布良
布良 | |
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![]() 布良崎神社 (令和元年房総半島台風で被災する以前) | |
![]() 布良の位置 | |
北緯34度55分0秒 東経139度49分37秒 / 北緯34.91667度 東経139.82694度 | |
国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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設置 | 1889年(明治22年)4月1日 |
人口 | |
• 合計 | 356人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
294-0234[2] |
市外局番 | 0470[3] |
ナンバープレート | 袖ヶ浦 |
布良(めら[2])は、千葉県館山市の地名。丁番を持たない単独町名で、郵便番号は294-0234[2]。
地理[編集]
館山市および房総半島最南端部に位置し、西側は太平洋に面する[4]。地内東部は山林であり、北西部の山麓から海岸に至る斜面に住宅が集中する。
北西で相浜、北から東にかけて大神宮、南で南房総市白浜町根本とそれぞれ接する(特記ないものは館山市)。
海岸[編集]
- 布良海岸
歴史[編集]
地名の由来[編集]
布(め、食用の海草を指す古語)が繁茂している浦という意味の「布浦」(めうら)が転訛したとする説、紀伊国目良[注 1]あるいは伊豆国妻良[注 2]の住人が移住した地にちなむという説、天富命が阿波忌部氏を率いてこの地に上陸した際に現地の住民から献上された布を「良い布」と賞したことに由来するという伝承などがある[4]。
沿革[編集]
- 江戸時代 - 安房郡[注 3]布良村成立。成立当初は里見氏領[4]。
- 1873年(明治6年) - 布良村、千葉県に所属[4]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により安房郡富崎村大字布良となる[4]。
- 1951年(昭和26年)7月10日 - 地内の布良漁港が隣接する相浜漁港と合併して富崎漁港となり、第2種漁港に指定される[4]。
- 1954年(昭和29年)5月3日 - 富崎村が館山市に編入、同市の大字となる。
- 2019年(令和元年)9月9日 - 令和元年房総半島台風(台風第15号)により、建物が倒壊するなど大きな被害が出る[5][6]。
世帯数と人口[編集]
2020年(令和2年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
布良 | 204世帯 | 356人 |
小・中学校の学区[編集]
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 館山市立房南小学校 | 館山市立房南中学校 |
交通[編集]
地内を通る鉄道路線はない。
バス[編集]
道路[編集]
施設[編集]
史跡[編集]
- 布良崎神社
- 駒ケ崎神社
- 能忍寺
- 龍樹院
ギャラリー[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b R2年11月地区別人口 (PDF) - 館山市. 2020年12月17日閲覧。
- ^ a b c “郵便番号”. 日本郵便. 2020年12月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2020年12月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典』 12. 千葉県、角川書店、1984年、840頁。ISBN 4040011201。
- ^ “千葉)台風15号半年、移転強いられる人も 館山・鋸南”. 朝日新聞. (2020年3月9日) 2020年12月25日閲覧。
- ^ “町の景色変わった 修理が進む一方、離れる人も… 台風15号1年 千葉・館山ルポ”. 毎日新聞. (2020年9月9日) 2020年12月25日閲覧。
- ^ “幼稚園・小学校・中学校 通学区域”. 館山市 (2017年4月1日). 2020年12月25日閲覧。
参考文献[編集]
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典12. 千葉県』角川書店、1984年。ISBN 4040011201。
関連項目[編集]
- 富崎村
- 天富命
- 忌部氏#阿波忌部の東遷説話
- 青木繁 - 洋画家。1904年の夏に布良に滞在し、代表作『海の幸』を制作した。
- カノープス - りゅうこつ座の1等星。房総半島沿岸部では布良の方向に見える星として「布良星」と通称される。
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相浜 | 大神宮 | ![]() | |
(太平洋) | ![]() |
大神宮 | ||
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南房総市白浜町根本 |