川勝隆恭

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川勝隆恭
時代 江戸時代中期
生誕 享保2年(1717年
死没 安永5年6月28日1776年8月12日
別名 文右衛門、平左衛門(通称)
戒名 信教(法名)
墓所 静岡市の玄忠寺
官位 布衣(六位)
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川吉宗家重家治
氏族 川勝氏
父母 父:川勝隆成、母:逸見義長の娘
養父:川勝光隆
兄弟 光隆、隆芳、某(式部)、
隆恭
女子(宝富章室)、女子(川勝広達室)、
女子(水戸家の臣川勝権左衛門某室)、
女子
正室:深尾鼂明の娘
継室:櫻井定博の娘
隆安(婿養子。小笠原持賢の二男)、隆久伊吹高行隆紀
女子(隆安室)、
女子(松平大炊頭家臣浦上正定室)
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川勝 隆恭(かわかつ たかゆき)は、江戸時代中期の旗本。隆房流川勝家の4代当主。

生涯[編集]

享保2年(1717年)、川勝隆成の四男として江戸に生まれ、後に実兄である川勝光隆の養子となった。川勝光隆の子に男子がなかったため、実弟の隆恭が養子となって家を継いだ。兄弟であるが年齢は32歳も離れていた。。元文元年(1736年)2月28日、初めて将軍徳川吉宗に謁見した。

寛保2年(1742年)12月3日、書院番となり、宝暦元年(1751年)10月3日、義父(実兄)光隆の死去により、その家督(蔵米400俵)を継いだ。安永2年(1773年)閏3月12日、書院番組頭に進み、同年12月16日に布衣を着る事を許された。安永5年(1776年)6月28日、駿府城の守衛中に、60歳で没した。家督は婿養子の隆安が継いだ。


参考文献[編集]

  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年


先代
光隆
川勝知氏系隆房流
4代:1751年 - 1776年
次代
隆安