スダ湾襲撃

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スダ湾襲撃
CreteMap.jpg

クレタ島の地図。左上にスダ湾がある
戦争第二次世界大戦
年月日1941年3月25日
場所:地中海、スダ港
結果:イタリア海軍の圧倒的勝利
交戦勢力
イタリア王国の旗イタリア海軍 イギリスの旗イギリス海軍
指導者・指揮官
ルイージ・ファジオーニ レジナルド・ヘンリー・ポータル大佐(ヨーク艦長)
戦力
駆逐艦2
爆装艇6
湾内の艦船
損害
捕虜6名 重巡洋艦1隻大破着底
油送船1隻大破
戦死2名[1]

スダ湾襲撃(スダわんしゅうげき)は、1941年3月26日にイタリア海軍が小型艇によりクレタ島スダ湾en:Souda Bay)を襲撃した事件である。

強襲[編集]

1941年5月に撮られたスダ湾で放棄されたヨーク。手前はノルウェーのタンカーPericles
1941年5月に撮られたスダ湾。左側で着底しているのが「ヨーク」。手前の水上機はショート・サンダーランド

1941年3月25日夜、イタリア海軍のセラ級駆逐艦フランチェスコ・クリスピ」、「クンティノ・セーラ」が3隻ずつ爆装艇MAS (魚雷艇)を搭載してレロス島から出撃した。爆装艇は艇内に300kgの爆薬を搭載しており、艇を目標への衝突コースに乗せた後衝突して爆発する前に乗員は脱出するというものであった。

航空偵察によりスダ湾には多数の艦船が停泊していることが発見されていた。スダ湾で連合国軍の活動が継続的に行われていることから、数か月前にスダ湾が目標に選ばれていた。

3月25日23時30分、スダ湾沖で一人乗りの爆装艇が駆逐艦から発進した。湾内に侵入した爆装艇は、重巡洋艦ヨーク、ノルウェーの大型タンカーPericles(8,300トン)、別のタンカーと貨物船各1隻に突入した。

3月26日4時46分、ヨーク中央部に2隻が命中した。艦後部の破口からそれぞれボイラー室と弾薬庫に浸水し、爆発により乗員2名が死亡した。艦尾が沈み込んだヨークは沈没を避けるために浜辺に故意に座礁させた。

Periclesも大破着底した。残り2隻はイタリア側資料によると共に沈没したとされるが、イギリス側資料によると残りの爆装艇は命中しなかったとされる。爆装艇の操縦者は6名全員が捕虜となった。

空襲を受けているとの勘違いにより、対空砲火があがった。

Periclesは駆逐艦によって曳航されアレクサンドリアへ向かう途中、1941年4月14日に嵐で沈没した。動けないヨークは、着底後も枢軸軍からの空襲を受けており、対空砲火を上げて抵抗していたが、やがて5月下旬には主砲以下の火器を破壊されて無力化された。ドイツ軍によってクレタ島が占領される前に乗員の手によって22日には主要部に爆弾を仕掛けて破壊された。

戦後、ヨークの船体は浮揚されてバーリへ曳航され、そこで1952年3月にスクラップとなった。

脚注[編集]

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  1. ^ 1st - 31st MARCH 1941 - in date, ship/unit & name order

参考文献[編集]

  • "Frogmen First Battles" by retired U.S Captain William Schofield's book. ISBN 0-8283-2088-8
  • "The Naval War in the Mediterranean, 1940-1943 by Jack Greene & Alessandro Massignani, Chatam Publishing, London, 1998. ISBN 1861760574
  • "Sea Devils" by J. Valerio Borghese, translated into English by James Cleugh, with introduction by the United States Naval Institute ISBN 1-55750-072-X
  • The Italian Navy in World War II by Marc'Antonio Bragadin, United States Naval Institute, Annapolis, 1957. ISBN 0405130317
  • The Italian Navy in World War II by Sadkovich, James, Greenwood Press, Westport, 1994. ISBN 031328797X

外部リンク[編集]