人‐南新郷‐安行‐出羽村‐越ヶ谷 - 野田町間などの計画も持っていた。
  17. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 『大東京ニ於ケル交通ニ關スル調査』(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献[編集]

  • 川口市史 近代資料編I(大東京鉄道)
  • 清水啓次郎『私鉄物語』春秋社、1930年(復刻アテネ書房1993年)

外部リンク[編集]

関連項目[編集]