嵐333号作戦

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嵐333号作戦
ソ連のアフガン侵攻
Evstafiev-40th army HQ-Amin-palace-Kabul.jpg
ソ連軍に占領されたタジベク宮殿英語版。1987年、ミハイル・エフスタフィフ英語版撮影。
1979年12月27日
場所 Afghanistan flag 1978-1980.jpg アフガニスタン民主共和国カーブル、タジベク宮殿
結果 ソ連の完勝。アミーン議長が暗殺され、政権は崩壊した。
衝突した勢力
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 Afghanistan flag 1978-1980.jpg アフガニスタン民主共和国
指揮官
ソビエト連邦の旗 グリゴリー・ボヤリノフロシア語版 
ソビエト連邦の旗 ヴィクトル・カルプーヒン
Afghanistan flag 1978-1980.jpg ハフィーズッラー・アミーン 
部隊
アルファ部隊
ヴィンペル部隊
ゼニス部隊
ムスリム大隊
ソ連空挺軍
アフガン国軍
大統領警護隊
戦力
700名以上+ 300名
被害者数
19名戦死[1] アミーンおよび警護隊は全員死亡

嵐333号作戦(«Шторм-333»)とは、ソビエト連邦特殊部隊1979年12月27日に実施した特殊作戦である。ソ連軍特殊部隊はアフガニスタン民主共和国首都カーブルにある大統領官邸、タジベク宮殿英語版を襲撃し、アフガンの最高指導者だったハフィーズッラー・アミーン革命評議会議長と大統領警護隊200名を殺害した[要出典]。この戦いの中でアミーンの11歳の息子も負傷し、後にその怪我が原因で死亡している[2]。アミーン死後、バブラク・カールマルが新たな革命評議会議長に就任した。

この作戦の最中、内務省庁舎や秘密警察KHAD英語版本部庁舎、参謀本部庁舎(ダルル・アマン宮殿英語版)などの政府施設もソ連軍によって占領されている。

ソ連軍の戦力[編集]

この作戦の実働部隊として、GRUアルファ部隊「雷」隊(«Гром»)から24名、KGBの「天頂」部隊(«Зенит»)から30名が投入されている。また陸軍の第154独立特殊任務支隊からは420名が投入されている。第154支隊はソ連邦南部の共和国出身者によって構成されていたことからムスリム大隊と通称された。これに加え、空挺軍からは第345親衛空挺連隊から抽出された1個中隊87名が投入されている[3]。これら国防省所属部隊は支援部隊と位置づけられ、防弾チョッキやヘルメットなどは少数しか支給されなかった。一方でGRUおよびKGB所属の実働部隊には各種防弾装備が支給されており、これが作戦の成否を決めたとされる。アミーンの警護隊は短機関銃で武装していたが、拳銃弾を使用する短機関銃ではソ連製防弾装備を貫通することが不可能だったのである。

脚注[編集]

  1. ^ Tomsen, Peter (9 June 2011). Wars of Afghanistan (1st ed.). PublicAffairs. p. 174. ISBN 978-1586487638. 
  2. ^ http://specialops.yolasite.com/operation-storm-333.php
  3. ^ (ロシア語) Article on Storm-333 at VPK-news.ru

参考文献[編集]

座標: 北緯34度27分17秒 東経69度06分48秒 / 北緯34.45472度 東経69.11333度 / 34.45472; 69.11333