市川福治・かな江

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市川福治・かな江(いちかわふくじ・かなえ)は、昭和期に活躍した夫婦漫才

芸風[編集]

形式上漫才だが、殆ど福治の一人舞台で、かな江は三味線を弾いて伴奏する程度。

福治の師匠は尺八・琴古流戸澤行古で、篠笛(横笛)の腕前もあり、篠笛で尺八の音色を出す珍芸、その他に木魚を叩いて語る阿呆陀羅経あほだら経)やデロレン祭文は十八番で、他に新内浪花節の真似、都々逸など能くした。役者出身だけあって、頭巾を頬被りをしてやる「」も得意とした。

晩年は福治の病気で不遇の時代があり、没後かな江も引退した。

弟子には市川歌志・泰子四海波太郎・浜治桂福助など。

メンバー[編集]

  • 市川福治(いちかわ ふくじ、前名:大川八百太1904年 - 1976年)本名:坂本安太郎。
広島生まれ、歌舞伎中村歌三郎の門下で17歳で女形で初舞台。後に19歳で剣戟ダンスレヴューの一座を結成し地方巡業した。
漫才転向後は大杉てるみ小唄志津子香取奈美江等と組んだ。1962年に妻を相方として無理やりコンビを組んだ。
横山ホットブラザーズの横山アキラに阿呆陀羅経(あほだら経)を授けたのはこの人である。
  • 市川かな江(いちかわ かなえ、前名:市川かなめ1922年 - ?)本名:坂本末子。
尼崎の砂糖屋の娘。

関連項目[編集]

参考文献[編集]