川邉忠義
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 | 秋田県秋田市 |
| 生年月日 | 1968年4月30日(50歳) |
| 身長 体重 |
193 cm 95 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1989年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 1996年5月12日 |
| 最終出場 | 1996年10月3日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
| |
川邉 忠義(かわべ ただよし、1968年4月30日 - )は、元プロ野球選手(投手)。1994年までの登録名は川辺 忠義(読み同じ)。
来歴・人物[編集]
秋田工業3年生の時の1986年、第68回全国選手権大会に出場。三回戦の佐伯鶴城高校戦で完投したが敗れた。高校の同期に元ラグビー日本代表の吉田義人がいる。
1987年に社会人野球の川崎製鉄千葉へ入社、1989年全日本メンバーに選出、日本対キューバ野球選手権、IBAFインターコンチネンタルカップ、アジア野球選手権大会に出場、1989年度ドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名を受けて入団。人の名前を覚える気がない長嶋茂雄監督から「ワタナベくん」「ワタベくん」「オカベくん」とブルペンで呼ばれ続けた。
1995年オフ、日本ハムファイターズの河野博文がFA権を行使して巨人と契約。「人的補償」として川邉が選ばれ、川邉は一軍未出場のまま日本ハムへ移籍することになった。1993年に導入されたFA制度で、人的補償による移籍第1号である[1]。
1996年に日本ハムで一軍初登板を果たすと、5月19日のロッテ戦で初勝利。先発や中継ぎとして活躍した。1997年は再び一軍登板なし。オフに自由契約となり、引退。
1989年のドラフト会議で巨人が指名した6選手は、全て後に日本ハムか近鉄へ移籍している。
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996 | 日本ハム | 17 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 190 | 42.1 | 52 | 5 | 14 | 0 | 2 | 29 | 1 | 0 | 23 | 23 | 4.89 | 1.56 |
| 通算:1年 | 17 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | -- | .250 | 190 | 42.1 | 52 | 5 | 14 | 0 | 2 | 29 | 1 | 0 | 23 | 23 | 4.89 | 1.56 | |
記録[編集]
- 初登板:1996年5月12日、対近鉄バファローズ10回戦(東京ドーム)、6回2失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表にタフィ・ローズから
- 初勝利・初先発勝利:1996年5月19日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(千葉マリンスタジアム)、5回2/3を2失点
背番号[編集]
- 20 (1990年 - 1994年)
- 59 (1995年)
- 46 (1996年 - 1997年)
登録名[編集]
- 川辺 忠義 (かわべ ただよし、1990年 - 1994年)
- 川邉 忠義 (かわべ ただよし、1995年 - 1997年)
脚注[編集]
- ^ “FAの歴史を振り返る。最初にFA権を行使したのは誰?”. Sportiva (2013年12月20日). 2013年12月31日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
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