川崎町薄衣
| 川崎町薄衣 | |
|---|---|
| 大字 | |
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北緯38度53分41秒 東経141度17分24秒 / 北緯38.894742度 東経141.289886度座標: 北緯38度53分41秒 東経141度17分24秒 / 北緯38.894742度 東経141.289886度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 地域 | 川崎地域 |
| 人口情報(2026年3月31日時点[1]) | |
| 人口 | 2,065 人 |
| 世帯数 | 839 世帯 |
| 設置日 | 1956年(昭和31年) |
| 郵便番号 | 092-0202[2] |
| 市外局番 | 0191[3] |
| ナンバープレート | 平泉 |
| 運輸局住所コード | 03503-1119[4] |
| 町字ID[5] | 0039000 |
川崎町薄衣(かわさきちょううすぎぬ)は、岩手県一関市川崎地域にある大字であり、旧磐井郡薄衣村、旧東磐井郡薄衣村、旧東磐井郡川崎村薄衣、旧一関市川崎町薄衣[注 1]に相当する。郵便番号は029-0202[2]。
地理
[編集]一関市の東部、川崎地域の南部に位置し、東で千厩町千厩および藤沢町増沢と、南で藤沢町西口および藤沢町黄海と、西で弥栄および川崎町門崎と、北で川崎町門崎および千厩町磐清水と接する。
小字
[編集]盛岡地方法務局水沢支局の「一関市登記所備付地図データ」(2026年4月15日時点)およびデジタル庁公表のアドレス・ベース・レジストリの「岩手県町字マスターデータセット」(2025年8月9日時点)によれば、川崎町薄衣の小字は以下の通りである[注 2][6][5]。
| 大字 | 小字 | 出典 | ||
|---|---|---|---|---|
| 小字 | 読み | 町字マスター | 登記 | |
| 川崎町薄衣 | 字赤柴 | あざあかしば | ○ | ○ |
| 字下巻 | あざしもまき | ○ | ○ | |
| 字加妻 | あざかづま | ○ | ○ | |
| 字外浦 | あざそとうら | ○ | ○ | |
| 字外山 | あざそでやま | ○ | ○ | |
| 字鴨地 | あざかもち | ○ | ○ | |
| 字久伝 | あざきゅうでん | ○ | ○ | |
| 字玉崎 | あざたまざき | ○ | ○ | |
| 字金山沢 | あざかねやまざわ | ○ | ○ | |
| 字古舘 | あざふるだて | ○ | ○ | |
| 字御手洗 | あざみたらせ | ○ | ○ | |
| 字口永井 | あざくちながい | ○ | ○ | |
| 字高舘 | あざたかだて | ○ | ○ | |
| 字高成 | あざたかなり | ○ | ○ | |
| 字高野 | あざこうや | ○ | ○ | |
| 字高野山 | あざこうやさん | ○ | ○ | |
| 字砂子田 | あざすなごだ | ○ | ○ | |
| 字塞の神 | あざさいのかみ | ○ | ○ | |
| 字三島 | あざみしま | ○ | ○ | |
| 字山下 | あざやました | ○ | ○ | |
| 字松形 | あざまつかた | ○ | ○ | |
| 字上巻 | あざかみまき | ○ | ○ | |
| 字上段 | あざじょうだん | ○ | ○ | |
| 字諏訪前 | あざすわまえ | ○ | ○ | |
| 字須崎 | あざすさき | ○ | ○ | |
| 字石船渡 | あざいしふなと | ○ | ○ | |
| 字石畑 | あざいしばたけ | ○ | ○ | |
| 字折坂 | あざおりさか | ○ | ○ | |
| 字千石 | あざせんごく | ○ | ○ | |
| 字泉舘 | あざいずみだて | ○ | ○ | |
| 字泉台 | あざいずみだい | ○ | ○ | |
| 字泉沢 | あざいずみざわ | ○ | ○ | |
| 字大久保 | あざおおくぼ | ○ | ○ | |
| 字大清水 | あざおおしみず | ○ | ○ | |
| 字大池 | あざおおいけ | ○ | ○ | |
| 字大平 | あざおおひら | ○ | ○ | |
| 字滝野 | あざたきの | ○ | ○ | |
| 字沢平 | あざさわひら | ○ | ○ | |
| 字竹の沢 | あざたけのさわ | ○ | ○ | |
| 字中川原 | あざなかがわら | ○ | ○ | |
| 字町裏 | あざまちうら | ○ | ○ | |
| 字陣が森 | あざじんがもり | ○ | × | |
| 字天蕨 | あざあまわらび | ○ | ○ | |
| 字童子 | あざどうじ | ○ | ○ | |
| 字栃木 | あざとちぎ | ○ | ○ | |
| 字栃木前 | あざとちき | ○ | ○ | |
| 字南新山 | あざみなみしんざん | ○ | ○ | |
| 字如来地 | あざにょらいち | ○ | ○ | |
| 字柏木 | あざかしわぎ | ○ | ○ | |
| 字畑の沢 | あざはたけのさわ | ○ | ○ | |
| 字八幡 | あざはちまん | ○ | ○ | |
| 字百連畑 | あざほろばたけ | ○ | ○ | |
| 字平松 | あざひらまつ | ○ | ○ | |
| 字峯 | あざみね | ○ | ○ | |
| 字法道地 | あざほおどうじ | ○ | ○ | |
| 字北新山 | あざきたしんざん | ○ | ○ | |
| 字堀田 | あざほった | ○ | ○ | |
| 字野手貝 | あざのでがい | ○ | ○ | |
| 字矢作舘 | あざやはぎだて | ○ | ○ | |
| 字矢作前 | あざやはぎまえ | ○ | ○ | |
| 字柳沢 | あざやなぎざわ | ○ | ○ | |
| 字養地 | あざようち | ○ | ○ | |
| 字六反 | あざろくたん | ○ | ○ | |
歴史
[編集]古代
[編集]当地が朝廷勢力により征服されると、磐井郡山田里の一部として支配された[7]。
薄衣の地は、交通の大動脈北上川が流れており、往古から要地であった。前九年の役では、安倍氏の十二柵(厨川・嫗戸・比与鳥・鶴脛・黒沢尻・鳥海・瀬原・大麻生・藤原業近・河崎・小松・石坂)の一つである河崎柵が当地に設置された[8]。黄海の戦いで安倍貞任は河崎柵に兵を集め、朝廷軍の源頼義を撃退し、壊滅的な打撃を与えるに至った[9]。しかし、その後、朝廷軍は出羽山北の清原武則を味方につけて、態勢を整えると、安部氏の拠点を次々と攻略し、康平5年(1062年)に安部氏を滅ぼした[9]。以降、後三年の役を経て、奥州藤原氏が奥州の覇権を握った[9]。
中世
[編集]鎌倉時代になると、奥州の覇者奥州藤原氏は源頼朝によって討伐され、その広大な領土は頼朝配下の武将に分配された。御家人葛西清重は、頼朝によって奥州総奉行に任命され、磐井郡を含む6郡を賜った。当地には、建長4年(1252年)に葛西家の重臣千葉胤堅が鎌倉から下向し、薄衣城を建てた[10]。千葉胤堅の子孫は薄衣氏を名乗り、東山の巨族大原氏に次ぐ勢力を誇った[11]。
明応7年(1498年)、大崎領内で氏家三河父子が主君大崎義兼に対して反乱を起こした[11]。義兼は百々城に逃れ、葛西家配下の薄衣美濃入道と江刺三河守に反乱を鎮めるよう度々要請した[12]。両名は再三断ったが、奥州探題たる大崎氏の救済のため、やむなく出陣した[12]。しかし、薄衣美濃入道の弟は大崎氏救済に反対し、長谷城に籠城した[12]葛西政信や柏山氏、大原氏、本吉氏、小泉氏、岩月氏、世田米氏なども大崎氏救済に反対で、数万騎が薄衣城を包囲した[12]。薄衣氏は旧窮地に立たされるが、何らかの仲介を経て乱は鎮まったとされる[12]。永正7年には薄衣清貞が流庄の金沢冬胤を攻撃するも、金澤郷にて金沢方に敗れ、以降、薄衣氏は退勢に傾いていった[13]。
牡鹿郡石巻から胆沢郡水沢に至るまでの北上川中下流域を勢力圏に抑えた葛西氏は、北上川の舟運を大いに活用した[14]。慶長5年(1600年)の葛西大崎船止日記によれば、北上川沿岸に計36カ所の船止めが設けられ、その各所に舟が配備された[14]。年貢などの貨物輸送にも用いられ、経済産業の重要な流通路となった[14]。同日記にて当地は「うすぎぬ」と記され、5隻の船が置かれた[14]。
その後、戦国時代になると葛西氏は浜田広綱といった半ば独立の家臣らの内乱により疲弊するようになった[15]。そんな中、葛西氏当主葛西晴信は豊臣秀吉から小田原征伐に参陣するよう求められた[16]。葛西晴信は天正18年(1590年)5月下旬の参陣を念頭に置いていたが、謀反の噂が絶えなかった領内での反乱を警戒し小田原招集に応じなかった[15][16][17]。そのため、晴信は秀吉に敵意を持つものとみなされ改易、領土は木村吉清の知行とされた[17]。葛西晴信は仕置軍に抵抗することを決断し、天正18年(1590年)8月、木村吉清ら秀吉勢を迎え撃った[18]。葛西軍は3軍団に分かれ、そのうち栗原郡高清水に配置された軍団の大将として薄衣甲斐守胤衡が選ばれた[19]。薄衣甲斐守以下1500騎は蒲生氏郷率いる仕置軍4000騎によって蹂躙され、壊滅した[20]。その後、晴信の降伏によって戦いは終結、戦国大名葛西家は滅亡した[20]。そんな中、葛西家旧臣らは新領主となった木村吉清に反発し、葛西大崎一揆を起こした[21]。薄衣他東山勢は木村方の水沢城・岩谷堂城を攻略するなどの戦果を挙げたがほどなくして鎮圧された[21][22]。その後伊達政宗の命を受けた泉田重光らによって、葛西残党は深谷須江糠塚にて虐殺された[23][24]。和賀薄衣系図によれば、薄衣氏14代薄衣常雄も須江糠山で暗殺されたとされる[25]。
近世
[編集]旧葛西大崎領が伊達氏の手中に入ると、薄衣村は東山南方21ケ村の一つとなった[26]。薄衣城には泉田重光が岩沼8千石から1530石に減禄の上、配置された[27]。北上川下流にて石巻港が開港すると、薄衣は北上川舟運の要地とされ、仙台藩および一関藩の御蔵場が置かれた[28][29]。以降、薄衣は米や煙草、紅花、生糸、鉄製品、海産物といった物資の集積地となり繁栄することとなった[29]。陸路では、気仙沼街道の薄衣宿が置かれ、気仙沼方面へと輸送される物資の中継地点を担った[28]。
宝暦7年(1757年)11月21日、江刺郡高寺村から牡鹿郡石巻へと下る仙台藩御蔵入の御穀船が薄衣村と揚生村の間にある中川原[注 3]にて破航した[31]。これをきっかけとして両村は中川原を取り合い、薄衣村と揚生村、ひいては東山と流で境界紛争が起きた[31]。この中川原は渡り鳥が群集するスポットで、また鮭を捕獲する巻場がつくられるなど、両村民とも禽、魚類の捕獲のために利用していた[30]。度重なる洪水によって川や中川原の形状が変わり元禄期の絵図に合わなかったため、解決が難しく、明和6年(1769年)までの12年間にわたって争いは続いた[31]。
地名の由来
[編集]地名の由来は諸説ある。南面して気温が暖かく薄着で生活できるからという説や、アイヌ語のウテキヌ(小高い丘)が由来という説、北上川の朝靄が漂って薄い衣のようにみえるためという説がある[32]。
施設
[編集]公共施設
[編集]- 一関市川崎支所(川崎町薄衣字諏訪前137番地)[33]
- 一関市川崎農村環境改善センター(川崎町薄衣字諏訪前137番地)[34]
- 川崎清掃センター(川崎町薄衣字石船渡133)[35]
- 一関東消防署川崎分署(川崎町薄衣字町裏65番地5)[36]
- 千厩警察署川崎駐在所(川崎町薄衣字法道地16番地3)[37]
- 一関市川崎市民センター(川崎町薄衣字諏訪前7番地1)[38]
- 一関市川崎防災センター・北上川交流センター(一関市川崎町薄衣字如来地100番地)[39]
- 一関市立川崎図書館(川崎町薄衣字諏訪前7番地1)[40]
- 一関市立川崎小学校(川崎町薄衣字泉台50番地)[41]
- 一関市立川崎中学校(川崎町薄衣字上段1番地)[41]
- 一関市立川崎こども園(川崎町薄衣字上段46番地1)[42]
- 川崎保健センター(川崎町薄衣字諏訪前137番地)[43]
- 川崎運動広場(川崎町薄衣字法道地152番地5)[44]
- 川崎体育センター(川崎町薄衣字法道地151番地5)[44]
- 川崎テニスコート(川崎町薄衣字法道地151番地4)[44]
民間事業所
[編集]
交通
[編集]道路
[編集]
- 国道
- 一般県道
- 橋梁
道の駅
[編集]- 道の駅かわさき(川崎町薄衣字法道地42番地3)
教育
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小・中学校の学区
[編集]一関市例規「一関市立小中学校に就学すべき者の学校の指定及び変更並びに区域外就学に関する規則」(令和7年3月26日一関市教育委員会規則第1号)によれば、2025年(令和7年)9月1日現在における小・中学校の学区は以下の通りである[49]。
| 大字 | 字・番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 川崎町薄衣 | 全域 | 一関市立川崎小学校 | 一関市立川崎中学校 |
人口・世帯数
[編集]人口の推移
[編集]| 川崎町薄衣(とそれに相当する地域)の人口推移[50][51][52][53][54][55]。 | |||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||
| 総務省統計局 国勢調査より | |||||||||||||||||||
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ “町字コード別人口集計表 令和8年3月31日現在”. 一関市ホームページ. 一関市. pp. 2-3 (2026年4月). 2026年6月1日閲覧。
- 1 2 『2025年度版郵便番号簿』日本郵便、2025年11月、32頁。
- ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. 2022年1月11日閲覧。
- ↑ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2025年3月5日閲覧。
- 1 2 “岩手県 一関市 町字マスター(フルセット)”. デジタル庁. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “一関市(盛岡地方法務局水沢支局)登記所備付地図データ”. G空間情報センター. 一般社団法人社会基盤情報流通推進協議会 (2026年4月15日). 2025年9月1日閲覧。
- ↑ 大東町 1982, p. 35.
- ↑ 岩手大学人文社会科学部岩手の研究班, ed (1992-03). 岩手文化の研究. 岩手大学人文社会科学部岩手の研究班. doi:10.11501/13230329
- 1 2 3 読売新聞社盛岡支局, ed (1980-03). 平泉今昔. 川嶋印刷. doi:10.11501/13227570
- ↑ 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 315.
- 1 2 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 457.
- 1 2 3 4 5 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 458.
- ↑ 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 460.
- 1 2 3 4 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 519.
- 1 2 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 563.
- 1 2 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 562.
- 1 2 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 566.
- ↑ 気仙沼市史編さん委員会 1988.
- ↑ 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 573.
- 1 2 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 574.
- 1 2 大東町 1982, p. 113.
- ↑ 大東町 1982, p. 150.
- ↑ 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 595.
- ↑ 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 594.
- ↑ 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 599.
- ↑ 千厩町史編纂委員会 1993, p. 470.
- ↑ 気仙沼市史編さん委員会 1988, p. 639.
- 1 2 千厩町史編纂委員会 1993, p. 435.
- 1 2 大東町 1982, p. 1023.
- 1 2 3 一関市史編纂委員会 1977, p. 639.
- 1 2 3 一関市史編纂委員会 1977, p. 42.
- ↑ “薄衣村”. 2025年9月1日閲覧。
- ↑ “一関市役所支所及び出張所設置条例”. 一関市例規集. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “一関市農村環境改善センター条例”. 一関市例規集. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “一関地区広域行政組合廃棄物の処理及び清掃に関する条例”. 一関広域行政組合. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “一関市消防本部及び消防署の設置等に関する条例”. 一関市例規集. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “千厩警察署管内の駐在所一覧”. 岩手県警察ホームページ. 岩手県警察. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “一関市市民センター条例”. 一関市例規集. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “北上川交流センター(防災センター)”. 一関市 (2021年1月13日). 2025年9月1日閲覧。
- ↑ “一関市図書館条例”. 一関市例規集. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- 1 2 “一関市立学校条例”. 一関市例規集. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “一関市立こども園条例”. 一関市例規集. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “一関市保健センター条例”. 一関市例規集. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- 1 2 3 “一関市スポーツ施設条例”. 一関市例規集. 一関市. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “薄衣郵便局”. 郵便局・ATMをさがす. 日本郵政. 2026年3月18日閲覧。
- ↑ “薄衣矢作郵便局”. 郵便局・ATMをさがす. 日本郵政. 2026年3月18日閲覧。
- ↑ “事業所一覧 : 営農関連 等”. JAいわて平泉. いわて平泉農業協同組合. 2026年6月1日閲覧。
- 1 2 “事業所一覧 : 営農関連施設”. JAいわて平泉. いわて平泉農業協同組合. 2026年6月1日閲覧。
- ↑ “一関市立小中学校に就学すべき者の学校の指定及び変更並びに区域外就学に関する規則”. 一関市. 2025年11月27日閲覧。
- ↑ 総務省統計局統計調査部国勢統計課: “平成7年国勢調査小地域集計04宮城県第1次基本集計に関する集計男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等”. e-Stat. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2024年12月4日閲覧。
- ↑ 総務省統計局統計調査部国勢統計課: “平成12年国勢調査小地域集計04宮城県第1次基本集計に関する集計 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等”. e-Stat. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2024年12月4日閲覧。
- ↑ 総務省統計局統計調査部国勢統計課: “平成17年国勢調査小地域集計04宮城県第1次基本集計に関する集計 男女別人口及び世帯数 - 町丁・字等”. e-Stat. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2024年12月4日閲覧。
- ↑ 総務省統計局統計調査部国勢統計課: “平成22年国勢調査小地域集計04宮城県 人口等基本集計に関する集計 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. e-Stat. 総務省統計局 (2011年12月20日). 2025年5月2日閲覧。
- ↑ 総務省統計局統計調査部国勢統計課: “平成27年国勢調査小地域集計04宮城県人口等基本集計に関する集計 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. e-Stat. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2024年12月4日閲覧。
- ↑ 総務省統計局: “国勢調査 / 令和2年国勢調査 / 小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など) 04:宮城県”. 独立行政法人統計センター. 2025年5月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 大東町『大東町史』 1巻、大東町、1982年3月。doi:10.11501/9571640。
- 気仙沼市史編さん委員会『気仙沼市史』 2巻、気仙沼市、1988年3月。doi:10.11501/9571984。
- 千厩町史編纂委員会『千厩町史』 3巻、千厩町、1993年3月。doi:10.11501/13199257。
- 一関市史編纂委員会『一関市史』 3巻、一関市、1977年12月。doi:10.11501/9569831。
