川添登

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川添 登(かわぞえ のぼる、1926年2月23日 - 2015年7月9日)は日本の建築評論家

来歴・人物[編集]

東京都出身。早稲田大学理工学部建築学科卒業。『新建築』の編集長を務めていたが、1957年の新建築問題(誌上で村野藤吾有楽町そごうを批評したことに社長が激怒し、編集部員全員が解雇された)で退職。以後、建築評論から民俗学に至る分野で活躍している。

黒川紀章らのメタボリズムに参加したほか、林雄二郎をはじめ、親交ある梅棹忠夫加藤秀俊小松左京と「貝喰う会」こと日本未来学会を発足し、1970年に開幕した日本万国博覧会に尽力した。1972年に日本生活学会を創設し、会長・理事長などを務めた。また、加藤秀俊などとともに自身も設立に加わったシンクタンクのCDI(コミュニケーションデザイン研究所)[1]所長も務めた。

2015年7月9日、肺炎のため死去[2]。89歳没。

受賞[編集]

著作[編集]

単著[編集]

共著[編集]

編著[編集]

共編[編集]

関連書[編集]

  • 『思い出の記』真島俊一、寺出浩司、佐藤健二編 70/70の会 1996
  • 川添登著作目録 1941.5-1996.12』真島俊一、寺出浩司、佐藤健二編 70/70の会 1997

脚注[編集]

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  1. ^ (株)CDI
  2. ^ 川添登氏が死去 建築評論家 日本経済新聞 2015年7月15日

外部リンク[編集]