川越富洲原駅

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川越富洲原駅*
駅舎(2011年2月)
駅舎(2011年2月)
かわごえとみすはら
- Kawagoe-Tomisuhara
E15 伊勢朝日 (2.6km)
(1.6km) 近鉄富田 E17
所在地 三重県三重郡川越町大字豊田275
駅番号  E16 
所属事業者 社章近畿日本鉄道(近鉄)
所属路線 E 名古屋線
キロ程 30.0km(**近鉄名古屋起点)
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度-
3,359人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1929年昭和4年)1月30日
備考 * 2009年に富洲原駅から改称。
** 正式な起点は伊勢中川駅
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川越富洲原駅(かわごえとみすはらえき)は、三重県三重郡川越町大字豊田にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線である。駅番号はE16

歴史[編集]

建替前の駅舎
改称前の駅名標(2009年1月3日)

駅の位置・駅名の変遷[編集]

1929年(昭和4年)の伊勢電気鉄道四日市 - 桑名間開業時に、伊藤平治郎の誘致により富洲原駅が開業した。近鉄名古屋駅名古屋市)方面から三重郡富洲原町の天ヶ須賀にあった須賀浦海水浴場に来る観光客で賑わっていたという[1]。当時の富洲原駅は、現在の駅より300m南側に離れた四日市市平町に立地していた。1945年(昭和20年)、隣の三重郡川越村の朝明川付近にあった無人駅の川越駅が富洲原駅と統合され、両駅の中間の距離である300m北の川越町豊田地区に富洲原駅が移動した[2]

昭和20年代、川越村(現在の川越町)は養殖農業水飴産業しかない一寒村であった一方、富洲原は東洋紡績富田工場平田紡績本社工場など紡績業で賑わいを見せていた。商店街や上下水道が整備され、政治的にも経済的にも強力な富洲原の名を駅名に冠するのは自明の理であった。しかし1990年代には、紡績工場の相次ぐ閉鎖や商店街の衰退、さらには水害による富田一色地区の急速な人口の減少により、富洲原地区は急激に衰退していった[3]。対する川越町は、昭和末期に中部電力川越火力発電所が誘致されて大企業の施設が建設された事や、道路網の相次ぐ整備で人口が急増、それに伴って法人税固定資産税も急増して財政にゆとりができ、もはや富洲原と川越町の力関係は逆転していた[4]

川越町は富洲原を町の玄関口と位置付けており、1983年(昭和58年)に川越町議会議員で富洲原駅付近(豊田地区)出身の飯田勝祐議員が問題提起をした。それ以後、川越町の議会で「富洲原駅の名称問題」が幾度も取り上げられ、川越町駅に改称するように近鉄に陳情を繰り返したが、川越町駅への改称は近鉄及び四日市市の理解が必要であり、富洲原地区民の反発が予想されることや、埼玉県川越市と同一地名であるなどの問題があった。竹下内閣ふるさと創生事業の一環として、川越町の資金援助で三重県立川越高等学校付近の川越町(豊田一色地区内)に川越町駅を建設するように求めたこともあったが、近鉄はダイヤ上の都合を理由に「川越町駅」の建設を断った。川越町民による富洲原地区民への嫌がらせも発生し、1993年(平成5年)には川越町民による四日市市立富洲原小学校の講堂への放火未遂事件まで発生している[5]

現在の駅の所在地が四日市市富洲原地区ではなく同町豊田地区である事から、平成初期は『富洲原川越駅』を提案していたが、のちに駅名を『川越富洲原駅』とする条件に変え、川越町が駅整備事業を全額負担する前提で近鉄と交渉を行ってきた。この結果、2009年(平成21年)3月20日に駅名を「富洲原駅」から「川越富洲原駅」に改称した[6]。東口広場と西口広場には駅前広場が設けられ、「川越富洲原駅前交番」が設置された。なお、近鉄が所有するのは改札内のみであり、橋上のその他の施設はエレベーターも含め、川越町道となっている。

駅施設の変更[編集]

富洲原駅時代はが泳ぐため池が駅舎の付近にあった。富洲原駅の西側は三重郡川越町の豊田地区であり、運河型の河川田んぼなど広大な農地があったが現在はアパートなど住宅開発がされている。富洲原駅の東側は富洲原駅前の商店街である天神町商店街がある。富洲原駅の構内は踏切で1番ホームから4番ホームまでを横断する構造で、踏切に安全性の問題があり、高齢者の女性が踏切を横断するのに時間がかかり通過列車にひかれる死亡事故が多発していた。川越富洲原駅に駅名が改称されてからは安全性の向上のための改修工事の結果橋上駅となり、駅の安全性が向上した。富洲原駅時代は富洲原地区を中心とする案内図があり、天ヵ須賀地区の各自治会名の案内図があった。川越富洲原駅に駅名が変更されてからは、川越町によって設置された川越町中心の川越町案内図と川越富洲原駅周辺案内図の2つの案内図が設置されて富洲原地区関係の紹介が削除された。駅の通路には川越町の物産品紹介コーナーや、川越町の歴史などを紹介する展示コーナーが設置されている。

年表[編集]

駅構造[編集]

駅ホーム
川越富洲原駅を上から(2010年7月)

島式ホーム2面4線を持つ待避可能な地上駅である。ホーム長は停車目標上は5両編成だが、駅改良工事の際に延伸されて6両編成の停車に対応している。ラッシュ時を中心に準急・普通列車の乙特急、日中に名阪甲特急の待避が頻繁に行われる。橋上駅舎2010年(平成22年)4月3日より供用され、1945年(昭和20年)に建築された旧富洲原駅の駅舎は切り妻風の木造平屋建てであり、面積は約150m2で現存する駅舎では数少ない木造駅舎建築物であり、貴重な近代化遺産として文化財レベルの価値がある事から、文化財として移設して保存する運動もあったが、同月中に取り壊された。トイレは改札内にある。

のりば[編集]

のりば 路線 方向 行先
1・2 E 名古屋線 下り 四日市大阪賢島方面
3・4 E 名古屋線 上り 桑名名古屋方面
特記事項
  • 内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。
  • 4番線は四日市方面へ発車可能で、まれに四日市方面への当駅始発の団体列車が使用する。
  • 保線車両の基地が当駅の南側に位置する。

改札口[編集]

当駅乗降人員[編集]

近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[11]

  • 2015年11月10日:6,017人
  • 2012年11月13日:5,375人
  • 2010年11月9日:5,630人
  • 2008年11月18日:5,777人
  • 2005年11月8日:5,887人

利用状況[編集]

「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。

年度 一日平均
乗車人員
1997年 3,422
1998年 3,400
1999年 3,367
2000年 3,387
2001年 3,269
2002年 3,167
2003年 3,183
2004年 3,142
2005年 3,117
2006年 3,088
2007年 3,078
2008年 3,041
2009年 3,028
2010年 3,128
2011年 3,133
2012年 3,218
2013年 3,359

当駅の利用状況の変遷を下表に示す。

  • 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。
  • 乗降人員調査結果は、任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事などの要因によって変動が大きいので、年度間の比較には注意を要する。
  • 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(富洲原駅)
年度 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 乗降人員調査結果
人/日
特記事項
通勤定期 通学定期 定期外 合 計 調査日 調査結果
1950年(昭和25年) 649,380 ←←←← 439,922 1,089,302      
1951年(昭和26年) 772,710 ←←←← 449,066 1,221,776      
1952年(昭和27年) 666,120 ←←←← 468,145 1,134,265      
1953年(昭和28年) 684,270 ←←←← 466,293 1,150,563      
1954年(昭和29年) 723,000 ←←←← 489,921 1,212,921      
1955年(昭和30年) 831,570 ←←←← 509,751 1,341,321      
1956年(昭和31年) 900,930 ←←←← 548,198 1,449,128      
1957年(昭和32年) 930,450 ←←←← 525,665 1,456,115      
1958年(昭和33年) 1,000,230 ←←←← 610,509 1,610,739      
1959年(昭和34年) 1,178,400 ←←←← 407,184 1,585,584      
1960年(昭和35年) 1,370,700 ←←←← 400,667 1,771,367      
1961年(昭和36年) 1,261,800 ←←←← 409,797 1,671,597      
1962年(昭和37年) 1,454,550 ←←←← 449,061 1,903,611      
1963年(昭和38年) 1,551,210 ←←←← 453,827 2,005,037      
1964年(昭和39年) 1,651,590 ←←←← 469,771 2,121,361      
1965年(昭和40年) 1,437,270 ←←←← 458,987 1,896,257      
1966年(昭和41年) 1,336,320 ←←←← 404,591 1,740,911      
1967年(昭和42年) 1,336,920 ←←←← 423,238 1,760,158      
1968年(昭和43年) 1,281,720 ←←←← 420,402 1,702,122      
1969年(昭和44年) 1,261,440 ←←←← 456,065 1,717,505      
1970年(昭和45年) 1,264,620 ←←←← 466,058 1,730,678      
1971年(昭和46年) 1,232,550 ←←←← 484,454 1,717,004      
1972年(昭和47年) 1,194,150 ←←←← 503,103 1,697,253      
1973年(昭和48年) 1,160,700 ←←←← 497,050 1,657,750      
1974年(昭和49年) 1,285,050 ←←←← 500,591 1,785,641      
1975年(昭和50年) 1,287,390 ←←←← 501,481 1,788,871      
1976年(昭和51年) 1,190,010 ←←←← 471,186 1,661,196      
1977年(昭和52年) 1,169,550 ←←←← 493,536 1,663,086      
1978年(昭和53年) 1,181,400 ←←←← 473,282 1,654,682      
1979年(昭和54年) 1,144,140 ←←←← 470,444 1,614,584      
1980年(昭和55年) 1,150,290 ←←←← 468,709 1,618,999      
1981年(昭和56年) 1,148,310 ←←←← 451,108 1,599,418      
1982年(昭和57年) 1,116,570 ←←←← 458,362 1,574,932 11月16日 7,829  
1983年(昭和58年) 1,106,430 ←←←← 450,704 1,557,134 11月8日 8,110  
1984年(昭和59年) 1,048,170 ←←←← 407,552 1,455,722 11月6日 7,275  
1985年(昭和60年) 1,005,000 ←←←← 400,950 1,405,950 11月12日 6,878  
1986年(昭和61年) 994,260 ←←←← 396,170 1,390,430 11月11日 6,644  
1987年(昭和62年) 977,700 ←←←← 375,614 1,353,314 11月10日 6,871  
1988年(昭和63年) 983,670 ←←←← 387,533 1,371,203 11月8日 7,040  
1989年(平成元年) 978,870 ←←←← 372,294 1,351,164 11月14日 6,558  
1990年(平成2年) 981,000 ←←←← 371,380 1,352,380 11月6日 7,272  
1991年(平成3年) 1,034,400 ←←←← 369,923 1,404,323      
1992年(平成4年) 1,025,610 ←←←← 357,300 1,382,910 11月10日 6,866  
1993年(平成5年) 1,000,980 ←←←← 369,578 1,370,558      
1994年(平成6年) 995,700 ←←←← 363,788 1,359,488      
1995年(平成7年) 989,160 ←←←← 372,800 1,361,960 12月5日 6,575  
1996年(平成8年) 971,640 ←←←← 359,163 1,330,803      
1997年(平成9年) 906,870 ←←←← 342,260 1,249,130      
1998年(平成10年) 902,400 ←←←← 338,622 1,241,022      
1999年(平成11年) 894,810 ←←←← 337,448 1,232,258      
2000年(平成12年) 891,240 ←←←← 344,900 1,236,140      
2001年(平成13年) 872,070 ←←←← 320,954 1,193,024      
2002年(平成14年) 842,130 ←←←← 313,910 1,156,040      
2003年(平成15年) 852,780 ←←←← 312,163 1,164,943      
2004年(平成16年) 849,420 ←←←← 297,265 1,146,685      
2005年(平成17年) 836,730 ←←←← 301,085 1,137,815 11月8日 5,887  
2006年(平成18年) 823,410 ←←←← 303,589 1,126,999      
2007年(平成19年) 817,260 ←←←← 309,293 1,126,553      
2008年(平成20年)   ←←←←     11月18日 5,777  
2009年(平成21年) 814,740 ←←←← 290,511 1,105,251      
2010年(平成22年)   ←←←←          
2011年(平成23年)   ←←←←          
2012年(平成24年)   ←←←←          
2013年(平成25年)   ←←←←          
2014年(平成26年)   ←←←←          

駅周辺[編集]

川越町地域内
四日市市地域内(富洲原地区・大矢知地区)

バス路線[編集]

乗り場 系統 主要経由地 行先 運行会社 備考
近鉄川越富洲原駅東口   南ルート 高松国道1号西・川越町役場 総合センター ふれあいバス 日祝・年末年始運休

その他[編集]

隣の駅[編集]

近畿日本鉄道
E 名古屋線
急行
通過
準急・普通
伊勢朝日駅 (E15) - 川越富洲原駅 (E16) - 近鉄富田駅 (E17)

脚注[編集]

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  1. ^ 川越駅と須賀浦海水浴場の記述『想い出の伊勢電特急「はつひ」で85分の旅』
  2. ^ 『平成時代発行の川越町史』523ページの22行目から~23行目の交通機関の項目
  3. ^ 『四日市市立富洲原小学校創立100周年記念誌』161ページ上段16行目~下段16行目
  4. ^ 『昭和時代発行の川越町史』234頁
  5. ^ 『昭和時代発行の川越町史』235頁
  6. ^ “来春、名古屋線の「富洲原駅」を「川越富洲原駅」に駅名変更します” (pdf) (プレスリリース), 近畿日本鉄道、川越町, (2008年11月21日), http://www.kintetsu.jp/news/files/20081121tomisuhara.pdf 2016年3月16日閲覧。 
  7. ^ a b c d 曽根悟(監修) 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7
  8. ^ a b 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、p.156
  9. ^ “平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります” (pdf) (プレスリリース), 近畿日本鉄道, (2007年1月30日), http://www.kintetsu.jp/news/files/iccard20070130.pdf 2016年3月16日閲覧。 
  10. ^ 3月20日(祝・金) 近鉄富洲原駅が川越富洲原駅に!」 (pdf) 、『広報かわごえ』第424号、川越町、2009年4月、 11頁、2016年3月16日閲覧。
  11. ^ 駅別乗降人員 名古屋線 - 近畿日本鉄道
  12. ^ 東海地震に関するお知らせ K's PLAZAより
  13. ^ 『近鉄時刻表』(編集・発行 近畿日本鉄道営業企画部)、2014年9月21日ダイヤ変更号、149頁等の駅名ローマ字表記
  14. ^ 名古屋線の英語版停車駅案内、近畿日本鉄道ウェブサイト、2016年1月10日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]